第四十二話 遥かな草原の記憶
休日の朝がやってきた。
「もう少し眠っていてもいいのではないですか?」
「最近抱き枕のせいか、よく眠れてるからな。必要ない」
「その言葉を外で言わないで下さい!」
笑うクレイグの腕をぺちりと叩く。全くもって今日も意地悪なのに、その笑顔が眩しい。
厩舎で用意された馬には、変わった鞍が着けられていた。
「あれ? この鞍……鐙が二組?」
鞍の横に下げて足を載せる為の馬具が前後についている。
「これが二人乗りの鞍だ。カーティスが張り切って短期間で作ってくれた」
「二人乗り?」
「本来は子供に乗馬を教える為の馬具だが、お前に合わせてもらった。その服なら、馬にまたがることができるだろ?」
「え? 馬に乗る為の服なのですか?」
私は頼んだ覚えのない服だった。昨夜クレイグに渡された服は、明るい茶色の上下。布がたっぷりと使われているのに上質で軽い。
「どうだ、乗れるか?」
「はい!」
馬の手綱を持つクレイグの片手に手を置いて、昔のように馬の背にまたがる。思っていたよりも成長していた私は軽々と乗るどころか勢いをつけすぎて、反対側に落ちそうになったのでクレイグが慌てて手を引いてくれた。
クレイグが後ろに乗ると、鐙が二組ある理由がよくわかる。前に座っていても後ろに座っていても、馬を操ることができる作り。
「城の外に出たら、手綱を預ける。それまでは我慢してくれ」
「はい!」
嬉しい。その言葉しか出てこない。この国に来てから馬に乗ることは完全に諦めていた。久しぶりでも体が覚えている。
城の外に出て、しばらく歩いた所で手綱を渡された。
「クレイグ……本当にいいのですか?」
「もちろん。俺はお前にしっかりつかまってるからな」
笑うクレイグの腕が私の腰に回る。背中から抱きしめられているような温かさに鼓動が跳ね上がり、頬に羞恥が集まっていく。
「……走らせますよ!」
「ああ、存分にな!」
合図をすれば、馬が走り出す。この国の馬は大きくて体力もあり、三日間全力で走り続けても平気だったという記録がある。
道を外れて草原を駆け抜けると緑の匂いが強く香る。駈歩から襲歩になると空を泳ぐよう。乗せてもらうのとは全く違う爽快感。馬と一体になって風になる。
馬が向かう先には倒木。若干速度を落として駈歩になる。
「跳び越えます! 体を低くして下さい!」
「おう!」
クレイグの体が背中に密着する。胸が高鳴るけれど油断はできない。馬の背に寄り添い、手綱を握りしめて跳べと合図を送る。
倒木を跳び越え、馬は誇らしげな息を吐きながら駆け抜ける。『どうだ、凄いだろう』と言っているようで楽しい。
「いきなり障害物超えとは驚いたな。普通は馬に慣れてからでないとあんな風には跳べない」
「この子はもっと暴れてみたいようです。思いっきり走りたいと言っています」
そうだと同意するように、馬がいななく。
「そうか。ここに来てからろくに走っていないからな。好きなようにしてくれ」
「はい!」
運動不足だったのか馬は縦横無尽に駆け回る。草原を駆け抜け、倒木や小川を跳び越えて遊ぶ。昔を思い出すことが楽しいと感じるのは、きっとクレイグの温かさに包まれているから。一人で思い出すと寂しさばかりを感じていた。
「そろそろ昼も近いぞ。腹は減ってないか?」
「え? あ、そういえばお腹が空いています」
空腹を意識した途端に、お腹がきゅうと鳴った。吹き出したクレイグの腕をぺちりと叩く。
「腹は正直だな。町へ向かうぞ」
笑い続けるクレイグを乗せて、私は町へと馬を走らせた。
◆
町へ入るとクレイグが手綱を要求したので手渡す。草原や森では自由に馬を操れても、人の多い町中で馬を歩かせたことはなかったので助かった。
「また、あの蝶の料理店だがいいか? 馬を一日預かってくれる店は他にないんだ」
「はい。もちろん構いません」
クレイグと一緒なら、どこだって構わない。心の中でそう呟きながら、私はクレイグに微笑んだ。




