第五十七話 騎士の恋人
令嬢の中に出来た三つの派閥の均衡が崩れていく。グラスプール公爵家のオリアーナ嬢、テンバートン公爵家のマーゴット嬢と行動を共にしていた令嬢たちがみるみるうちに数を減らしていく。
ミキャエラ嬢は集団で行動することは求めない。派閥の令嬢たちはそれぞれの日々を自由に過ごしていて、何かあるとミキャエラ嬢が先頭に立ち、理不尽も強要もすべてを正論で覆す。その強さは、見ている私たちにとっては爽快感を与えてくれる。
その状況が危ういと心配するお嬢様は、ミキャエラ嬢に完全に避けられていた。話をしようと近づいただけで走って逃げるのだから、あからさますぎて笑うしかない。
「……私は、私のできることをするだけね」
仕方ないと溜息を吐いて、お嬢様は他の悩みを抱える令嬢たちへと目を向けた。
◆
クレイグとマイルズがお嬢様の護衛についていても、ゴドフリーはやって来る。そろそろ止めて欲しいと願っても、王子からは何の指示もない。
「少しお時間を頂けませんか?」
「……何でしょうか?」
庭の小道に置かれた長椅子にお嬢様を座らせて、ゴドフリーは屈み込むようにして話し掛ける。私はお嬢様の横で黙って控えているしかない。
「焼き菓子です。どうぞ」
「ありがとうございます。先日は桃のケーキをありがとうございました。とても美味しかったです」
もちろんそれはクレイグが買ってきてくれた同じケーキの感想。惚れ薬が入っていたケーキは速攻処分した。
「ああ、食べて下さったのですね。気に入ったのなら、またお持ちしますよ」
「いいえ。毎回、頂くばかりで恐縮するばかりです。頂くのはお気持ちだけで結構ですので、どうかもうお持ちにならないで下さい」
お嬢様は一旦受け取った箱を、ゴドフリーに返した。
「それでは、お菓子の他に何かお好きな物がありませんか?」
「他にと仰られましても……」
いつもよりも、紫リンゴと花が強く香る。どんなに美形でも、そろそろこの匂いが嫌いになりそうで気分が悪い。
「宝石やドレスはお好きではないのですか?」
「見るのは好きですが、特に欲しいとは思いません」
「どうしてですか? 可愛らしい貴女が着飾れば、もっと可愛らしくなる」
「……宝石やドレスよりも、甘いイチゴが好きです」
「イチゴ? 果物の?」
「ええ。領地に温室を作って一年中食べられるようにしています」
温室といえば、貴族が花や植物を鑑賞する目的で作られるのがこの国での常識だった。お嬢様はそれを農作物の為に作らせて、実験的な収穫を行っている。
「貴女の知識の豊富さには感服致します。私にも、その知識を分けて頂けませんか?」
「それは……」
「私は貧しい者を救いたいのです。私と一緒に……」
跪いたゴドフリーがお嬢様の手を握ろうとした時、近くの茂みが大きく揺れた。
「あら! 猫だわ! 待って!」
ゴドフリーの手を避け、お嬢様は猫を追いかけて走っていく。本当に一瞬のことで、私には猫の姿は見えなかった。
「お、お嬢様っ!? も、申し訳ございません! 失礼致します!」
苦笑して立ち上がるゴドフリーとすれ違った時、薄荷に似た香りを拾う。記憶の端に引っ掛かるものを感じながらも、私はお嬢様を追いかけて走り出した。
◆
「お嬢様ー! どこですかー!」
中庭は広い。木々や花々が生い茂り、その広さは人一人くらい簡単に隠してしまえる。とにかく歩き回っていると、少し離れた場所の枝が風もないのに揺れた。もしかしたら魔法使いかもしれないと、揺れた枝の方向へと歩く。次々と案内の合図があって、お嬢様が隠れている場所へとたどり着いた。
白い花が咲く茂みの中でお嬢様はしゃがみ込んでいた。花に埋もれる姿は可憐で可愛らしい。
「お嬢様、よかったー! 猫は捕まえましたか?」
「ごめんなさい。猫なんていなかったの」
手を握られるのが嫌で逃げたとお嬢様は笑う。
「ちょうど風で茂みが揺れて良かったわ」
あれも魔法使いの仕業ではないかと気がついた。王子と過ごしているはずなのに、お嬢様が心配だったのかもしれない。本当に良い人だと思う。やっぱりお嬢様を任せることができるのは魔法使いだけ。
「図書室で時間を潰してから戻りましょうか」
「はい。それがいいと思います」
お嬢様と私は笑いながら図書室に入り、本を読んで過ごした。
◆
使用人食堂での夕食を終え、外に出るとベリンダが待ち構えていた。
「メイ! もう! 大人しい顔して、良い男捕まえてたのね!」
