第二十八話 図書室の本
古城の図書室は広い。大きくて重い扉を二人で開けると冒険の世界の入り口に立つようで楽しい。
石造りの壁は暗い灰色、濃い飴色の本棚には、ありとあらゆる本が詰め込まれていた。日の当たらない場所に曲がりくねった迷路のように本棚が並び、窓際の良く日の当たる場所にはカウチがいくつも設置されている。
今日は二人の令嬢が先客だった。一人はカウチに座り本を読み、一人は本棚近くの長机で紙にペンを走らせている。どちらの侍女も、令嬢の後ろで飲み物のお盆を持って控えていた。ポットや茶器、水差しを持って長時間立つのは辛い。本来は、あれが正しい侍女の姿なのだろう。
本の迷路に入る前に、携帯用の魔法灯をそれぞれ持つ。
「今日は何を読もうかしら……」
お嬢様の口調も、足取りも軽い。本がお好きなのだと感じて、私まで嬉しくなってきた。
『ね。メイも読みましょ?』
『……はい』
声をひそめたお嬢様に答えて背表紙を見る。正直言って本を読むことに慣れてはいない。侯爵夫妻に拾われた直後、基本的な読み書きを教わってはいても、難しい言い回しの多い本は理解するのに時間が掛かる。お嬢様が一冊読み終わる間に、私は二十ページも進まない。
「あ!」
叫び声を上げてしまって、口を手で塞ぐ。
『どうしたの?』
『驚かせて申し訳ありません。読みたい本が見つかりました』
偶然目に入ったタイトルは『香りの魔法』。一体何が書かれているのか興味を引かれる。
お嬢様は三冊の本を選び、私は見つけた一冊を手に取る。私が全部運ぶと申し出たのにお嬢様は頑なに拒まれて、本四冊はお嬢様、私が図書室に用意されていたポットと二人分の茶器をお盆に乗せて中庭の東屋へと向かう。
中庭には東屋がいくつか設置されていて、令嬢たちが座って話している所もあった。侍女たちはやはり茶器を持って後ろに控えている。
人が全くいない東屋は、枯れた木に囲まれた場所。植えられているのは秋から冬に花を咲かせる木で季節外れの為なのか人気もない。
「ここにしましょう」
お嬢様がテーブルに手巾を広げて本を置き、その横に茶器のお盆を置くようにとお願いされた。お嬢様はいつもそうだ。侍女の私に対しても、命令ではなくお願いが多い。異世界では普通だと言われても全く理解はできない。
長椅子に並んで腰かけて本を手に取る。貴族と並んで座るなんて、昔は想像したこともなかった。お嬢様との近すぎる距離が嬉しいと感じながらも落ち着かない気分でもある。
古い本の匂いは少し苦手。インクや古い紙、表紙に使われた革の匂いは許容範囲。怖ろしいのはカビと何かよくわからない匂い。ぱらぱらとページをめくり、匂いを飛ばす。
「虫干し?」
「え? 虫?」
「あら? 本を日光に当てて、風通しをしてカビとか虫を防ぐっていうの、この国ではないの?」
「初めて聞く言葉です」
そうかと気が付いた。よくわからない匂いは虫だ。本のページに風を通すと消えるのは、いなくなったからだろうか。
二度、ぱらぱらと風を通すともう大丈夫。念の為、逆さにして注意しながら軽く振る。
「そんなに匂いが気になる?」
「ええ。少しだけ」
「じゃあ、私も」
お嬢様が本のページに風を入れると、隙間から親指の先くらいの黒い毛玉が二つ三つ飛び出して、粉になって消えてしまった。
「!」
お嬢様は全く気が付いていない。あれは私の見間違い。そう思って忘れようとした時、祖母の言葉を思い出した。
『古い物には、良い神様と穢れが付いていることがある。穢れは明るい光を嫌うから、時々外に出して掃除する必要があるんだよ』
今の黒い毛玉は穢れではないだろうか。祖母と一緒に住んでいた時には見たことがなかったのに、今日初めて見た。
「匂いは消えた?」
「ええ、消えました」
もしかしたら、よくわからない匂いは虫ではなく、穢れの匂いだったのかもしれない。
お嬢様と並んで本を読みながら、侯爵家に戻ったら自室の古い物を掃除しようと私は考えていた。




