国家に対するレイプ
日本は、米英蘭支の連合国に包囲され、経済、外交、軍事の各方面から圧迫されて国家存亡の危機に瀕しました、だからこそ開戦に踏み切ったわけです。まさに国家の存亡を賭けて命がけで戦ったのです。
これに対してアメリカには、そうした切迫感も緊迫感も悲愴感なかったし、現実的な国家危機もありませんでした。すべては独善的な利益追求行為であり、アメリカ政府にとって戦争は公共事業のようなものでした。
アメリカ政府はすべてを計画し、プログラム化していました。いかにして日本を圧迫するか、どのように日本を挑発すれば開戦へ誘導できるか、いかにして軍事的に日本を屈服させるか、どのように日本を占領するか、どのようなプロパガンダを実施してアメリカ世論、日本世論、国際世論を誘導するか、こうしたことがすべて事前に準備され、プログラム化されていました。だからこそ停戦後、GHQは迅速に占領政策を実施できたのです。過去の侵略行為の成果であり、集大成です。
いまいちど時系列をふりかえると、次のとおりです。
九月二日に停戦協定が成立すると、その日のうちに布告第一号から第三号が出されます。九月八日に東京へ進駐した連合軍は、都内六百ヵ所の建物を接収し、九月十一日には、東條英機をはじめとするいわゆるA級戦犯の逮捕を命じます。
報道機関に対する統制も迅速で、九月十四日には同盟通信社に対する業務停止命令を出し、九月十八日にも朝日新聞社に対する発行停止命令を出し、さらに翌十九日にはプレスコードを、二十二日にはラジオコードを発出しています。これらにより新聞とラジオは連合国に対する一切の批判を封じられました。コードに違反すれば業務停止にされるので新聞社は従わざるを得ませんでした。
さらに九月二十九日、内務省による検閲制度の廃止がGHQによって命じられました。GHQが大いに矛盾していたのは、内務省による検閲を廃止しておきながら、GHQによる検閲を開始したことです。十月九日、GHQは在京五紙に対する事前検閲を開始します。
十月四日、いわゆる「自由の指令」により治安維持法の廃止が決められ、共産主義者の釈放、カルト宗教に対する規制撤廃が実施されていきます。「民主化」といいながら、実際には共産化とカルト化を進めたのがGHQです。戦後日本にはスパイ防止法がなく、共産主義やカルト宗教に対する規制もありません。それはGHQの指令が元なのです。
それでいてアメリカ合衆国は一九五四年(昭和二十九)にアメリカ共産党の非合法化を実施します。得手勝手なものです。日本にしてみれば大迷惑というしかありません。
十月三十一日には教員の追放が開始され、いわゆる公職追放の先駆けとなりました。
十一月六日、財閥解体指令が出されました。連合国は日本の財閥を解体しましたが、自国の財閥は野放しにしました。そして、同月十八日には皇族資産が凍結されました。このため十一宮家が皇籍を離脱せざるを得なくなります。
十二月八日、GHQの命令により、「太平洋戦争史」が全国の新聞に連載され、翌九日にはラジオ番組「真相はこうだ」の放送がはじまります。捏造歴史を日本人に信じ込ませるためのプロパガンダが始まりました。連合国が正しく、日本が悪かったとする誤った歴史が広報されていきました。その誤りを指摘することは誰にもできませんでした。検閲に引っかかれば新聞やラジオは業務停止になりましたし、個人に対しては莫大な罰金が科されたからです。日本国民は沈黙させられたのです。これが「民主化」でしょうか。
これら一連の占領政策はすべて準備されていたものです。それを矢継ぎ早に指令していったのです。そして、この稚拙かつ性急なGHQ指令によって無知で傲慢なGHQ官僚たちが日本の伝統文化を破壊していきます。「民主化」どころか独裁的圧政が実態でした。
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一九四五年(昭和二十)十月十一日、マッカーサー元帥は、幣原喜重郎総理大臣に対して五項目からなる改革を口頭指令しました。その五項目とは秘密警察の廃止、労働組合の結成、婦人解放、学校教育の自由化、経済の民主化です。これ以後、憲法改正をはじめとする各種の占領政策が実施されていきます。
