てんぐのくしゃみ
「ぶぁっっくしょぉぉぉんっ!!」
山の木々を根こそぎ倒してしまいそうな、とんでもなく大きなくしゃみがこだましていきました。ここはてんぐ山脈と呼ばれる、高い山々が連なる山地です。その頂上で、大てんぐは長い鼻をむずむずさせて、ぐったりとふとんにもぐりこんでいました。
「大てんぐ様、しっかりしてください!」
手下であるカラスてんぐたちも、大てんぐの弱りように、みんな心配そうな顔です。大てんぐは、むずむずする鼻を指でこすりながら、ぼーっとした顔でため息をつきました。
「風邪ではないようじゃなぁ……。てんぐは風邪などそもそも引かないし、もし風邪だったとしても、こんなに長引くはずがない。それに熱も出ておらんし、寒気もせん。ただただ、鼻水がでて、くしゃみが……はっ、はぁっ、ふぁぁぁっくしょぉぉぉんっっ!!」
大てんぐがまたしてもすさまじいくしゃみをして、そのくしゃみをもろに食らったカラスてんぐたちは、すごい勢いで吹き飛ばされていきました。そばにあった大木が、めちゃくちゃな風に耐え切れずに、ベキベキッとすごい音を立てて折れていきます。
「おぉ、なんと恐ろしい……。ですが大てんぐ様、とうとう見つけましたぞ!」
へし折れた木のかげから、てんぐたちの中で最も賢い博士てんぐが顔を出したのです。大てんぐの顔がとたんにほころびました。
「おぉ、博士てんぐ、どうじゃったか? フクロウ森にある、我らてんぐの書庫には、なにかわしの症状について書かれておったか?」
大てんぐが期待をこめて博士てんぐにたずねました。博士てんぐは苦々しげな顔で、大てんぐにうなずいたのです。
「はい。わたくしめは、大てんぐ様のご命令通り、フクロウ森の書庫でいろいろと文献を読みあさっておりました。しかしなかなか大てんぐ様のような症状は見つからず、こっそりと人間たちの町へ潜入し、人間たちの図書館でいろいろ本を読んできたのです」
博士てんぐの言葉に、大てんぐはもちろん、ほかのカラスてんぐたちも次々「キィーッ」と怒ったような鳴き声をあげました。あまりの迫力に身をちぢめる博士てんぐに、大てんぐは怒りでギリギリ歯ぎしりしながらたずねたのです。
「……お前は、我らてんぐの知恵より、あのおろかな人間どもの知恵を頼ろうと思ったのか! なんたる不届き者よ!」
「おおお、お待ちください、大てんぐ様! 確かにわたくしは、人間たちの知恵を借りるなどという、恥知らずなことをしてしまいました。しかし、とうとう見つけたのでございます、人間たちの病気に、大てんぐ様とそっくりな症状があることを!」
「わしとそっくりな症状だと! お前はわしが、人間どもがかかるような、ちゃちな病にかかっているといいたいのか!」
「落ち着いてくださいませ! それにその病は、人間たちの話だと、とんでもなくつらく、そして長引くものだということです。下手をすると一生治らないとも……」
博士てんぐにいわれて、大てんぐの赤ら顔からスーッと血の気が引いていきます。青い顔になる大てんぐをみて、他のカラスてんぐたちがギャーギャー騒ぎはじめました。
「こらっ、博士てんぐ、お前なんということを!」
「いくら我らてんぐの中で、一番頭がいいからといって、そのような口のききかたが許されると思っているのか!」
「大てんぐ様にあやまらんか!」
しかし、博士てんぐも譲りません。カラスてんぐたちをにらみつけてから、とどろくような声でどなりかえしたのです。
「そのような意地を張っている場合か! 大てんぐ様のくしゃみで、我らのすむてんぐ山脈の木々が、どれほどへし折られるかわかっておるのか! このまま木がどんどん折れていけば、いずれここもはげ山となってしまい、それこそ人間たちに奪い取られてしまうぞ! ……それに大てんぐ様の苦しみようを、お前たちが知らぬわけではないだろう?」
