第四十九話 騎士の妻の座
朝食を取った後、塔に向かう途中でカゴいっぱいのジャガイモを抱えた女性が前から歩いてきた。カゴには前も見えないくらいに積まれていて、とても重そう。
「あの、手伝いましょうか?」
侍女の仕事ではないと思いつつも、こんな時、お嬢様なら手伝うだろうと考えてしまった。
「助かるわー! 大変だったのよ!」
カゴを持っていたのは、波打つ茶色の髪に薄茶色の瞳で赤い口紅が目を引く美女。とはいえ私よりも明らかに若くて二十歳前後。
カゴの持ち手を二人で持っても重い。一人で運んでくるのは重労働だっただろう。
「私、ベリンダ。厨房担当よ。貴女は?」
「私はメイ。侍女をしています」
「へー。侍女なのに、こんなの手伝ってくれるんだ? 優しいのねー。侍女って、もっと冷たい人たちって思ってた」
あからさまな言葉でも明るい笑顔で言われると、素直な気持ちなのだろうと感じてしまう。
「服、汚れるわよ?」
「汚れたら洗いますから。エプロンは付けないのですか?」
ベリンダの紺色のワンピースにはジャガイモの土汚れが付いている。
「エプロンって、色気ないじゃなーい。騎士サマ落とす為に来てるんだから、野暮なエプロンするのは厨房の中だけよ」
大きく開いた襟ぐりはその為か。私よりも若干豊かな胸が半ばまで見えている。……私もこのくらい露出すれば、クレイグは反応してくれるだろうか。
「お見合いは始まっているのですね」
「そうなんだけどー、騎士サマは礼儀正しくてつまんないのよね。従僕の方はじゃんじゃん引っかかってくるけどー。やっぱ地位があってお金持ってる方がいいものねー」
若くて美人なベリンダなら、とても持てはやされると思う。
「メイは既婚?」
「……いいえ」
「あー、そんな感じするー。なーんかねー。騎士サマたちは侍女の方に興味があるらしくてねー。でも、負けないわよ。この仕事が終わるまでに騎士の妻の座を掴むわ」
ベリンダの鼻息は荒い。せっかく話し掛けてくれているのに、この勢いが怖くて乾いた笑いしか出てこない。
「ここでいいわ。ありがと、メイ」
「どうしたしまして」
厨房の扉が開くと、部屋の片隅に金髪が見えた気がした。この国で金髪は珍しく、いままでミキャエラ嬢しか見たことは無い。国中の美人が呼び集められているのかもしれない。
「またねー!」
「え? あ、ええ。また」
明るく手を振るベリンダに手を振り返して、私はお嬢様が待つ塔へと向かった。
◆
木箱三つ分のトゥーリクの花から、小瓶六つの精油が採れた。これは想像以上の収穫。花の量から考えると普通の五倍以上ある。
「単体でも十分かも……」
他の花の精油も作って調合しようと考えていたのに、これだけで十分な深みを感じる。遊ぶのは香水を作る時にしようと考えて、まずは香油作りに取り掛かる。
花の香りを抽出した精油を油に溶かしていく作業は慎重さが必要。セトルの油を量りながら少しずつ注ぎ入れ、香りを確認していく。
「この量がいいかも」
配合の比率を紙に書き留める。今までは自分の物だけだったから、適当でも良かった。これはクレイグの物だから、いつでも再現できるようにしておきたい。
二種類の香油を作った後、簡単にできる整髪料を作ろうと思いつく。クレイグはいつも整髪用の脂を使っていて、良い匂いではあるものの、どうせなら全部の香りを統一したい。私は動物の脂は苦手なので、樹木から採れる蝋を使う。
燃焼装置で瓶に入れた蝋を温め、柔らかくなった所で火からおろして精油を混ぜていくと色が変わった。淡い淡いほのかな紅色が可愛らしい。混ぜ切れていない部分がよくわかって作業性も良い。
セトルの油と違って、蝋は雑味のある独特の樹脂の匂いがある。匂い消しに柑橘か薄荷を少し加えた方がいいかもしれない。
混ぜる手を止めた時、背中から抱きしめられて鼓動が跳ね上がった。
「え? あ、あの……」
そうだ。作業に夢中でクレイグの存在を忘れていた。頬が熱くなっていく。
「もうすぐ日が変わる。キリの良い所で終わらせろ」
クレイグを出迎えてから、そんなに時間が経っていたのか。首だけで振り返ると、優しく微笑む端整な顔が近すぎる。
「……もう少しだけ……」
「そんな顔しても駄目だ。明日も早朝から仕事だろ?」
抱きしめられたまま囁かれると、もう抵抗できない。
「わかりました」
私は手にしていた道具を置き、クレイグの抱き枕になって眠りについた。




