第二十三話 休日前の酒
刻まれた野菜と香草が入った澄んだスープは、口に入れるとその旨味が体に染み渡る。肉が一切入っていないのに肉の味と香りがする不思議な料理。
「とても美味しいです」
手間が掛かっていそうなスープだと思う。
「体に良いスープらしい。……実は王子の好物だ」
「そうなんですか?」
「食事を取れない激務の時には、このスープを飲むだけで数日を過ごすこともある。空腹に近い方が思考が冴えると仰っているが、俺には真似はできないな」
「私にも真似はできそうにありません」
とても栄養があるスープだと思う。それでもパンやジャガイモを我慢できそうにない。
クレイグがパンをちぎって、スープに浸して口に入れる。
「それ、とても美味しそうですね」
「美味いぞ。不作法かもしれないが、俺はこの食べ方が気に入ってる。茹でたジャガイモでも美味い」
同じことを考えていた偶然に笑いが零れる。
「どうした?」
「私もパンやジャガイモを入れたら美味しそうだなって思っていました」
「そうか。自由に好きなだけ食べていいぞ」
個室の中には店員はおらず、二人きり。本来は未婚の女性が男性と密室に籠ることは外聞が悪いとはわかっている。ただ、この町は侯爵家の屋敷からは遠いから、誰の耳にも届かないだろう。
皿に美しく盛られた蒸し野菜や、油漬けになった四角いチーズ。色とりどりの食材は、目も楽しませてくれる。
「あれ? お酒を飲んだりはしないのですか?」
「明日は仕事だからな。俺は飲みだすと止まらない。カーティスやアラステアと飲む時は休みの前の日だけだ」
職務に対する真摯な姿勢が素敵だと思う。テーブルに置かれているのは炭酸水と温かい花茶。
「ま、でも王城と違って、あの城は護りやすい。周囲の高い壁が侵入者を拒んでくれるから、見張り塔から警戒するだけでも十分だ」
「あの……結構な人数の騎士がいらっしゃいますよね?」
「公爵家のお姫さんが三人いるだろ? それぞれの公爵家が護衛を出してこないように、十分以上の人数が派遣されてる」
今回の王子妃候補選びでは、令嬢一人に侍女が一人のみ。護衛も従僕も一切連れて来られない。他者の手を一切必要としないお嬢様と違い、他の令嬢付の侍女たちは相当苦労しているようで、常にいらいらとしている。
「貴族出身の騎士が外されているのは、令嬢に手を出さないようにという配慮だそうだ。貴族出身の騎士は第二子や第三子が多い。婿入りを希望する者もいるだろうしな」
この国の貴族は第一子がその家を継ぐ。第二子以降は自力で爵位を受ける功績を作るか、他家に婿入りしなければ貴族として生を終えることはできない。だからある意味必死。
「俺たち平民上がりの騎士は、姫さんたちの目には入らない。万が一にも手を出せば、即刻死刑だ。だから皆、真面目に職務に励んでる」
騎士の中でも、貴族と平民の区別は厳しいのだろう。クレイグの声が苦い。
「正直に言うと、お前の姫さんは結構な人気だ」
「え?」
「貴族なのに、誰にでも笑いかけて挨拶してくれるというのが理由らしい」
確かにお嬢様は上下の関係なく誰にでも変わらない態度で接している。それが誇らしくもあり、むずがゆく感じることもある。
「ク、クレイグはどう思うのですか?」
「俺は姫さんには興味はないな。お前の方に興味がある」
さりげなく告げられた言葉で、息が止まるかと思った。持っていたパンを落としそうになって、指先に力を込める。
興味がある。それは、どういう意味なのだろう。
見つめ合いながら頬が熱くなっていく。まさか……告白されるのだろうか。
「……酒が飲めないのに一気飲みだとか、一杯で二日酔いなんて面白過ぎるだろ」
「は?」
のぼせた気分が一気に冷えた。
「そ、それはクレイグが勧めたからですよ」
「俺は酒を手渡しただけだぞ? 普通、一口ずつ飲むだろ?」
「ううう」
あの時は、どう誤魔化すか焦っていたけれど結果は結果。何の反論も出来はしない。
「一応、俺が止めたのは覚えてるか?」
そう言われれば飲んでいる最中に、落ち着けと言われたような気がしないでもない。女性として完全な醜態を晒してしまったような気がする。……これでは恋愛対象になるはずがない。
「お、覚えていません!」
意地悪な笑顔のクレイグに、私は叫び返すしかなかった。




