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抱き枕の侍女と意地悪な騎士  作者: ヴィルヘルミナ


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第五十三話 魔性の女

 いらいらとしながら、クレイグの部屋の中を歩き回る。早く、早く帰ってきて欲しい。騎士の待機場所に行くことも考えたけれど、マイルズに見られたくなかった。


 ゴドフリーは何故、お嬢様に惚れ薬を盛ることにしたのか。お嬢様の心を操って何をしようとしているのか。本当に酷すぎる。


 何十回と歩き回った時、クレイグが戻って来た。

「クレイグ! 酷いです!」

「は? 俺が何かしたか!?」

 驚いた顔のクレイグに、私はケーキに盛られた薬の話を説明する。混乱して何度も同じことを言ってしまっても、クレイグは辛抱強く聞いてくれた。


「……ゴドフリー様が?」

 口を片手で覆ったまま、クレイグは沈黙した。私よりもゴドフリーの方を信用してしまうのだろうか。心配で胸が締め付けられる。


「……そのケーキがこれか」

「はい。リンゴのケーキを切った後、薬を振りかけています」

 クレイグが慎重な手つきで蝋引き紙(ワックスペーパー)を開いてケーキの断面を覗く。切られたリンゴと甘いスポンジが層になっていて美しい。


「試薬に反応しないんだったな」

「そうです」

 クレイグはケーキを睨みつけたまま再び沈黙に落ちた。視線が動かないので、何を考えているのかさっぱりわからない。


「……わかった。俺に任せろ」

「どうするのですか?」

「あの人と話してくる。場合によっては王子にも報告することになるだろう」

 厳しい表情のまま、クレイグは箱を持って部屋から出て行ってしまった。


      ◆


 クレイグが戻ってきたのは、日が変わった深夜。手には籠が下げられている。

「クレイグ! どうでしたか?」

「明日、俺と一緒に菓子職人のシリルの店に行ってくれるか?」

「はい。やはりあれはシリルが焼いたケーキなのですか?」


「あの箱はシリルの店のものだ。シリルが関わっているのか確認したい。……お前、夕飯食ったか?」

「え? あ! 忘れてました……」

 手渡された籠の中には、肉やチーズが挟まれたパンが五つ入っている。美味しそうな匂いに刺激されたのか、急にお腹が空いてきた。


「俺も少し食うから、茶を淹れてくれないか?」

 クレイグの求めに応じて、温かい花茶を淹れる。一緒にパンにかじり付くと、まだほんのりと温かさが残っていて、ほっと肩の力が抜けていく。


 私がパンを二つ食べ終えた所で、クレイグが口を開いた。

「……ゴドフリー様が姫さんに急に接触したのは、婚約者候補がいるっていう情報を手に入れたんじゃないかという推測だ」

「私の嘘が……こんなことに……」

 目の前が真っ暗になった気がした。震える手がテーブルに置かれたカップを揺らす。


「遅かれ早かれ、起こっていただろうから気にすんな」

 クレイグが私の手を引いて、膝に乗せる。震える体を抱きしめられると、少しだけ安心できた。


「ゴドフリー様は、姫さんが王子妃候補にはならないとご存知だ」

「え?」

「……誰にも言うなよ。王子には、今回の審査の中で気に入った令嬢がいる。ほぼ決まっていると言ってもいい」

「それじゃあ……苦労している侍女や令嬢たちは、無駄なことをしているのですか?」

 あまりにも衝撃的な言葉に、頭が真っ白になった。


「そうだな。ただ、この経験が無駄になるかどうかは、本人次第だ」

「一日も休めずに、体を壊してしまいそうな侍女もいます! 令嬢たちの精神状態も限界に近いとお嬢様が仰っていました! 経験だとか、そんな話の前に、心と体の健康を考えて下さい!」

「それは……王子に報告しておく」

 叫んでから審査のことでクレイグに怒りをぶつけても仕方ないと気が付いた。


「ごめんなさい。頭に血が上りました。……ゴドフリー様は、お嬢様の婚約者になるつもりなのでしょうか」

「そう……だろうな。俺と話していた時には、姫さんが十七だと思っていらっしゃって、三十四歳だと倍の年齢だし、下手をすると親子程の年齢差だから無理だろうと仰っていた」


