第二十九話 笑顔の魅力
開いた本は期待していた内容とは違っていた。香りで異性に好意を持ってもらう方法が書かれているだけだ。残念に思いながらも、少しずつ読み進めることにした。
あまりにも濃い香りは男性に好まれない。女性が好む甘すぎる香りも敬遠される。日中は加工の少ない香り、夜は動物性の香りを好む男性が多い。等々、そうなのかなと半信半疑でも、頭の片隅に入れてしまう。
『本に書いてあることが真実とは限らない』というのは、つい先日お嬢様に教えてもらった。『私がおかしいと思っても、文字で書かれている方が正しい』と思い込んでいた私にとって、それは衝撃だった。
クレイグの好きな香りを身にまとえば、好意的な感情を持ってもらえるだろうか。ふとした思い付きが頬を熱くしていく。
王子と同じ遠い人だと思ってみても、そばにいるから気になってしまう。もしかしたらという期待は常に心の隅にあるのは間違いない。
もしも恋人になれたらと考えてみても、今まで誰とも付き合ったことのない私の想像力は全く働かない。手を繋ぐ……昨日実現している。馬に乗せてもらう……それも実現している。一緒に食事を……昨日三食共にした。一緒に買い物を……いろんな物を買ってもらった。
あとは口づけ……そこまで考えて、私が完全に抱き枕だったことを思い出す。
最初の出会いがまずかったのだと思う。飲めないのに一気飲み、さらには二日酔い。面白い女という印象を、どう覆したらいいのかまったくわからない。
女性としての魅力がないのだろうか。……その可能性はあり過ぎる。服を変えただけで、可愛いと二人の男性に言われた。清潔で働きやすい服なら何でも良いと思ってはいても、色や意匠は重要なのかもしれない。
侯爵家に戻ったら新しい服を買おう。高いものは難しくても、手が届く物はある。
髪型も変えてみようか。他の侍女たちは同じように結い上げていても、手が加えてある。基本的に令嬢よりも華美にならなければ、髪飾りを着けることも許される。
本を読むお嬢様をちらりと見ると、爽やかな風が吹き、結い上げた髪のリボンが揺れる。常に髪飾りを着けるのは、脱色して痛んでしまった髪から注意を逸らす為だと説明を受けた。
きっちりと施された化粧は、この国の貴族特有のもの。手先の器用なお嬢様の化粧は、隅々まで美しい。はっきり言って、私が施すよりも上手い。
お嬢様が誰よりも可愛らしく見えるのは、常に微笑んでいるからだと思う。誰に対しても笑顔で話し掛け、笑顔で頷く。その表情を見ていると、自分が認められていると感じて嬉しくなると侯爵家で働く誰もが言っていた。
そうはいっても、常に笑顔でいるのは難しい。今日は笑顔で過ごそうと思っても、いつの間にか下を向いていたり口の端が下がっている。
皆から可愛いと言われなくても、クレイグに可愛いと思われたい。クレイグはどんな女性が好みなのだろう。
私が十ページも読んでいないのに、お嬢様は一冊を読み終えて二冊目を開いた。ぱらぱらとページを繰って風を通すと、黒い毛玉がころころと転がり落ちて消えていく。
「お茶はいかがですか?」
「ありがとう。頂くわ」
すっかりぬるくなった花茶でも、お嬢様はすぐに飲むことができるからと喜ぶ。淡い水色の陶器のカップに青色のお茶を注ぐと、色の組み合わせが美しいと微笑む。
些細な日常の物事すべてに美しさや楽しみを見出すお嬢様の感性は、真似することすら難しい。ただ素敵だと感じる。
お嬢様が三冊目を読み終えた時、昼の一つ目の鐘が鳴り響いた。朝の軽やかな鐘とは違い、重い鐘の音が鳴り響くと、昼食が始まる時間。
「お嬢様、そろそろ昼食はいかがでしょう。遅くなると混みます」
「そうね。早く済ませてしまいましょう」
本と茶器を図書室へと戻し、私たちは食堂へと向かった。




