第四十一話 朝の女王の歌
「朝っぱらから歌ってる姫さん、従僕やら下女に怖がられてるそうだ」
「え? ああ、グラスプール公爵家のオリアーナ様ですね」
クレイグの部屋で、私は抱えたガラス瓶の中にトゥーリクの花を詰めていた。高価な油を使うので、慎重に美しさを求めて並べていく。
クレイグはカウチに座って兵法書を片手に、私と話している。
「朝なのに『夜の女王』だからな。歌詞はエグいし、何であんな曲歌ってんだ? 知ってるか?」
「想像でしかありませんが、他の令嬢に対する圧力だと思いますよ。どうしても王子妃候補になりたいのではないでしょうか」
「あー、成程。『言う事聞かないと殺すぞ』っていうのが、そのまま脅しってことか。正直すぎて清々しいな」
「クレイグ、それでは端折り過ぎで情緒がありません」
そんな直接的な表現ではなく、もっと婉曲した表現があるはずだ。
「騎士に情緒を求めないでくれ……必要か?」
「少しは」
「そうか。努力する」
何をどう努力すれば情緒が生まれるのか。よくわからないままに他愛のない話を続けながら、私は花を詰めていた。
◆
朝の食事を終えたお嬢様と図書室へ向かっていると、中庭に夜の女王の歌が響き始めた。
「何度聞いても素晴らしい声ね」
「でも、使用人からは怖いって言われてるみたいです」
「怖い? そうかしら? ……ちょっと聞きに行きましょう」
「は!? お、お嬢様!?」
くるりと方向を変えたお嬢様が、歌が聞こえる方へと歩いていく。
恐ろしい歌声の主は、美しい少女だった。巻かれた茶色い髪を揺らし、緑の瞳を輝かせながら歌っている。赤く塗られた唇と爪は、淡い緑の美しいデイドレスにはそぐわない。一段高い場所に立ち、周囲には十名程の令嬢たちが思い思いに座って歌を聞いている。
近づくと歌声がさらに大きくなった。本当に空気が重く感じて、前に進むのがつらい。
夜の女王の歌は、静かな場所で聞く物ではないと痛感した。大晦日の賑やかな大騒ぎの中で聞くから、恐怖も分散されて気にならない。こうして歌詞をしっかりと聞いていると、その冷酷さが体を震撼させる。
歌が終わった後、お嬢様は大きな拍手をしながらオリアーナ嬢へと近づいていく。止めようと思っても咄嗟に声も出ないし足も動かない。どうして動けるのか理解できない。
「毎朝、お聞きしておりましたが、素晴らしい歌声ですね!」
確かに素晴らしいとは思うけれど、怖いと思う。
「屋敷では、外国から歌の教師をお招きしておりますの。わたくしの歌は国一番ですのよ」
侍女から扇を受け取ったオリアーナ嬢は、口元を扇で隠しながら笑う。その姿はすでに貴婦人で、少々相手を馬鹿にしたような態度が苛立たしい。
「もしよろしければ朝の女王の歌を聞かせて頂けないでしょうか」
お嬢様の言葉を聞いていた周囲の令嬢たちが、失礼だと静かにざわめく。たった十名程の少女たちでも、非難の空気はとげとげしくて攻撃的。
扇で口元を隠し、お嬢様を馬鹿にしたような目つきで見ていたオリアーナ嬢が扇を降ろして侍女へと投げるように渡す。侍女は慣れた手つきで扇を受け止める。
「…………まぁ、いいでしょう。わたくしの歌をお聞きなさい」
オリアーナ嬢が口を開くと高音の美しい声が響き渡った。夜の女王の低く暗い声とは全く違う。
暁の光の中、朝が来たことを喜び祝福し、人々と大地に目覚めを促す。光は闇と夜の女王を世界の裏側へと追いやり、朝の女王は命の息吹を促し、すべての命に愛を注ぐ。
初めて最初から最後まで聞いた朝の女王の歌は、周囲の空気すら爽やかにする力を持っていた。今まで、この歌をまともに聞いていなかったことを後悔してしまうくらい。次に聞く機会があれば、ちゃんと聞いてみよう。
「本当に素晴らしい歌です! ありがとうございます! 美しい光の精霊が舞い降りて歌っているようでした!」
それは、ほめ過ぎだと思う。満足気に笑いながらお嬢様を見下ろすオリアーナ嬢の表情が不快で腹立たしい。
「オリアーナ様は、高い音の響きが特に美しいですね。心が震えるような感動を覚えました」
お嬢様は気にもせずにさらにほめたたえていく。そして一瞬迷うように言葉が途切れた。
「ただ……」
「何ですの? 何かご不満でも?」
オリアーナ嬢が不審な表情でお嬢様を睨みつける。少女とはいえ、すでに女性。その表情は迫力があって怖い。
「歌う時だけ、胴衣を緩めてみてはいかがでしょうか。そうすれば、もっと息を吸いこむことができて、声に力を込めることができます。今は喉で強弱をつけていらっしゃいますが、それでは喉を傷めてしまいます」
貴族の女性は十六歳前後になると、ドレスを美しく着こなす為に硬い胴衣で腰を締めつけている。侍女の私は一度も着けたことはないからわからなくても、常に締めるのは苦しいだろうと想像はできる。
「美しい歌声をさらに美しく強くするためです。どうかご一考下さい」
お嬢様はオリアーナ嬢に深く敬意を示す礼を行い、その場を離れた。
翌朝から、古城には爽やかで美しい朝の女王の歌が響き渡るようになった。




