第五十八話 夢の終わり
クレイグと付き合う。そう考えるだけで嬉しい。この王子妃候補の審査が終わっても、クレイグと会うことができる。
クレイグは王城で、私は侯爵家の王都の上級町屋敷。馬に乗れば近い。休日を合わせて取ることができれば、一日過ごすこともできるし、まとまった休みが取れれば遠出も旅行も可能。
その先は……と考えだすとキリがない。お嬢様の侍女は辞めたくないと思うと、結婚したら王都に家を借りて通うことになるだろうか。
ふわふわとした気持ちで、仕事が手に付かない。お嬢様の食事の毒見の際には、テーブルにスープをこぼしそうになってお嬢様に助けられ、歩いていると何度もつまずいて転倒しそうになる。
「メイ? 疲れているなら、今日と明日はお休みにしましょうか」
「えっ。そ、そんな。大丈夫です。元気です」
嬉しくて浮ついているだけですとは言えずに困り果ててしまう。お嬢様は大変な状況なのにと、気を引き締める。
「最近、お休みをとれていないでしょう? せっかく王城から侍女が来ているのだから、お願いしましょう」
確かに、最近はゴドフリーの件もあって休みは取れていない。
「お、お嬢様、王城からの侍女の方にお願いするのは、三日より前と聞いています」
「そうなの? それなら、三日後ね。……これから私、少し昼寝をするから夕方になったら起こしてくれる?」
「は、はい」
そう言って微笑んだお嬢様は、塔へと戻った。
◆
夕食までは時間がある。塔の控室で私も仮眠を取ろうかと思ってみても、目が冴えていて落ち着かない。クレイグの部屋の残りの石けんを切る作業でもして、心を落ち着けようと思い立って、塔を出た。
塔の入り口には騎士マイルズが立っていた。クレイグの姿はなく、会釈をすれば笑顔で返される。悪い人ではないとは思うのに、ゴドフリーをお嬢様に紹介したというだけで印象は悪い。
「シルヴィア様は?」
「お疲れのようで、夕方までお休みされます」
まさかゴドフリーを塔の内部に案内したりはしないだろう。塔の扉とお嬢様の部屋、寝室にはそれぞれ鍵が掛けられている。
「夕方には戻りますので、よろしくお願いします」
「了解しました。夕方まで塔の番人を務めます」
人の良さそうなマイルズの笑顔に怯む。いざとなれば、魔法使いがいるかと思い直した私はマイルズに挨拶をして塔を離れた。
◆
昼過ぎにクレイグの部屋に行くのは初めてで、どきどきする。使用人用の狭い通路をぼんやりとした魔法灯が照らしているだけで、窓がないから朝でも夜でも暗い。クレイグの部屋の扉の前に立つと、中から小さな話し声が聞こえてきた。
「あれから、何かわかりましたか?」
「特にありません」
静かな男性の声に答えたのはクレイグの声。
「ご自分で直接お聞きになった方がよろしいのではないですか? ジェラルド坊ちゃま」
「……その呼び名はやめてください」
クレイグは坊ちゃまと話しているのかと思った時、突然扉が開いた。目の前に立ちはだかるのは、夜色の髪と瞳の魔法使い。紺色の詰襟の上着に黒いトラウザーズとブーツ。剣帯には剣は下がっていない。
「……メイでしたか」
魔法使いが安堵の息を吐く。部屋の中にはクレイグと魔法使いだけ。クレイグが坊ちゃまと呼びかけたのは……。
「え? ……ジェラルド坊ちゃま?」
「はい」
魔法使いが静かに返事をして、慌てるしかない。髪と瞳の色が違っていたからわからなかった。
「え? あ、あの、髪の色が」
「……魔法剣の魔法効果で色が変わっています」
白い髪に赤い瞳。やせ過ぎで、いつも優しく微笑んでいた少年が、十年でこんなに立派に成長するとは思わなかった。夜色の髪と瞳。背は高く細身に見えても騎士のクレイグに比べてというだけで、しっかりとしている。感情が欠けた表情は、知的で鋭い印象を受ける。
「が、外国からお戻りになっていらっしゃったんですか? 侯爵家からは何の連絡も……」
