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抱き枕の侍女と意地悪な騎士  作者: ヴィルヘルミナ


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第四十七話 トゥーリクの花の香り

 今日は、伯爵家以下の令嬢たちと王子のお茶会が中庭で行われている。その間、他の令嬢は中庭には近づけない。


 古城の談話室の一つで、お嬢様はずっと別の侯爵家の令嬢と話をしている。扉が閉められ、私と令嬢の侍女は誰も近づかないように見張りをするばかり。


「……シルヴィア様は、優しい方ですのね」

 ずっと無言を貫いていた侍女が口を開いた。私よりも少し年上だろうか。静かで落ち着いた印象を受ける。

「はい。誰にでも優しい方です」

「私のお嬢様も優しい方ですのよ。ただ、控えめ過ぎて何かをお話しになるのがとても苦手で」


 昼食を終え図書室へと向かう回廊で、令嬢は青い空に浮かぶ赤い月と緑の月を見つめていた。その茶色の瞳がガラスのようで、まるで人形が立っているような気がして恐ろしいと感じた。お嬢様は私の視線に気が付いて、慌てたように令嬢に話し掛けて談話室へと入っていった。


 何を話しているのか全くわからない。きっと出てきてもお嬢様は自分の発言以外は何も教えてはくれないだろう。


 日が傾きかけた頃、お嬢様と令嬢が部屋から出てきた。令嬢の頬は赤く瞳には生気が宿り、単なる美しい人形ではなくなっていた。

「また何かお話ししたいことがありましたら、お呼び下さい」

 お嬢様はそう言って、令嬢の手を両手で握る。

「……ありがとう」

 令嬢は小さな小さな声でお嬢様にお礼を告げて、自分の部屋へと戻って行った。


      ◆


 今日も早めの夕食を終え、塔へ戻る途中にお嬢様に聞いてみた。

「お嬢様、今日は何をお話しになっていたのですか?」

「失敗しても落ち込まない方法とか、そんな話を」


「そんな方法があるのですか?」

「何か失敗した時って、どうして失敗したのか、次にはどうしたらいいのかって考えなきゃいけないみたいなことをよくいわれるでしょう?」

「はい」

 次に失敗しない為にどうすればいいのか。改善を繰り返してより良い結果を求めていくというのは、自分の成長の為に必要だとは聞かされている。


「でもね、そんなこと考えたくない程、思い出したくもない失敗もある」

 それは確かにある。私もクレイグとの出会いの失敗は思い出したくもない。


「そういう時には、私はもう考えないの。何がどうこう考えたって時間は巻き戻せないから、完璧な人間じゃなくてもいいよね、って肩の力を抜くの」

 お嬢様の話は難しい。私は何度も何度もあの失敗を思い出して後悔するだけで、考えないようにと思えば思う程、さらに考えてしまう。


 あのお酒を飲まなければ、私は抱き枕にならなくて済んだだろう。でも、それだと騎士と侍女では接点がない。毎日一緒に過ごす機会もなかった。


「自分ではとんでもない失敗って思っていても、他人から見れば些細なことの方が多いのよ。あまり自分を追い詰めないのが、落ち込まない秘訣の一つだと思うわ」

 クレイグは、あの失敗をどう思っているのだろう。そして、私をどう思っているのだろう。


 女は必要ないと言っていた。一緒のベッドに寝ていても、全く手を出さないのは、やっぱり抱き枕としか認識していないのかもしれない。――考えても考えても答えがでない。自分を追い詰めないようにと私は気持ちを切り替えた。


      ◆


 塔の自室に一旦戻り、クレイグの部屋に向かう。支度をしてから蒸留装置に掛けられた白い布を取り除く。新しくて懐かしい輝きに、頬が緩むのは止められない。


 蒸留装置の一番大きなガラスの容器にトゥーリクの花をいっぱいになるまで放り込む。蒸気が素通りしてしまわないように、ぎゅうぎゅうに隙間なく押し込んでフタを閉じる。見た目よりも遥かに多くの量が入ることは経験で知っている。初めて扱う花がどんな香りになるのか、とても楽しみ。


 水を入れた巨大で丸いガラス瓶の底を、魔法石を使った燃焼装置で温めていく。このガラス瓶の中で発生した蒸気は細いガラス管を伝って、花が詰まった容器の底から上に抜ける。


 花から出た香りの成分を含んだ蒸気は、水が入った冷却装置を通り、精油と芳香蒸留水が混ざった液体として出口で採取される。


 水が沸騰し始めて、蒸気がガラス管を通っていく。白い花が蒸されて少しずつ体積を減らしていく。曲がりくねった冷却管を通り、最初に噴き出すのは揮発性の高い香りを含んだ蒸気。柑橘のような甘さが部屋に充満する。


 蒸気が収まると、ぽたりぽたりと水滴がガラス瓶に落ちて行く。最初は蒸留水、静かに見守っていると、溜まった水にわずかな油が混ざり始めた。


 トゥーリクの花の精油は、ほぼ透明。思っていたよりも量が採れている。時々、冷却水を取り替えながら蒸される様子を眺める。昔、祖母がこの装置を使っている横で眺めているのが好きだった。祖母の思い出は優しいものばかりで、頬が緩む。


 椅子に座って眺めていると、部屋の扉が開いた。

「ただいま」

「あ! お帰りなさい!」

 小走りでクレイグを迎えて、上着を受け取る。


「お、使ってるのか。良い匂いだな」

「はい!」

 この香りを気に入ってくれそうでよかった。


「へぇ。こうやって香油を作るのか。花を蒸して、このガラス管を通って、ここが出口か」

 クレイグも楽し気に指さしながら辿っていく。すべてガラスで出来ているから、蒸されていく過程をすべて確認することができる。


「結構量ができるもんだな」

「全部じゃなくて、その上澄みだけが精油です」

 クレイグが指さすガラス瓶に溜まったほとんどは蒸留水。


「待て待て待て。嘘だろ。この容器にいっぱいの花から、たったこれだけしか採れないのか?」

「え? そうですよ。これでも沢山採れている方です」

 大きな木箱半分の花から、小瓶一つというのは効率が良い方。同じ花の量でも小瓶半分しか採れない物もある。


「あー、だから香油は高いのか」

「自分で作ると安くできます」

 話している間に水しか出て来なくなったので、燃焼装置を消して冷やす。


 分離した精油を小瓶に移して香りを確認すると、生花そのままの匂いがしっかりと残っている。新緑のような爽やかさと、ほのかな柑橘系の甘さ。花だけを蒸したので香りの雑味はほぼない。


「それはもう使えるのか?」

「いいえ。少し寝かせて加工してからですね」

「その残った水は?」

「初めての花なので試してみないとわかりませんが、大抵はこのまま化粧水として使えます」

 芳香蒸留水は、新緑より柑橘の甘さが強く残っている。


「俺は化粧水は使わないから、使っていいぞ」

「いいんですか? ありがとうございます!」

 持参していた化粧水を三カ月持たせる為に、けちりながら使っていたから、これが使えるなら嬉しい。


「頑張って、良い香水と香油と石けんを作りますね」

 クレイグが心地よく使ってもらえる香りを作りたい。私は心の中で目標を確認していた。

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