これらの指令は、戦後、なぜか「民主化」と呼ばれているのですが、完全なプロパガンダです。「民主化」ではなく共産化と弱体化だったからです。ちなみに指令を受けた幣原喜重郎は国際協調主義の外交家として知られていました。自虐的なまでの譲歩外交を展開した政治家であり、土下座外交の元祖とでもいうべき人物です。GHQにしてみれば、使い勝手の良い格好の総理大臣だったといえるでしょう。
幣原総理は、GHQに指示されるとおりに憲法をはじめとする諸々の法律を改正し、結果的に日本の弱体化と共産化に貢献します。
日本国憲法の成立過程がどのようなものであったかについては、すでに多くの識者が明らかにしています。少数のアメリカ人、それも法律や憲法の素人たちが、数日間かけて各国の憲法や政治宣言などを調べ、そこから適当な文言をとりだして継ぎはぎして作文したものです。小学生の自由研究程度のものでしかありません。それを日本語に翻訳して日本国憲法としたのです。
憲法改正作業に携わった日本官僚たちは、憲法草案の愚劣さに言葉を失いましたが、絶対的権力を有する連合国、GHQ、マッカーサー元帥には逆らう術もなく、結局、言われるがまま憲法を改正します。しかし、それが日本官僚たちの本意ではなかったことは、あの露骨なまでに翻訳調の悪文に静かに表現されていると解すべきでしょう。
GHQは、憲法改正によって日本の歴史と伝統を破壊しました。明治の御代、欧州の碩学に憲法を学んだ伊藤博文は、憲法には国家の歴史伝統を書くべきだと思い至り、大日本帝国憲法を起草しました。
ところが日本国憲法の原案を作成したアメリカ人たちには幼稚な独善と自惚れしかありませんでした。日本に対する無知と傲慢をそのまま憲法草案にしたのです。そもそも歴史も伝統も有しないアメリカ人には歴史の何たるかが理解できなかったでしょう。奴隷商人によって建国された移民国家アメリカには元から歴史など有りようがないのです。
日本国憲法第九条に書き込まれた「戦力の不保持」は、明らかに日本の弱体化です。日本国民の生存を危うくするこの条項が「民主化」なのでしょうか。これが「民主化」だというのなら、なぜアメリカ合衆国政府は戦力不保持という「民主化」を実施しないのでしょうか。すべては嘘なのです。
婦人解放や男女同権という美名の下に実施されたことは家族の破壊です。日本では長いあいだ「家」が社会の基本でした。GHQはこの「家」を破壊して日本社会の根幹を混乱させ、弱体化することを企てたのです。「家」の概念が弱まれば皇室に対する尊崇の念も弱まるというのがGHQの悪巧みでした。
GHQは治安維持法を廃止し、特別高等警察とともに国家警察を廃止しました。治安機関を弱体化させたのです。治安が悪化すれば犯罪がはびこり、社会生活が混乱します。実際、そのとおりになりました。共産主義者が労働組合を根城として暴れ回り、不法入国した朝鮮人が朝鮮総連を設立して各地で悪逆を尽くしました。しかし、これを取り締まるべき日本の治安機関は弱体化させられ、為す術を持ちませんでした。そして、それこそがGHQの狙いでした。つまり日本の弱体化です。「民主化」ではありません。
GHQによる財閥解体は、日本経済の弱体化でした。軍需産業や重工業を解体して、日本を経済的に弱体化させ、日本を農業国家にしようと企てたのです。貧困化を狙ったのです。はたしてこれが「民主化」でしょうか。財閥解体が「民主化」だというのなら、なぜ英米の財閥は解体されなかったのでしょう。ロスチャイルド、ベアリング、ギネス、ロックフェラー、モルガン、メロン、アスターなどの財閥を英米政府はなぜ解体しないのでしょう。財閥解体は「民主化」ではなく、日本の貧困化が目的だったのです。
あるいは、もっと露骨で非道で短絡的な目的だったのかも知れません。要するに日本財閥の財産をGHQの将兵たちが分捕って、私利私欲のために浪費したかったのです。例えば三菱財閥の場合、岩崎家の私財に至るまでことごとくが接収されました。GHQのペーペー将校たちは黄色い嘴でアホウな屁理屈を並べ立てました。
「土地の狭い日本に平屋を建てるな」
