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抱き枕の侍女と意地悪な騎士  作者: ヴィルヘルミナ


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最終話 二人の約束

 数日後、ケーキに毒を仕込む現場を押さえられたゴドフリーは王子暗殺未遂で罰を受けた。その罰が何であったのかは私には知らされてはいない。


 ゴドフリーはかなり前から、外国にこの国の様々な情報を売り金品を受け取っていた。それだけでなく悪事を行って弱者を虐げる金持ちを密かに殺し、その財産を奪っていた。手に入れたお金はすべて貧しい人々への施しに使われて、自身は贅沢を楽しむことは無かったらしい。


 侯爵家の金鉱脈の話は、王子の暗殺計画を覆い隠す為にゴドフリーが広めたものだった。金鉱脈が見つかったという夢のような儲け話は、人を熱狂に導く。人々がその話題に目を向けている間に、計画は静かに進められていた。


 外国からの依頼を受けて王子を殺し、成功しても失敗しても、お嬢様を連れて逃げるつもりだったと聞いて怒りを覚えたけれど、『誰にでも〝良い人〟でいるのは疲れた』と言っていたと聞くと、優しいお嬢様にすがりたかったのかとほんの少しだけ憐れみを覚える。


 菓子職人のシリルには、その理不尽な罰を憐れんだゴドフリーから〝清麗の雫〟に酷似した解毒薬が少しずつ与えられていた。約束を守って物忘れの薬を飲み続けていたシリルには自覚はなく、その処遇について揉めたものの結局は王城で菓子職人として雇われ、王子の影武者を務めることになった。ゴドフリーがお嬢様の手を握ろうとした日に感じた薄荷に似た匂い、あれは解毒薬のものだった。


 ゴドフリーに薬を渡した赤茶色の髪の男は、間諜の監視を振り切って姿を消した。どうやら国外に逃げたらしく、宿には荷物を残したままで様々な薬も残っていた。何故、私の一族の作る薬に似た物を持っていたのかは、謎のままに終わった。


 事件が一応の決着を見せた横で、私はお嬢様の隠れ部屋の準備を慌ただしくも終えることができた。


      ◆


 ついに王子妃候補選びの最終日がやってきた。王子妃候補として選ばれたのはミキャエラ嬢。皆がまさかと思いながらも、ミキャエラ嬢の輝くような美しさと強さに逆らう者もおらず、発表は揉めることもなく終了した。


 塔に戻ったお嬢様は、微笑みながら窓の外を見ている。この三カ月の間、お嬢様は他人の為にばかり気を使い、時間を使ってきた。隠れ部屋でゆっくりと休んでもらえたらいいと思う。


「ありがとう。迎えの馬車が来るまで、下がっていていいわ」

 優しい微笑みを浮かべるお嬢様に、敬意を込めて深く一礼をし、扉から出ると坊ちゃまが待っていた。


『ジェラルド坊ちゃま! 絶対に、お嬢様の嫌がることはしないで下さい!』

「……わかっています」

 小声でお願いして、坊ちゃまと入れ替わる。部屋の中でお嬢様と何か言葉をやり取りした後、目隠しをしたお嬢様を宝物のように抱えて馬車に乗り込んでいくのを見送った。


 お嬢様の行き先は王城の塔の部屋。髪が元の色を取り戻す半年の間、お嬢様の姿は外部から隠される。ラザフォード侯爵家のシルヴィア嬢は流行り病で亡くなったと偽装され、半年後には異世界人のアイリとして戻ってくる予定と聞いている。


 すぐにでも求婚すればいいのにと思っても、お嬢様の気持ちを確かめてからと言われれば何も言えない。きっと半年を掛けて、お嬢様と距離を近づけていくのだろう。


      ◆

 

 令嬢と侍女を乗せ、古城の門から馬車が何台も連なって出て行く。一日に受け入れることができる馬車の数は限られていて、撤収まで数日は掛かる。


 私の迎えの馬車はいつになるのか聞くのを忘れていた。迎えがなければ、村まで歩いて出て、そこから乗り合い馬車を乗り継いで帰るしかない。


 時間を持て余した私は古城の裏庭をゆっくりと歩く。夏を迎えようとする庭は青々と緑が茂り、あちこちに素朴な花が咲く。香水に使った花はたくさん摘み取ったにも関わらず、まだまだ勢いを見せて一面の花畑のごとく地面を覆う。


