萌芽4―1
長く続いている廊下は死への旅立ちに相応しいのか、北川洋子には分からなかった。新設された死刑囚特別房から刑場へ至る道のりは、死刑囚にとっては長いのか、短いのか。
「ここで、小便を漏らす死刑囚もいるんですよ。あ、これはこれは。若いお嬢さんには相応しくない話題でした。失敬失敬」
この人は死をどのていどの真剣さで考えているのだろうか。あまりにも呑気に、そして、あからさまに洋子の気を引こうとしている所長に不信感を感じてしまう。
そもそも私はなぜ死刑囚に会わなくてはならないのだろうか。
洋子はニュース番組でキャスターをやっている。華やかな容姿はテレビに出るようになって、更に磨かれ、人気は鰻のぼりだ。インターネットのサイトでは、洋子に関して毎日のように猥褻な話題が飛び交っている。そんな彼女が、取材でもなく、死刑囚の元を訪れたことには理由があった。
単純ではない力が働いている。洋子は、上司に警察への協力であり、聞き込んだ全ては警察に報告することになっていることを聞かされていた。そのことについて、報道番組のキャスターでもある洋子は一抹の疑問を感じないわけではない。報道人の使命として、警察につかんだ情報の全てを渡してしまってもいいものか。局側としては、警察上層部との円滑な情報交換を望んでいるのであろう。貸しを1つ警察に作るだけでも、効果的なのだ。そういった事情があったとして、その不快感に耐えうるとしても、1つだけ、答えの出ない疑問が残る。
「なぜ、私なのだろう」
死刑制度に関してはっきりとした発言をした覚えもなければ、これから会う死刑囚の事件に言及したこともない。しかし、死刑囚の方から洋子にのみ、面会して重要な事柄を告白するという指名を受けたのだ。そして、今死刑囚特別房への渡り廊下を歩いている。洋子はその状況に怖気を振るっていた。
長いとも、短いとも結論のでなかった渡り廊下を通り抜けて、独房の前に立つと、洋子は異様な汗が背中を滑り落ちた。所長の声は遠くに聞こえた。
「こちらです。もし、何かありましたら、こちらに看守を立たせておきます。遠慮なく仰って下さい」 所長が立ち去ると洋子は一人になった。この扉の向こうには死刑囚がいる。洋子は口の中に、渇きを覚えたが、無理矢理勇気を振り絞って、その扉を開いた。