「この平屋の屋根の上で野菜を作れ」
「日本は狭いから家畜は山羊にしろ。馬や牛はダメだ」
当主の岩崎久弥は、黙って言うとおりにしました。蔵を開けさせられ、家財を持ち出され、山のような有価証券の書類をトラックで分捕られても黙っていました。さらに、東京本郷にあった岩崎家の洋館までGHQに接収されました。そこはGHQ官僚十名の住処となりましたが、GHQ官僚らは夜ごとに大酒を飲み、パンパン(娼婦)を連れ込み、庭に来る野鳥を撃ちまくり、アメリカ軍の有り余る物資を食べ放題に飽食していました。パンパンの嬌声を夜ごとに聞かされて、岩崎久弥は嘆きました。
「不義者をひとりも出さなかったこの家を女郎屋にしてしまった。アメリカ人というのは、例えて言えば、何の経験もない若い男に大きな財産を持たせたようなものだ。ほんとうに金の使い方を知らない。ただ、財産に囲まれているだけだね」
財閥解体の実情は、こんなものでした。
学校教育の「民主化」も欺瞞に満ちたものでした。その実態は「民主化」などではなく、保守的な教職員を公職から追放し、その後釜に共産主義者をあてるという共産化政策でした。立派な教職員たちは続々と追放されていきました。逆に、占領軍に迎合する売国的な教職員が学校の主となりました。その最たるものは東京大学の一部の教授たちです。ある者はGHQの焚書に協力し、ある者は日本国憲法と極東軍事裁判を礼賛しました。その売国者然とした見苦しいまでの迎合ぶりは日本歴史の汚点と言うほかありません。
終戦と同時に将来を悲観して自決して果てた日本人はすくなくありませんでしたが、他方、新しい権力者に迎合して保身に狂奔した日本人もいたのです。このことは教育界だけでなく、政界、官界、教育界、言論界から芸術界まで全ての社会分野に共通していました。まことに遺憾なことながら、戦後日本の指導者たちとは、その種の迎合的な人々なのです。
暦は国家国民にとって大切な伝統文化ですが、ここにもGHQの魔の手が伸びました。祝祭日から紀元節が削除されました。紀元節が「建国記念の日」として復活したのはようやく一九六六年(昭和四十一)です。
後世から見れば、じつにバカバカしい暴論と極論がGHQの権力によってまかり通っていきました。日本語を捨てて英語を公用語にしろ、漢字は軍国的であるから使用をやめろ、ローマ字にしろ、神道が悪い、神社が悪い、武道が悪い、将棋が悪い、歌舞伎が悪い、唱歌をやめろ、などなど、あきれるように幼稚な議論をくそ真面目に論じていたのです。マッカーサー元帥も例外ではなく、二千五百名の宣教師を来日させ、「日本をキリスト教国にした」と独善的な自慢にふけりました。欧米白人の無理解な思い込みで日本の歴史文化を破壊したのがGHQです。それがGHQの正体です。
こうした似非「民主化」をGHQ官僚たちは無知と傲慢とに立脚して傍若無人に推進し、誇りました。連合国の政治家も日本を「民主化」したと自慢げに語りました。そして、情けないことに戦後の日本人もGHQが日本を「民主化」してくれたと思い込まされています。
しかしながら、まったくの欺瞞です。そもそもGHQが実施したこれらの改変は国際法に違反する行為です。具体的には、ハーグ陸戦条約第四十三条違反です。
「国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保するため、施せる一切の手段を尽くさなければならない」
連合国、GHQ、そしてマッカーサー元帥は国際法の違反者でしかありません。
「民主化」の推進において最重要なものは、言論の自由、思想の自由ということであるに違いありません。では、GHQは占領した日本で言論の自由と思想の自由を実現したのでしょうか。
答えは否です。GHQは、組織的かつ大規模に検閲と情報統制を実施し、日本人の言論と思想を弾圧しました。日本の内務省が実施していた検閲や統制をはるかに上回る規模の組織によって、日本人に対する検閲と情報統制が実施されました。
