第三十八話 賢者の思考
王子の贈り物を受け取ってから、令嬢たちの中に見えない区分けのような何かを感じるようになった。
友人という訳ではなく、上下関係。公爵家や侯爵家の令嬢には取り巻きが出来、常に行動を共にしている。単独行動の多いお嬢様とミキャエラ嬢は、どことなく避けられているのは気のせいではない。
食堂の風景も一変した。令嬢たちが集まって賑やかに食事をしている場面に出くわすことも多くなり、静かな食事は難しくなった。
「……今日も賑やかでしたね……」
「そうね。皆、楽しそうで何よりだと思うわ」
令嬢たちが笑っているのを見るのが楽しいとお嬢様は笑う。嫌味とかそういった何かではなく、心の底からそう思っていらっしゃるのがわかる。
中庭から裏庭へと続く小道に入った時、美しい服を着た一人の令嬢が座り込み、侍女がおろおろと周囲を見回している所に出くわした。
「どうなさったの? 大丈夫?」
駆け寄ってしゃがみ込んだお嬢様が、さっと令嬢の肩を抱く。
「な、何でもありません!」
叫んで逃げようとした令嬢を、お嬢様は力いっぱい抱きしめる。その小さな体のどこからそんな力が出るのか。すぐに令嬢の力が抜け、子供のように泣き始めた。悔しいと何度も繰り返す。
「……少し、お話ししましょうか」
令嬢の手を取って中庭へと引き返し、いつもの人気のない東屋へと誘う。お嬢様は私と令嬢の侍女に、誰も人が近づかないように見張りを依頼した。
長い時間、お嬢様は令嬢の話を聞いていた。何を話しているのかはわからないけれど、ずっと令嬢が話し続けている。
日が傾きかけた頃、やっと令嬢の話が途切れた。ちらりと振り向くと、お嬢様が母親のように令嬢を抱きしめていて、慌てて視線を逸らす。
「また何か、お話したいことがあったら、聞かせて頂けると嬉しいです」
あまり楽しい話ではなかったと想像できるのに、お嬢様はそう言って令嬢の手を両手で握る。ろくに挨拶もせずに俯いたままの令嬢が自室に戻って行くのを見送って、私たちは塔へと戻った。
◆
「……先程の令嬢とご友人になるのですか?」
「いいえ。それは難しいわね。あの年頃なら、親しくもないのに自分の心の中をさらけ出してしまった相手を避けるようになるのが普通よ」
年齢差もあるしと、お嬢様は微笑む。
「少女と言っても女性。集団になると難しいことも増えるのよね。でも、人間関係を学ぶ場でもあるから逃げられない……」
「一体、何をお話しになっていたのですか?」
「あの方には、心の逃がし方を少し。男爵家の令嬢は、どうしても格下の扱いを受けがちだし断れないことも多いでしょう? 体が逃げられないのなら、心だけは逃がすことで心身の平衡を保つ方法もあるってお話ししたの」
「心の逃がし方?」
「身分の上下や環境、自分の努力では動かせない物って、この世界にもたくさんあるでしょう? 仕事や義務、そういった物で私たちの体は縛られる。でも、心だけは自由なの。何を考えてもいいし、何を願ってもいい」
「たとえばね、嫌な事されたり言われた時には『あの方に戻りますように』と呪ってもいいし、嫌な事しなきゃならない時には『これが終わったら美味しい物食べる!』と誓ってもいい」
「の、呪ってもいいんですか?」
「心の中で呪うくらいなら、何ともならないでしょう? 呪いが嫌なら願うの」
「心で思っていることは黙っていても表面に出てくるから、心も美しい人というのが理想ではあるけれど、時には人に言えない悪い感情を持ってもいいと思うの。だって、私たちは聖人でもないし神様でもないのだもの」
お嬢様の言葉を完全に理解することはできなかった。ただ、心は自由ということだけは理解することができた。
◆
「ふーん。お前の姫さんは、賢者か何かなのか」
「賢者! もしかしたら、そうなのかもしれません」
夜になり、テーブルではクレイグが手袋をして硬い香木を削る。私が覚束ない手つきでナイフを持っていたのを見て、帰って来たクレイグが慌てて替わりに削ってくれている。
素手で触って変色してしまった部分が削られて、元の香木の色が出てきた。
「この変色した所、どうするんだ?」
「香りを抽出するには少ないので、布袋に包んで香り袋にするか、香炉で焚くか。ですね」
「香炉? 買ったか?」
「買ってはいませんがあり合わせの物で出来ます。深めの器に灰を入れて、炭を埋める。その上にこの欠片を置くと、温められた香りが部屋に広がります」
他にも、油や水に浮かべて下から火で温める方法もある。クレイグが削った欠片の匂いをかいで眉をひそめた。
「んー。俺には、この匂いは甘すぎるな」
「それなら、頂いていいですか?」
香水に使いたいのは、香木の本体の方。クレイグが触れて変色した部分は、私にとっては良い匂いだと思う。
「よし、削り終わった。早いが今日は寝るか」
「はい!」
今日も私は抱き枕。心は自由かと思いついて、恋人になったつもりでベッドに潜り込む。
「どうした? 上機嫌だな」
「はい。楽しいです」
「そうか。それは良かったな」
魔法灯が消され、今日も温かな温もりに包まれながら目を閉じた。




