第三十九話 専属の騎士
今朝もお嬢様の支度は完璧で、自ら淹れた花茶を飲む姿は優雅な貴婦人。飲み終えた後は立ち上がって食堂へと向かうのに、今日は立ち上がることがない。
「お嬢様、朝食はどうされるのですか?」
私の問いに、お嬢様はテーブルの上に置いた紙袋を示した。
「こちらで済まそうと思って……先程、騎士マイルズにこっそり頂いたの」
紙袋の中は、ふわふわとした黄色い蒸しパン。それは町で売っている庶民に人気の甘い菓子で、女性の顔くらいある大きな物が二個入っている。
「え……頂いた?」
「……今日はあまりにも早く起きてしまったから、塔の周りを散歩していたの。そうしたら……」
お嬢様が珍しく苦笑する。
「お嬢様、検査を致します」
問答無用で毒の検査を行う。端をほんの少しだけちぎり、水に溶かして試薬を垂らしても何の反応もなくてほっとした。
「騎士とはいえ、見ず知らずの方から飲食物を受け取るのはいかがなものかと思います」
自分で口にしながら、自らを省みると恥ずかしい。でも、それとこれとは別。お嬢様は安全でなければ。
「受け取るつもりはなかったのだけれど、私の為に町まで行って買って来たと言われたら、断ることもできなくて……メイの分もあるって言うし……」
「村でなく、町まで? 結構距離がありますよ」
歩いて行けるのは小さな店が数件ある村。町まで行くなら馬だろう。
「そう。だから断れなかったの」
「何も入っていないようですから構いませんが、必ず検査を受けることを条件にさせて下さい」
「わかったわ。すぐに口にしないように気を付けます」
一緒に食べるかと誘われて、お嬢様の隣に座った。黄色い蒸しパンをちぎると、甘い匂いがふわりと広がる。ふと横を見ると、お嬢様が大きなパンにかじり付いていた。
「お、お嬢様!?」
「ん?」
沢山口に入れてしまったのか、控えめな咀嚼音の後、しばらく経ってからお嬢様が笑顔で答える。
「他の人は誰も見てないから、ちょっとくらい不作法でもいいかなって」
小さくちぎって食べるより、美味しそうに見えるのはどうしてだろう。同じようにぱくりとかじり付くと、好きなだけ口に入る。鼻が近いから甘い匂いもたっぷり感じる。
「こうやって食べると、さらに美味しいですね」
「そうね。私もそう思うわ」
誰も見てはいない。二人の秘密は、とても美味しい時間になった。
◆
夜になって帰って来たクレイグに、私は抗議を行った。
「クレイグ、マイルズという方は、何を考えていらっしゃるのですか?」
「あ? あいつ、何かやらかしたか?」
早朝、お嬢様にお菓子を直接渡したことを説明すると、クレイグが天井を仰いだ。
「あー。それはやり過ぎだな。注意しとく。……騎士の間で、公爵家がお前の姫さん狙ってるっていうのはすでに広まってた。それで昨日の夕方、マイルズがほぼ専属で護衛に付くことになったんだ。あれから張り切って菓子を買いに行ったんだろうなー」
そう言われれば、今日は何度もマイルズを見かけた気がする。
「お嬢様専属で護衛? どうしてですか?」
「……昨日、お前の姫さんが譲った一階の部屋に侵入者があった」
「外から侵入するのは難しいのではなかったのですか?」
「俺たちが警戒するのは不審者。顔も名も知られた高位貴族が視察で来れば拒むことはできないからな。数名の貴族が来て、その内一人が手洗いに行くと言って案内していた騎士を振り切った」
「部屋にいた令嬢の顔を見て、人違いに気が付いたらしい。部屋を替えた相手が公爵家令嬢で良かった。他の令嬢なら、間違ったまま連れ出される可能性もあったな」
「王子妃候補の審査中でしょう? ある意味横取りじゃないですか。何故、そんな横暴が許されるのですか?」
「三大公爵家の話は知ってるだろ? 強大な権力と富を持ってるからやりたい放題だ。王家はここ数代の王妃に外国の王女を連れて来ることで、ぎりぎりの均衡を保ってるが強くは出れない」
「……どうしてお嬢様を執拗に狙うのでしょうか」
「姫さんが一人でラザフォード侯爵家を立て直したっていうのを、俺たち騎士は誰も知らなかった。王子が茶会で姫さんの経営手腕に言及して、お前に聞いてようやく知った」
「実はな、公爵家の財政状況が昔程は良くないという噂もあるにはある。ここ数代の散財と不作で、外国から密かに穀物を買ってるという話もある」
「それは……お嬢様と結婚して、立て直してもらおうということですか?」
「おそらく。ただ、ここまで急いているのは何か別の理由があるかもしれない」
得体の知れない不安で震える私をクレイグが優しく抱きしめる。
「俺たちは王家に忠誠を誓った騎士だ。万が一、貴族が姫さんに危害を加えるようなら、体を張って阻止する」
ある意味、平民上がりで良かったとクレイグが笑う。
「明日、お忍びで王子が来るから報告することになってる。今後の対策も話し合われるだろう。だから心配するな」
私の髪を撫でながら、クレイグは優しく囁く。
「そういう訳で、悪いが明日の休みは延期だ。五日後になる」
「あ! お嬢様からお休みを頂くのを忘れていました!」
いろいろあり過ぎてすっかり忘れていた。
「じゃあ、ちょうどいいな。休みをもらっとけよ?」
「でも……こんな時にお休みなんて」
「休む時にはしっかり休んで遊ぶ。でないと仕事を頑張れないぞ」
優しいクレイグの言葉に、私は縋りつくように頷いた。