驚くべきことですが、実はアメリカ本国においても大々的な情報統制と検閲が実施されていたのです。ルーズベルト大統領の命令によって検閲局が設立されたのは一九四二年(昭和十七)です。合衆国憲法は検閲を禁じていますが、検閲局という官庁が新たにつくられたのです。検閲の対象はアメリカ国民です。そして、検閲局長に就任したのはAP通信社の編集局長です。ジャーナリストが国家の検閲に協力したわけです。「自由と民主」が看板のアメリカですが、実態はこんなものです。
検閲局は、最盛期には一万四千名の職員を抱える大組織となり、アメリカ国民の言論と思想を検閲しました。その対象は郵便、電信電話、新聞、ラジオ放送に及びました。自国民をさえ大規模かつ組織的に検閲したアメリカ政府は、当然、占領地日本の検閲を実施しました。アメリカ合衆国憲法は検閲を禁じていますし、アメリカが日本に押しつけた日本国憲法も検閲を禁じています。しかし、アメリカ政府は憲法違反の検閲を大々的に実施していたわけです。こんなものが「民主化」の実態なのです。
日本の新聞社や雑誌社はプレスコードによって、ラジオ局は放送コードによって検閲されました。連合国に対する批判、極東軍事裁判に対する批判、日本国憲法成立の経緯、検閲制度の存在、広島長崎への原爆投下に関すること、などが禁じられました。つまり、日本人には原爆の惨禍も占領政策の実態もまったく知らされなかったわけです。また、日本の歴史や伝統、大東亜戦争の意義、戦争犯罪人の擁護なども禁止されました。日本政府がやむを得ず戦争に踏み切った理由を日本人は忘れさせられていきました。さらに、闇市の存在や飢餓の状況を報じることも禁じられていました。
このプレスコードの中には奇妙な一項目があります。
「占領軍兵士と日本女性との交渉」
要するに連合軍将兵が日本女性を強姦しても報道できず、また、連合軍将兵のために設けられた特殊慰安施設の存在も報道できませんでした。
占領中、日本には数十万の連合軍将兵が上陸しましたが、戦勝国将兵による強姦事件が絶えず、日本女性の受けた被害は甚大でした。終戦直後、神奈川県に上陸したアメリカ軍はわずか十日のあいだに一千三百件の強姦を犯しました。七年の占領期間ではレイプ事件は三万件にも及びます。
あまりにひどい事態に驚いた日本政府とGHQは特殊慰安施設を全国各地に設け、ここに五万人以上の日本人慰安婦を置いたのですが、この慰安施設をアメリカ兵が集団で襲い、集団レイプ事件を起こすなど惨憺たる状態となりました。
戦災によって生計の糧を失った多くの日本女性は、生きるためにアメリカ兵を相手に売春せざるを得ませんでした。特殊慰安施設が閉鎖されると、女性たちは街娼として売春をするようになります。パンパンと呼ばれました。全国に一万八千名ものパンパがいたとのことです。
こうした諸々の事情の結果、当然のこととして多くの私生児が生まれました。GIベビーとよばれる混血児です。厚生省の調査によって確認されただけでも五千名弱のGIベビーが生まれました。未確認の混血児を含めれば、その数は想像を絶します。GIベビーは多くの場合、捨てられたり、殺されたりしました。混血児の赤子が皇居前広場や神社や銅像の下や家屋の軒先やトンネルや道端や公衆便所や進駐軍基地周辺などに捨てられることが頻繁でした。その捨て子が生きていればまだしも、赤子の死体が薄暗い路地や河川に酷たらしく打ち捨てられていたり、風呂敷に包まれて鉄道駅や電車内に置き捨てられていたりもしました。
連合軍の将兵にしてみれば、一夜限りの遊びのつもりであって、子供が生まれても知らぬふりでした。やむなく生んだ日本女性にしても育てることは困難でした。自分自身が食べるのに汲々としていたし、強姦被害者やパンパンや混血児に対する社会の偏見が強烈だったからです。
こうした状況をGHQは知りながら放置し、隠蔽しようとしました。当時の絶望的な日本女性の立場を直截に表現した文章があります。
「日本の全土を占領したアメリカ軍将兵は、日本の上流家庭にスキャンダルを持ち込み、アメリカ軍関係施設で働く若い女性を洋妾と称してもてあそび、帰国に際しては多数の混血児を置き去りにした。無数の街娼を発生させておきながら、黄色い便器という侮辱的な表現で、人間を道具視していたのである」