「……この審査が始まる前に王子から呼び出しを受けて帰ってきました。まだ一度も屋敷には戻っていません」
冷たい声でも、使用人に対しても丁寧に返答する姿は、昔と全く変わらない。部屋の中に招かれて、扉が閉められた。
「人を介さず、最初から直接聞くべきでした。彼女が異世界人というのは本当ですか?」
「え……」
坊ちゃまに問われて反射的にクレイグに目を向けると、気まずい表情で視線を外されてしまった。
「あの……もしも異世界人なら、何か罪に問われるのですか?」
「いいえ。……彼女はその領地経営の手腕を見込まれて、多くの貴族たちに狙われています。誘拐計画が複数立てられていたので、保護する為にこの王子妃候補選びが開催されたのです」
「保護? 王子が?」
「私が保護することになりました。危害を加えるつもりは一切ありません」
魔法使いになった坊ちゃまがお嬢様を護ってくれるとわかると、良かったという思いしか出てこない。
「お嬢様は……アイリ様は異世界人です。坊ちゃまがいない間に、傾いた侯爵家をお一人で立て直されました。お人好しで世話好きで、誰よりも笑顔の素敵な世界一のお嬢様です。だから……絶対に護って下さい!」
ずっと言いたかったことを口にすると、途中で叫びになってしまった。
「はい。必ず護ります。王子妃候補選びが終わった後、彼女は私の保護下に入ります。それまでは世話を頼みます」
「それまでは? 私は一生お嬢様にお仕えすると決めています」
「ラザフォード家のシルヴィアは完全に姿を消すことになります。半年後には、異世界人のアイリとして戻ります」
「え? ……それは、どういうことですか?」
「異世界人として戻った彼女に…………求婚するつもりです」
「ええっ!? 坊ちゃま!? 血は繋がっていなくても義妹ですよ?」
坊ちゃまとお嬢様が結婚。それは理想的すぎる話でも、この国で義兄妹では結婚できない。
「彼女の養子届は王の命令で無効になりました」
「あ……そうですか……」
あまりにもあっけない返事に、肩の力が抜けた。
「保護の準備を手伝って頂けますか? 隠れ部屋に置く家具や服、彼女の好みを知りたいのです」
「はい。それはもちろん。侯爵家の皆も喜んでお手伝いすると思います」
また連絡すると言って、坊ちゃまは部屋から出て行った。部屋に残ったのは、ずっと無言でいたクレイグと私だけ。
「クレイグ……隠し事をせずに、説明して下さったらお話ししたのに」
「あー、誤解してると思うけどな、俺がジェラルド様に情報提供を求められたのは最近の話だ」
そう言われても信じることは難しい。思い返せばクレイグは、私を誘導するようにしてお嬢様の秘密を聞き出していた。
そもそも最初の出会いから、無断で外に麦酒を買いに出ていた私を疑って情報を引き出そうという狙いがあったのかもしれない。
「……抱き枕のお務めも、もう終わりですね」
付き合うという提案も私が好きだからという言葉はなかったと気が付いた。あの楽しかった日々は、私から情報を聞き出す為だったのかと思えば、納得できる。平凡な私が、突然様々な物を贈られて甘やかされたのは、信用させる為だったのか。
「隠し事をしていたのは悪かった。俺を信じてはくれないか?」
「それは難しいお話です」
クレイグを信じたい。そう思えば思う程、迷いが増して苦しい。不注意でお嬢様の秘密を話してしまった私が悪いのだとは思う。それでも、秘密にしてくれるという言葉を信じていた。
私の秘密を知った時、クレイグは護ってくれるのか。
好きだから何でも信じるとは言えない自分がここにいる。秘密を隠し、クレイグの言葉を疑いながら隣にいることはできない。
「……昨日の答えが出ました。私は、貴方とお付き合いできません。もう何を信じたらいいのかわからない」
私が出した答えを、クレイグは黙って聞いていた。