突然そう言われてもどう返事をしたらいいのかわからない。クレイグのことかと思いながらも、私は抱き枕でしかない。
私がクレイグの部屋で夜を過ごしていることを知っているのは、魔法使いと間諜、部屋付きの使用人くらいだろう。この国では部屋付きの使用人は、その部屋での秘密を外に漏らしてはいけないというのが契約に入っているし、いつも使用人通路を使っているから私が出入りしていても誰も気にも留めない。
「今日、クレイグっていう騎士に声掛けたら『私には恋人がいる』って! 恋人ってメイなんでしょ?」
「ど、どうして私だと?」
クレイグがそう言ったのだろうか。跳ね上がる鼓動はあっという間に頬を熱くする。
「他の子たちに聞いたのよ。休みに一緒に出掛けてるんでしょ? いいなー。私も早く捕まえなきゃ!」
隠れるように人目を忍んで出掛けていても、厩舎で働く人々や門番には知られている。実は皆が知っているのかもしれないと思うと、羞恥が頬に集まっていく。
「ねぇ、どうやって落としたの?」
腕に抱き着きながらベリンダが迫る。柔らかな胸の感触が腕に当たって、何故かどきどきしてしまう。
「お、落とす?」
どういえばいいのかわからない。毎日抱き枕の状態で、恋人になった記憶はない。
「ほらほら、教えなさいよー! 私も真似して他の騎士サマ狙うから!」
「えーっと、その……一緒にお酒を……」
何か話をしないと解放されそうにないと思った私は、正直に口にした。
「まぁっ! 大人しそうな顔して、何て大胆なのかしらっ! 素晴らしいわっ! その手があったのね!」
きらきらと至近距離でベリンダが目を輝かせる。私は嘘は言ってはいない。現時点では恋人ではなく抱き枕だと言わないだけで。
「よしっ! 私も騎士サマと飲みに行くっ! 教えてくれてありがと、じゃあねー!」
走り去って行くベリンダに手を振って見送った後、落ち着かない鼓動を抱えたまま、私はクレイグの部屋へと向かった。
◆
固まった石けんを型から出して切り分け、先日作った香水を何度も試香しながら、期待と不安を抱えて過ごす。
「恋人がいる。……それは、誰? ……それは、私?」
繰り返すつぶやきは、香りの中に消えていく。
恋人は私なのか、それとも、実は別に本当の恋人がいるのか。今まで出会ったクレイグの友人たちや知人の反応から考えると恋人がいるとは思えない。それでも、もしかしたらと考える。
浮足立ちそうな気持ちと、沈むような気持ちが刻々と入れ替わり、胸の鼓動は治まらない。
落ち着く為に深く深く息を吸いこんで吐き出した時、扉が開いてクレイグが戻って来た。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
いざクレイグの笑顔を見ると、あれだけ聞きたいと思っていたことが口に出せない。上着を受け取り、いつもよりも丁寧にブラシをかけて、服掛けに整える。
浴室から出てきたクレイグに花茶を出しても、聞く勇気が出ない。
「さっきから、どうした? 顔を赤くしたり青くしたり、忙しいな」
優しく手を引かれて膝の上に乗せられると、さらに混乱するしかない。聞きたいという気持ちと、聞きたくないという気持ちがせめぎ合う。
「あ、あ、あの……恋人がいると聞いたのですが……」
「ん? ああ、聞いたのか。困ったな……」
私に知られて困るということは、恋人は別にいるのだろうか。さっと血の気が引いていく。
「いつも聞かれたらそう答えてる。はっきりと言っておけば、二度と絡まれることはないからな」
クレイグの意地悪な笑顔を見て、がっかりする自分と、ほっとする自分の心を自覚して笑うしかない。
「俺と付き合うか?」
「え?」
今、何を言われたのか、本気で理解できなかった。
「もう一度言うぞ。俺と付き合わないか?」
「え、え、えーっと。そのっ……か、考えさせて下さい」
驚き過ぎて即答が出来ない。何が起きているのか、これは夢なのではないかと、頬をつねってみると痛い。
「こら。頬が赤くなってるぞ。……この王子妃候補選びが終わるまでに答えを出してくれないか?」
「は……はい!」
つねった頬を撫でるクレイグの指は優しい。嬉しくて嬉しくて、鼓動が高鳴る。答えなんてわかりきっている。それでも、答えをすぐに口にするのは恥ずかしい。
「それまでは、俺の抱き枕でいてくれ」
胸のどきどきが収まらないまま、今日も私は健全な抱き枕の務めを果たした。




