第四十六話 物忘れの薬
カーティスやアラステアの店を回り、今日も蝶が舞う料理店が最終目的地。かなり早めの夕食にも個室が用意されていて、二人きりの時間が始まる。
「これ、生魚ですよね!」
中央には塩漬けでも干したものでもない大きな川魚の香草焼きが置かれ、クレイグがナイフで切り分ける。川魚特有の生臭さは香草で気にならない。ほくほくとした白身はそのまま食べてもいいし、添えられたソースを付けても美味しい。
食事が終わりかけた頃、クレイグが話を切り出した。
「菓子職人のシリルの話だが……」
「王子に似てますよね。何か訳ありなんですか?」
菓子店を出た直後に話題にした時、何故かクレイグはその話は後でと言って、話題を変えてしまっていた。
「ああ。昔……八年程前になるか。王族を殺してシリルを王子に仕立てようとした謀反があった」
「え? そんな話聞いたことはありません」
いきなり始まった恐ろしい話で完全に手が止まる。
「関与した人間は殆ど死んでるから噂にもならなかった。視察に出掛けた王と王妃、王子を……あの最強の護衛が護りきったんだ。王城にいた俺が知らせを受けて駆け付けた時、あの人は王と王妃を背に庇い、王子を抱きしめていた」
護っていた騎士や兵士は殺されて、誰も残っていなかった。百名以上の反乱軍をたった一人で殲滅したと聞くと、とても強くて恐ろしい魔法使いだと思う。でも、それならお嬢様を絶対に護ってくれるだろうとも思う。
「謀反を企てた貴族は処刑され、王子に似ているからというだけで連れてこられたシリルは、物忘れの薬を定期的に飲む条件で生きることを許されてる」
「そんな……酷い……」
シリルの物忘れは薬のせい。体で覚えたことや習慣は忘れなくても、それ以外のことは簡単に忘れてしまう。
「本当は一緒に処刑される所だったんだ。遠くの村からさらわれて、理由も説明されないままに死ぬ寸前に王子が助けた」
助けることに対して、同じことが起きないとも限らないと反対の声もあった。だから薬を飲ませて、辺境のこの町で監視されている。
「菓子職人になりたいというのは、シリルの夢だったんだ。指導した職人が良かったのか、元々の資質だったのか、シリルはすぐに店が出せる程の腕前を見せた。実際、美味いだろ?」
「はい。とても美味しいお菓子でした」
一度食べたら、また食べたくなる忘れられない味だと感じた。
「クレイグもシリルを監視しているのですか?」
「いや。俺は無事を確認しに時々通ってるだけだ。普通に生活する分には制限は受けない。去年二十歳を超えたから一緒に飲みに行くことも増えるだろうな」
「クレイグの顔は忘れないのですね」
「ああ。薬を飲み始める前に知り合った人間は覚えていられるらしい。もしかしたら、次に会った時にはお前の顔を忘れているかもしれない。それでも怒らないでやってくれ」
「怒るなんてしません。こうして理由を説明して頂いたのですから、納得しました」
明るくて楽しい人だと思ったシリルに、こんな酷い過去があるとは全然気が付かなかった。聞いておいて良かったと思う。
「食事中に変な話ですまんな」
「変な話でも、何でも話して頂いた方が私は嬉しいです」
もっとクレイグのことが知りたいと思う。たとえ完全に抱き枕だとしても。私が微笑むと、クレイグは安堵の笑顔を見せた。
◆
食事を終えると日が落ちる直前。夕焼けが空を赤く染めている。
「手綱はどうする?」
「クレイグに任せます。私は専ら朝から昼の明るい時間だけなので」
日が落ちて暗くなると馬はさらに臆病になる。手綱を持つ者が慣れていないと、その不安はすぐに馬へと影響して不安定な走りになりがちで、人馬共に危険に晒してしまう。
「そうか。任せろ」
腰にしっかりとクレイグの腕が回り、背中から抱きしめられているような感覚が安心へと変わっていく。
甘い荷物をたくさん乗せて、私たちは古城へと戻った。