「実際の年齢を知った……とか?」

「いや。俺は誰にも話してないから知らないだろう。他に漏らしそうな奴はいるか?」

「侯爵家の中にはいないと思います」


「じゃあ、十七と思ったままか。……お前の姫さんは魔性の女だな。普段真面目な人間が、なりふり構わず本気で堕ちていく」

「そんなこと言う口は痛い目にあわせますよ。私のお嬢様は、魔性などではありません。賢者で教師です」

 むにゅりとクレイグの頬を指でつまんで引っ張る。お伽話に出てくる魔性は、悪魔とも言われる不吉な存在。そんな物とお嬢様を同一視してもらっては困る。


「わかったわかった。俺が悪かった。ほら、もう寝るぞ」

 苦笑するクレイグに、私は頷くことしかできなかった。


      ◆


 お嬢様の朝食に同行し検査を行っても、食事にはこれまで通り何も入ってはいなかった。外出の許可をもらい、私はクレイグとシリルの店へと向かう。


「いいか。いつも通りに振る舞ってくれ。それから、何か異常を感じたら俺の手を握ってくれ」

「はい。わかりました」

 店に向かう途中、クレイグの表情は硬い。店の扉が見えると気のせいか歩く速度が遅くなる。


「開けるぞ」

 クレイグが深く息をしてから、扉を開けた。ふわりと甘い焼き菓子の匂いに体が包まれる。ちょうど焼いているのか、店内の空気が熱い。


「いらっしゃーい。あれ、クレイグ。あ、おねーさんも、こんにちはー」

 店の奥から出てきて、にこにこと笑うシリルは、先日と全く変わらない。


「赤リンゴと黄リンゴのケーキはあるか?」

「あるよ。五日前に焼いて熟成したのが」

「じゃあ、それを一つ」


「リンゴ、リンゴ、リンゴ! 最近リンゴは流行りなのかな? 昨日、ゴドフリーもこのリンゴのケーキを買っていったよ」

 手のひらを空に向けて、肩をすくめる姿は喜劇役者のよう。昨日のことが無ければ、楽しい人だと思えたのに、今日は恐ろしく見える。


「ゴドフリー様がいらっしゃったのか? お忙しい方だぞ」

「そうなんだよねー。最近、よく来るんだ。一人で食べきれる量でもないし、王子がどこかで配ってるのかな?」

 大量にいろんな種類を買っていくとシリルが言う。


「おねーさんは、どんな花が好き?」

「え? えーっと。〝女神の涙〟でしょうか」

 ありとあらゆる花が好きで選ぶことなんてできない。それでも真っ先に思い浮かんだのは、クレイグに買ってもらった香水に使われている、異世界のスズランに似ているという花。


「あー、あれは毒があるんだよねー。他には?」

「ト、トゥーリク」

 シリルの口から毒と聞いて、一瞬で背筋が寒くなる。反射的に思いついたのは砂糖菓子のような白い花。


「ん? どんな花だっけ?」

「魔物の森に咲く白い花だ」


「えー、それは使うのは怖いなぁ」

「何をするんだ?」

「今度、花を使ったケーキを焼こうと思ってるんだ。だけど僕は全然花なんて興味ないし」

 あごに手を当てて首をかしげる姿は、少年のようで可愛らしい。


「薔薇やスミレなら、多くの女性が好むと思います」

「それだとありきたり過ぎるんだよねー。うちの店だけのケーキを作りたいんだ」

「で、では、氷スミレとか?」

「何それ。初めて聞くよ」

 シリルの瞳が、遊びたいと思っている猫のようにきらきらと輝く。


「そっかー。入手は困難なのか」

 一年中氷で閉ざされた場所でしか咲かないスミレの一種と説明すると、シリルは大袈裟に肩を落とした。眉をひそめて残念がる表情は、憐れみを誘う。


「アラステアに入手方法を聞いてみたらどうだ?」

 クレイグの発案は良いと思う。五年ぶりとはいえ、アラステアは山のような氷スミレを手に入れている。


「アラステア? 誰だっけ?」

 シリルが目を瞬かせた。

「前に飲んだ時、一緒にいただろ? 果実宝石(フルーツジュエリー)作ってる奴」

「そうだっけ? 覚えてないなぁ」

 シリルの返答に血の気が引いていく。そっとクレイグの手を握ると、強く握り返された。


「まぁ、仕方ないな。今度また飲みに行った時に聞いてくれ」

 苦笑したクレイグは、ケーキの他にもいろんな焼き菓子を買って、シリルの店を後にした。

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