第三十六話 蒸留装置の到着
夜にクレイグの部屋に入ると、大きな木箱がいくつも積まれていた。きっと中身は蒸留装置と材料だと思う。今すぐ開けたい気持ちを抑える為に、窓を開けてあちこちを掃除して回る。
羽根ハタキでホコリを落とし、濡れた布と乾いた布で拭き清めていく。意外と掃除が行き届いていないことに気が付いた。見えにくい部分には、数年分以上の汚れがこびりついている。
棚に無造作に置かれていた袋の中身はきっと香木。戻ってきたら開けるように勧めてみよう。
次は床をと考えた所でクレイグが戻って来た。
「お? 掃除か? 気のせいか空気が違うな」
「少し掃除したくらいで、そんなに変わることはありませんよ」
クレイグが積まれた木箱に気が付いた。
「ああ、届いてたのか。開けてもよかったのに」
「まずは購入者が開けるべきだと思います」
私の一年分の給金以上の品なのだから、勝手に手を出すなんて考えられない。
「そうか? 別に気にしないのにな。王城の俺の部屋に届く物なんか、誰でも開けるぞ」
クレイグが箱を開けようとして、自分の手が汚れていることに気が付いた。
「あー、あちこち汚れてるから、取り出す前にシャワーでも浴びるか」
勧められるままに交代で浴室を使い、私は夜着、クレイグはガウン姿で箱を開けていく。
「おー。凄いなー」
三つ目の箱にガラスの蒸留装置が入っていた。分解された状態なので、組み立てが必要。割れないようにということなのか、大小の白いクッションが詰められている。
ガウンの袖をまくったクレイグが、書き物机の上へ慎重に部品を置いて行く。その表情と手つきが可笑しい。
「割りそうで怖いな。力加減が難しい」
ぐるぐると複雑に曲がりくねったガラス管、ふた付きの筒、温め用と冷却用の大きな容器等々、蒸留装置の部品がすべて並べられ、クレイグが一枚の絵を見ながら首を捻る。
「これ、どうやって組み立てるんだ? わかるか?」
手渡された絵は、蒸留装置の完成図だけ。一応簡単な説明はあっても、装置を使ったことのない人には組み立てられないだろう。
「わかります。触ってもいいですか?」
「もちろん。自由に使ってくれ」
「ありがとうございます!」
嬉しい。とにかく嬉しいとしか言葉が無い。侯爵家の自室では、鍋や携帯焜炉、ありあわせの物で作った自作品を使っていた。本格的な装置に触れるのは久しぶり。やっぱり、何もかもが違う。
クレイグに説明しながら組み立てていく。祖母は蒸留装置を使う度に分解して洗浄していた。何度も手伝っていたので、説明書を見なくても大丈夫。
「組み上がりました!」
「へー。早いな。もっと時間がかかるものだと思ってた」
「昔、祖母が使っていた装置とほぼ同じ物ですから。手が覚えています」
懐かしくて新しい輝きを、あちこちから眺めてみる。これを使うことができるなんて、楽しみしかない。
「なぁ、お前何歳だ?」
「今年二十五になります」
加熱するのに魔法石が必要。もしも無ければ自室から持ってくればいいか。
「じゃあ、姫さんは?」
「今年二十七と聞いています」
「ふーん。俺より一つ下か」
クレイグは二十八歳かと何気なく考えて、自分が口を滑らせたことに気が付いた。さっと血の気が引いていく。
「あ、あ、あ、あ、あのっ。そのっ。えーっと、ですね」
横にいたクレイグの大きな手が私の肩を抱くから逃げられない。どうやって誤魔化せばいいのか、頭の中がごちゃついている。見上げると、クレイグが優しく微笑んでいた。
「今のは聞かなかったことにしとく。何か訳ありなんだろ?」
「……はい」
「あの……どうして、お嬢様の年齢を聞いたのですか?」
「免税証であんなに喜ぶ十七歳は見たことないからな。普通は紙一枚より、ドレスとか宝石だろ?」
「そうですね。私も驚きました」
自分の幸せより領民の幸せの方が嬉しいなんて、全く理解できない。お嬢様の思考は異世界人の物だと思うしかない。
「しかし若く見えるな。背が小さいからか?」
「そうだと思います」
異世界では標準体型と聞いてはいても、この国の成人女性と比べるとかなり小さいと思う。体は成人女性のものでも、背丈は十五歳前後の子供と変わらない。
「……お嬢様に興味があるのですか?」
「いいや。何度も言ってるだろ? 姫さんより、お前の方に興味があるって」
「でも……お嬢様の方が……」
可愛らしくて魅力的。対抗しても、どうあがいても敵わないとわかっていても……悔しい。
「………っ!?」
突然クレイグが屈み込んだと思ったら、荷物のように肩に担がれた。驚きで声も出ないまま、ベッドへと運ばれる。
「降ろすぞ!」
勢いのある声と裏腹に、ふわりと降ろされると意地悪な笑顔が近すぎた。少しでも動いたら口づけできそうな距離に鼓動が跳ね上がる。
「ほら、明日も早いんだろ? おやすみ」
魔法灯を消されると、クレイグの表情も何も見えない。感じるのは柔らかいベッドと硬い体と腕と温もりだけ。
その日私は、何故か額に口づけられる夢を見た。