 私の足は無意識にクレイグと初めて会った場所へと向かっていた。朽ちかけた木の扉は生い茂る緑に覆い隠されて、見ることはできない。


 クレイグの抱き枕に戻りたい。そんな身勝手な願いが心の中に浮かんでくる。クレイグを信じることができずに付き合うことを断ったのは私。クレイグが私を護っていてくれたと知ったからと言って、やっぱり付き合いたいとは言い出せない。


「よう!」

 後ろから肩を叩かれて飛び上がる。振り向くと、クレイグが意地悪な笑顔を浮かべていた。

「クレイグ……」


「姫さん見送って、暇だろ? ちょっとそこまで馬で走らないか?」

 クレイグの誘いに私は乗った。手綱を預かり、草原へと向かう。これが、馬に乗る最後かもしれない。


 清々しい草の香りとクレイグの温かさを感じながら、広い広い草原を馬で走る。気が付けば、古城は遥か遠く。空は夕焼けに染まり始めた。


 クレイグは話があると言って低木に馬を繋ぎ、私を丘の上へと案内した。青々とした草が、爽やかな風で波を描く。


 黙り込んでいたクレイグが、ようやく口をひらいた。

「俺と付き合ってくれないか?」

 もう一度聞けるとは思っていなかった言葉に、私の鼓動は一瞬で跳ね上がる。同時に罪悪感がちらりと顔をのぞかせた。


「クレイグ……私は……隠し事をしていたクレイグのことを信じられないと言いましたが、私自身もクレイグに隠し事をしていました」


「私の本当の名前は……明凛(メイリン)です」

「知ってる」

「え?」

 クレイグが口の端を上げ、意地悪な笑顔を浮かべた。この国では侯爵夫妻しか知らない、王子にさえ明かさなかった私の本名を知っている訳がない。


「最初の夜、酔ったお前は俺にいろんなことを話した。名前のこと、出自のこと、一族のこと。草原を馬で走る気持ち良さ、自分が採った川魚を焼いて食べる美味さ。風の匂いや草花の匂いの豊かさ。お前は俺の知らないことを教えてくれた」

 あの夜のことを思い出すと恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ない。私はクレイグに迷惑を掛けた上に、秘密まで話していたのか。


 だから私を馬に乗せてくれて、一緒に川魚を食べて。誰にも教えたことのない私の願いを叶えてくれていたのだと、私はようやく気が付いた。


「確かに最初は、麦酒を買いに出たお前が外国か公爵家の間諜かと疑って部屋に招き入れた。いろいろあって、お前の話を聞いて。俺はお前に興味を持った」


「俺は、お前を護っていた訳じゃない。お前の秘密を独り占めしたいと思っただけだ。一緒にいるうちに、俺はお前が好きになっていた」

 青い瞳がまっすぐに私を見ている。意地悪な笑顔が優しい笑顔へと変わると、私の心がどうしようもなくときめいた。


「もう一度言う。メイリン、俺と付き合ってくれないか。俺はお前の秘密すべてが知りたい」

 久しぶりに呼ばれた名前は、ときめいたままの私の心に優しく響く。


「……少し、考える時間を下さい」

「俺はどのくらい待てばいい?」

「夕日が沈むまで」

 赤く染まった空には、赤と緑の月が輝く。日が落ちて、白の月が昇るのはもうすぐ。


 答えなんてわかっている。意地悪で優しいクレイグから離れたいなんて思わない。


「私の秘密を一生護ってくれますか」

「もちろん。俺が一生独り占めだ」

 瞳を伏せると、クレイグの端整な顔が近づいてきた。ふわりと香るのは、私が作ったトゥーリクの花の香水。クレイグが付けると、爽やかな甘さが増して心地いい。あの時足りないと思ったのは、クレイグの匂いだった。


「私の秘密を貴方に(たく)します」

 それが私の答え。目を閉じると、優しく口づけられて抱きしめられた。


 騎士の抱き枕だった私は、騎士の恋人になった。


 そして私が〝王国の調香師〟になるのは少し未来のお話。

 王妃になったミキャエラ嬢と、ラザフォード侯爵夫人になったお嬢様と、騎士の妻になった私が〝興国の三賢女〟と呼ばれるのは、遥か未来のお伽話。


 ここから、私の幸せな物語が始まる。

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