作文
国語は得意だった。本を読むのも好きだった。
それでも苦戦したのは、作文を書くこと。
「自己表現」が苦手過ぎた。
小学生の頃、作文の時間の大半は、書くことが決まらなくてボーッとして時が過ぎ、提出期限のギリギリになって、文字数をクリアできる適当なことをザッと書いていた。たまに書けない人だけ宿題にされたので、持ち帰って適当なことをザッと書いて提出した。
中学生の頃、小学生の頃と変わらぬパターンだったが、課題の作文を提出しなかった事が一度だけある。定期テストの点は良かったけど、この作文未提出の学期末、評価が3の△をつけられたのは今でも忘れない。
そんな苦行の様な作文提出において、未提出にせず、短時間で片付けることを教えてもらいたかった。
大層なものを仕上げる、高い評価をもらおうなんてことは考えず、単純に目の前の課題を最短で片付けて肩の荷を下ろす方法を知りたかった。
誰に聞いても「好きな様に書いていい」としか教えてもらえなかったし、何より自分で良い策が思い付かなかった。その上、全く思ってもいないことを書くのが下手だった。
そんな状態の当時の私に贈る、今の私から教えてあげたいことをここに簡単にまとめる。
私の経験上、作文を書けない人にとっての最難関は、何をどう書くかを決める事だと考える。
それ故に、書き始める前に悩むだけで大半の時間を割いてしまいがちだ。「自由に書いていい」と大体の人が言うが、それこそが私にとって1番難しいのだ。
しかし、そこさえ越えられたら後は書くだけだ。よって、ここを短くするのが大事になる。
高い評価は得られなくとも、時間がかかる・提出できないを避ける程度であれば、策はある。
次の3つを注意することを伝えておきたい。
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1.難しい事は考えず、書き始める為の準備に全力を費やせ
学校の課題で出る作文は、様々な場面で出てくるが、そのどれもが大枠のテーマが定められている。
意見、持論、提案といった思考を書くものから、学校行事の感想、自分の身の回りのこと、思い出、最近の出来事といったものまで多種多様である。
思考の方は枠が少し狭められているので、とりあえず自分の意見はさて置き、その設問から考えられる選択肢を全て挙げ、簡単にメモする。
その中で自分が一番理由を挙げやすいものを1つ選び、それを「自分の意見(主張)」とする。その「自分の意見(主張)」の中で挙げられる限り肯定・否定ともに理由をメモに書き加える。可能であれば選ばなかった選択肢の分も挙げておくと後が楽になる。
思い出、出来事等の方は幅が広すぎるが、書くことを決める時に1番大事なことは、「ドラマチックに書こうとしないこと」である。日常生活の中で誰かに読み聞かせる様な事は、滅多に起こらない。周りの誰かにちょっと話したくなる事くらいしか起きない。だからこそ、作文にできる様な出来事がないと思ってしまうし、ストーリー性のあるものを探す程、思いつかない沼に嵌るのだ。
道端の花が綺麗だった、忘れ物をした、消しゴムの角が無くなった、喧嘩した、怒られた、豆知識を知った、お菓子が美味しかった、クシャミが止まらなかった、書く内容はそんな程度のことで十分である。たいそう大層なことを書こうと思わなくていい。気負わず手近なことをお題にして構わないのだ。
2.文字数に合わせて、書き方を変えよ
思考の方は、「自分の意見(主張)」の他に書き加えるかどうかを考える。
最低文字数に対して、メインに書く事が少ない場合には、反対意見や別の意見への反論を書き加える。
流れとしては、「自分の意見(主張)」は何であるか→その理由は何か→(文字数が余りそうならば別の意見として考えられる事とその否定→)結論として最初に書いた事に近い内容で「まとめ」を書く。
素晴らしくはないが、これで大体のものは埋められる。
思い出、出来事等の方は、事実をどれくらい詳細に書くか、感想の量を増やすかどうかを考える。
例えば、「友達と食べたお菓子が美味しかった」は「昨日の放課後、一緒に遊んだ友達と食べたお菓子が甘くて美味しかった」と事実を詳しくし感想を増やす方法で、文字数は格段に増える。
事実は一定程度しか増やせないが感想は追加で作り出す事もできる。「花が綺麗だった」→「通学路に咲いている桜が綺麗だった」→ 「通学路に咲いている桜が綺麗だった。花が好きな祖母にも見せてあげたいと思った。」という具合に、その場でそう思ったかは別として、そういう感想を作り出し書き加えることもできる。
句読点を増やすだけでは、文字数は埋めきれない。
3.読まれることを気にするな
確かに、書いた作文は誰かに読まれる。採点をする人、興味本位の友人、置きっ放しにしたのを片付けようとした家族、人に見られる機会は少なからずある。だが、それを踏まえて恥ずかしくない物を書こうとする必要はない。
逆に考えて、自分が過去に書いた作文を全て思い出せるだろうか。書いた自身でさえ、一言一句思い出せることは十中八九無いだろう。それを他の人が書いたもので覚えているはずもない。つまりは、書く時に「気にし過ぎ」ているのだ。
そもそも自己表現が苦手な時点で、大層なものが書けると思っていないのだから、他人の目を気にしている場合ではない。とりあえず書けるものを書き進めて提出に間に合わせることが大事だ。
――
「誰もそんなに自分の事を見ていないから」と大学で教授が言っていた。全くもってして講義に関係ない話だったが、これは私に良い影響をくれた。
「見てないから何をしても良い」と言うわけではない。しかし、「周りに見られていることを気にして何も出来ない」なんてことはしなくて良いのだ。
自分を自由に表現したって良いのだ。上手くなくたって好きな事なら好きと言えばいい。言っていい。迷惑かけなければ、そんなに誰も注目しないから、安心していい。
未だに「自分を表現する」ことは苦手だ。そもそも「自分」が何をどうしたいのか、どう思っているのか、自身でもよく分からない事の方が多いが、それを隠す必要もない。苦手だから「自己表現しない」もあっていいと思う。
けれど、苦手を避けられない場面は出てくる。
その時、「自分」を守れるのも自分だけというのも事実だ。ならば策を持っていた方がいいだろう。
「書けない」と悩む事に時間をかけず、適当でも何でも、その課題を早く終わらせて、遊ぶ・寝る・好きな事をする為の時間を作り出した方が有意義だ。
とりあえず、サクッと終わらせてしまおう。
「時は金なり」
戻ることも出来ないし、有限である。