これを書いたのは神崎清という作家です。神崎は、パンパンに関するノンフィクションを多く書き残した人物です。マッカーサーのいう「婦人解放」の実態は、日本女性の人権と尊厳を踏みにじる性奴隷化でしかありませんでした。
マッカーサーの「民主化」が生んだ混血孤児問題に半生を賭けて取り組んだのはひとりの日本女性です。三菱財閥の令嬢だった沢田美喜は、エリザベス・サンダース・ホームという混血孤児のための孤児院を設立し、孤児たちを養育し、教育しました。三菱の令嬢とはいえ、三菱財閥はGHQによってすでに解体されており、使える財産はありませんでした。沢田美喜は私財をなげうち、借金をし、善意の寄付を集めて孤児院を経営しました。そんな沢田美喜の事業をGHQは支援するどころか妨害しました。混血孤児の存在は、アメリカ軍将兵の悪行の証拠だったからです。GHQは孤児院の乗っ取りを謀ったり、悪い噂を流したりして孤児院の評判を落とそうと画策しました。これこそがGHQの「民主化」でした。沢田美喜は、GHQの度重なる妨害を跳ね返すため、何度も渡米して講演し、寄付を募りました。その血の滲むような努力の結果、二千名以上の混血孤児たちを育て上げることに成功しました。しかし、こうした善意の業績はGHQの検閲によって隠匿されました。
GHQの検閲が巧妙だったのは、連合国に対する批判を封じる一方、過剰な礼賛も禁じたことです。たとえば、マッカーサー元帥のことは「マ元帥」として大々的に報道され、一部の日本人に異様なまでの人気を博していました。これはGHQの仕掛けでした。マッカーサーの凜々しさを演出する写真を掲載し、心温まる挿話を捏造して報道させていました。そうでありつつも、過度な賛美記事は規制されていました。なんとも悪賢いことです。
検閲は、事前検閲で始まり、後に事後検閲となりました。このため日本の報道機関は、GHQに指摘されなくとも自己検閲するようになり、この傾向は戦後も一貫してつづいています。
手紙や電報などの私信もGHQによって検閲されました。最盛期には一ヶ月間で三十三万七千通もの私信が検閲されました。GHQが私信を検閲した目的は、新聞や雑誌などに現れてこない、日本人の本音をさぐるためでした。
GHQは検閲を実施するために、英語力のある日本人を数多く検閲員として雇用しました。戦災などで職を失っていた日本人は糊口を凌ぐために忸怩たる思いを抱えながら検閲の仕事に従事しました。日本人は私信においても注意深く本心を隠さねばならなくなりました。これがGHQによる「民主化」です。
戦争が始まれば、どの国も戦時体制をとります。情報統制も当然に実施されます。日本がそうしたようにアメリカも敵国擁護の言論を検閲で封じ、自国の正当性を鼓吹し、敵国の悪魔性をプロパガンダしました。アメリカ本国における情報統制は、一九四二年(昭和十七)に設立された戦時情報局によって実施されていましたが、その仕組みがそっくりそのまま日本に持ち込まれました。GHQは、日本の報道機関の口を封じる一方、連合国ひいてはアメリカに都合の良い捏造の歴史をプロパガンダしていきました。いわゆるウォー・ギルト・インフォメイション・プログラムです。
「太平洋戦史」というアメリカ側から見た戦史が新聞に連載され、単行本が大量に出版されました。「真相箱」というラジオ番組においても、連合国が正しく、日本が誤っていたという捏造の歴史が繰り返し放送されました。アメリカが正しくて日本が悪かった、日本がアジアを侵略した、アメリカがアジアを解放した、という子供だましのような捏造の歴史が日本人の頭脳に深く刷り込まれていきました。
日本が宣戦布告した相手は米英蘭だったのですが、なぜか日本がマレーシア、インドネシア、フィリピン、ビルマ、ニューギニアを侵略したことにされてしまいました。ヌケヌケとした大嘘です。実際、日本が戦った相手は米英蘭であり、米英蘭の植民地だったアジア諸国を解放したのです。それなのにGHQは事実を完全に逆転させた捏造の歴史を堂々と展開し、見事に日本国民に信じ込ませていきました。
驚嘆すべきことは、GHQによる洗脳が今日の日本人の歴史観になお強く影響しており、このことが政治や言論を左右しているという事実です。日本は二十一世紀のいまなお占領下にあるようです。