博士てんぐににらまれて、カラスてんぐたちは言葉を失いました。いつもはとんでもなく威厳のある大てんぐが、今では鼻をふんふん鳴らして、一日に何度も何度もくしゃみをするのです。誰もなにもいえないのを見て、博士てんぐはふぅっと小さくため息をつきました。
「だが、わたしは人間たちの本を読み、その症状について調べることができた。どうやら人間たちは、その症状を薬でおさえているらしい」
「人間たちの薬だと! そんなものを大てんぐ様に飲ませる気か!」
「もちろん最初は、このわたしが毒見をしよう。だが、それで大てんぐ様を救えるのなら、人間たちの薬でも使わねばならぬではないか!」
博士てんぐに一喝されて、カラスてんぐたちはまたもや黙りこんでしまいました。博士てんぐはすぐに大てんぐに向きなおって、大てんぐが寝ているふとんのそばにひざまずいたのです。
「大てんぐ様、どうかわたしに、人間たちの町へ降りる許可をお出しいただけませんでしょうか? 人間たちの薬とやらを探して手に入れ、必ず大てんぐ様のもとへ持ち帰りますので」
「ふむ、そこまでいうのなら、そなたに任せよう。しかし、そのわしの症状とは、いったいなんなのじゃ? そこまで恐ろしい症状なのか?」
「ハッ、その症状とは……」
「花粉症のお薬をお探しですね?」
人間に変装した博士てんぐは、人間たちの町のドラッグストアに来ていました。病院だと、いろいろ検査されて、人間ではないとバレてしまうと思い、博士てんぐは薬が買えるお店である、ドラッグストアを訪れていたのです。しかしながらその広いこと広いこと。さらに、薬だけでなく食べ物やら日用品やらまで置かれていて、博士てんぐは目が回っていたのでした。そこに店員さんに声をかけられたので、博士てんぐはどぎまぎしながらも、コクコクとうなずきました。
「そ、そうである。人間たちの……じゃない、その、花粉症だ。鼻が長くても効くような、花粉症の薬とやらはあるか?」
「鼻が長く? えーっと、はい、こちらのほうにございますよ。症状は重いですか?」
「あ、あぁ。くしゃみで木が折れたりするんだが……」
「えっ?」
「あ、いや、なんでもない。そうだ、かなりひどい。よく効くやつをくれないか」
「それならこちらをどうぞ。慣れないうちは飲むと眠くなりやすいので、お車を運転される場合などは気をつけてくださいね」
「空は飛んでも大丈夫か?」
「えっ?」
「いや、その、なんでもない。すまなかったな。ありがとう」
レジに案内された博士てんぐは、人間たちが使うお金を店員さんに支払いました。このお金は、山に修行にくる山伏たちに、イノシシやキジの肉と交換にもらったお金でした。
「しかし、人間たちというのは、ずいぶんと便利な世界に住んでいるようだな。我らてんぐの世界とはまた違う面白さがありそうだ。だが、てんぐ山脈と比べて、なんと空気が悪いことだ。このままではわたしもくしゃみを……ハッ、ハッ、ふぁぁっくしょぉんんっ!」
なんとか口を押さえたからよかったものの、博士てんぐのすさまじいくしゃみに、そばにいた人たちが突風にあおられたかのようによろけます。博士てんぐはあわてて、買ったばかりの薬を口にほうりこみ、いっしょに買っていた炭酸水を口の中に流しいれたのです。とたんに博士てんぐの目が大きく見開かれました。
「むぐぐっ、ぱ、パチパチするぞ! まさかこれは、あの店員、わたしがてんぐだと気がついて、毒入りの水でも渡したんじゃないだろうな? あぁ、恐ろしい、やはり人間は恐ろしいものだ! 早く山へ帰らないと」
博士てんぐはほうぼうのていでてんぐ山脈へと逃げ帰るのでした。
てんぐ山脈のふもとの町では、こだまのように響く、「ふぁぁぁっくしょぉぉぉんっっ!!」という騒音に悩まされることもなくなり、みんなずいぶんとよく眠れるようになったとのことでした。しかし、困ったことが一つありました。どこのドラッグストアに行っても、花粉症の薬が品薄になっていて、売り切れていることもあるのでした。ですが、もちろんそれがてんぐのしわざであるということは、誰も知らないのでした。