第五十一話 あらゆる可能性
朝食後、使用人食堂を出た所でベリンダに話し掛けられた。
「メイ、ラザフォード侯爵家のシルヴィア様って知ってる?」
「え?」
返答に困って黙っていると、ベリンダが笑いながら背を叩く。
「いいのよ、いいのよ。あー、やっぱ話しちゃダメって言われてるのかー。誰に聞いてもそれは話せないって言われるのよねー」
「どうして知りたいのですか?」
「昨日、休みで外に出掛けたら、立派な服着た人が声かけてきて、シルヴィア様はどんな方なのか教えてくれたら小遣いくれるって言ったのよ。でも、私も他の子も令嬢の名前なんてわからないし、知らないって言ったら調べて欲しいって」
周囲に行き交う人がいるのに、大きな声で話すベリンダに悪意はないのだと思う。
「見ず知らずの方に勝手に教えてしまうのは、良くないことだと思いますよ」
「でもさー、息子とどうしても結婚させたいって言われたら、頑張れって思っちゃうじゃない?」
「シルヴィア様にはすでに婚約者候補がいらっしゃると聞いています」
「えっ? そうなんだ。何、もしも王子妃に選ばれたら、婚約者捨てるってこと? うっわー。貴族って可哀想ー」
「こ、候補です。決まってはいません」
咄嗟に吐いた嘘がベリンダに曲解されていく。面白いと目を輝かせるベリンダに訂正もできない。
「ありがとー、じゃあねー」
手を振って走っていくベリンダの後ろ姿を見ながら、私は自分の嘘を後悔することしかできなかった。
◆
塔の控え室に戻ってから、時間を見計らってお嬢様の部屋へと入ると、今日のお嬢様も支度は完璧に終わっている。手伝うことがあるとしたら、脱色し残した部分があるかどうか確認するくらい。
「メイ、どうしたの? 気分がすぐれないようなら、休みにしましょうか?」
「いいえ。……あの……この審査が終わったら、どうなるのでしょうか」
お嬢様が屋敷に戻れば、求婚者が列を成して訪れるかもしれない。その前に、あの側近と話す機会が作れないかと思う。毎日声を掛けてくるのはマイルズだけで、人の良いお嬢様は無下には出来ない。
「そうね……屋敷に帰ったら、まずは免税証をジェラルドお義兄様に託して……どうしようかしら。まだ決まっていないの。後一月半で決めなければいけないわね」
働きに出たいとお嬢様は微笑む。もしも結婚せずに働くことになったら、魔法使いは護衛を続けてくれるのだろうか。
「もっと休みを取っていいのよ? 審査が始まってから六日しか休みを取っていないでしょう?」
「お嬢様、他の侍女は一日も休みを取っていません。私の待遇は良すぎます」
今回の審査では令嬢に侍女が一人しか就いていないので、侍女は休みを取ることができずにいる。お嬢様のように何でも一人でできる令嬢はいない。休みの度にクレイグと馬で出掛けて遊んでいるなんて、他の侍女が知ったら妬まれてしまう。
「王子は、何故このような条件を出されたのでしょうか」
「そうね……推測でしかないけれど、王子は何もできない令嬢は求めていらっしゃらないのよ。屋敷で大勢の使用人に傅かれるのではなく、いつもとは違う環境で令嬢がどう振る舞うのか。制限された環境の中では、その人の本性が出やすいの。それを確認しようとされているのかも」
「それでは、いつも侍女を怒鳴りつけている令嬢は王子妃候補には選ばれませんね」
一月半が過ぎ、不自由な環境で令嬢たちの雰囲気は悪い。三つの派閥間で行われる争いが過激になっているのは、不満のはけ口になっているのかもしれない。令嬢同士の言い争いまでが起きるようになり、お嬢様が慌てて割って入ることも多い。
「それはどうかしら。見ていて気分が悪くても、はっきりと意思を示せるということでもあるし。人を従わせる力があると見ることもできるのよね。何の基準も示されていないということは、あらゆる可能性があるということよ」
立ち上がったお嬢様は、塔の窓を開け放つ。爽やかな風が部屋を通り抜け、髪に結んだリボンが揺れる。
「未来の王妃として相応しい方は、たくさんいらっしゃると思うの。所作が美しくて声が魅力的な方、歌声が素晴らしい方、物語を書く方、植物の研究をされている方、美しい絵を描かれる方。刺繍が得意な方もいらっしゃる。皆、それぞれの才能をお持ちだわ。多少性格に難があっても、これから成長していける。……若いというのは、とても大きな未来の可能性を持っているということよ」
うらやましい。そんな心の声が聞こえた気がした。
お嬢様は王子妃になることを望んではいないのかもしれない。それなら、何故、この審査に参加されたのか。私には全く理解できなかった。
◆
帰ってきたクレイグに花茶を出して椅子に座る。テーブルを挟んで対峙するのではなく、何故か隣りに椅子を置いて座るのが定位置で、ちょっと嬉しい。
「どうした? 浮かない顔だぞ」
「……厨房担当の女性から、お嬢様のことを聞かれました」
ベリンダの名前は伏せて説明するとクレイグが眉をひそめる。
「いろんな人間に話しているのなら、すでに間諜が知っているだろうから、その貴族が誰なのかもわかるだろう。姫さんに婚約者候補がいるっていうのは、いい牽制になるかもな。……しかし、どこまで金鉱脈の話は出回ってるんだろうな。誰が漏らしたのか調べてはいるが、疑われている者は全員否定してるらしい」
「侯爵家の人々は、金鉱脈の話は全然知らないようです。報告書にも一切書いてありません」
溜息を吐いた時、クレイグが私の手を引いた。椅子から立ち上がった勢いのまま、クレイグの膝の上に乗る。
「……何をするのですか?」
「ガウン一枚では寒くてな」
私が着ているたっぷりと布を使った綿の夜着がクレイグの膝の上に広がる。
「寒いのなら、上着を着れば良いのです」
口から心臓が飛び出そうなくらいにどきどきしても、クレイグにとってはただの抱き枕。少しでも座り心地の良い姿勢を求めて体を動かす。
「こら。動くなよ」
「膝の上がこんなに座りづらいものだとは知りませんでした」
「そうか?」
「硬いです。ごつごつした岩の上に座っている気分です」
騎士の太ももは、筋肉質で硬すぎる。
「こらこらこら。動くなって」
何故か耳を赤くしたクレイグが、私を横抱きにして立ち上がった。
「早いが寝るぞ。俺が限界だ」
「はい」
ベッドに花嫁のように運ばれた私は、今夜も健全な抱き枕の役目を全うした。




