9話:就職活動とウォズニアックの再会
1974年ジョブズはロスアルトスの実家に戻って仕事を探すことになった。楽しく金を儲けようというキャッチコピーに惹かれビデオゲームメーカー、アタリ社を訪問しサンダル履きでぐしゃぐしゃの髪とよれよれの服に驚く人事部長に対して雇ってくれるまで帰らないと宣言した。このときジョブズに対応したのは当時のチーフエンジニア、アル・アルコーンであった。
「ヒッピーみたいな奴が来てる。お巡り呼ぶかい?」と言われたがアルコーンは中に通して話を聞いた。これがきっかけとなり、ジョブズは50人しかいないアタリの社員になった。しかし、この頃のジョブズは果実中心のベジタリアンなら変な粘液がでないだけでなくシャワーやデオドラントを使わなくても体が匂うこともないと信じていた。
そのため、匂いはひどく、おまけに誰彼構わず、大バカやろうとこき下ろしたので周りの従業員にひどく嫌われ夜勤に回されるようになった。僕が輝けたのは他の連中がどうしよもなかったからだともジョブズは言う。尊大だったにも関わらずジョブズはアタリのボスに気に入られた。予測できない
ジョブズの哲学を気に入っていたのだ。
ボスの他にもジョブズのことをよく思っていた同僚がいた。ロン・ウェインとは友達になっていた。ロンはスロットマシンの会社を作った経験があった。起業したことのある人が周りにいなかったジョブズにとってロンはすごい男に見えた。ジョブズはロンに一緒に事業をしないかともちかけた。5万ドル借りてくるから、スロットシンの設計からマーケティングまでをする会社を作らないか?
しかし、ロンは申し出を断った。以前に事業で失敗した経験があったからだ。しかし、ロンはジョブズをとても信頼した。同僚の誰にも言ったことのない自分がゲイであることをジョブズにだけは打ち明けたほどだ。もちろんその後も関係に変化はなかった。ジョブズは悟りという考え方に心酔し、自分はどういう人間なのか、何をすべきかを知りたいと考えインドに旅にでることを決めた。
導師を求めてインドへいくために退社すると申し出たジョブズをアルコーンは面白い奴だと思った。しかしジョブズはアルコーンに旅費の援助をお願いした。ジョブズの申し出はなかなか断れないアルコーンは交換条件でドイツの仕事を解決させることを条件に結局援助をした。こうしてインドへ向かったジョブズだが着いて早々、衛生的な問題から赤痢になる。一週間で体重は70キロから55キロ位まで落ちたそうだ。
数日とどまっただけで僕が求めるのはここではないと思い、数ヶ月で帰国した。インドから帰国し、ロスアルトスに戻ったジョブズは悟りに導いてくれる道を探そうとしていた。毎朝、毎晩瞑想を行い、禅を勉強し、その途中で時々、スタンフォード大学の物理学や工学の授業を公聴していた。このころジョブズは自分が養子に出されたこと、生みの親を知らないことが心の痛みになっていると
友人に漏らしていた。
生みの親を知り、そして自分を知りたいと考えていたが、育ての親に申し訳ないと探すのをやめていた。ジョブズの粘液ができない食事や、絶叫療法などはいづれも自身を浄化し、出生に対するフラストレーションについて深く理解するための努力だった。ジョブズはその後、アタリ社に戻り夜勤で働いていた。その頃ホームブリュー・コンピュータ・クラブと呼ばれる会合が開かれ、様々なパーソナルコンピュータ時代のアイデアが交換されていた。
ウォズはそれに参加していた。この時、パーソナルコンピュータといってもいいビジョンが僕の中に浮かんだ。その晩、後にアップルとして世に出るもののスケッチを描きはじめていたとウォズは言う。ウォズは部品にインテル8080を使おうと思ったが、一個の値段が家賃よりも高いため断念していた。これを聞いたジョブズはあちこちに電話をして何個かインテルから無料で手に入れた。
ああいう事ができちゃうのがスティーブって男なんだよね。販売責任者との交渉がうまいんだ。あれは、僕には出来ない。内気すぎてとウォズは話す。それからジョブズもウォズと一緒にホームブリューに参加するようになった。やがてウォズはコンピュータを完成させた。ウォズは売るつもりなどなかったが、ジョブズの頭の中には販売のビジョンが出来ていた。
「僕がすごいものを設計するたびスティーブが金儲けの方法を考える」と言う。
ジョブズはウォズの操作方法を良く知っていた。絶対に儲かるなどと言わず、絶対に面白い経験ができる、だから一緒に会社を作ろうと誘ったのだ。
「お金は損するかもしれなが自分の会社が持てる一生に一度のチャンスだ」
この言葉を聞いたウォズは親友と一緒に会社をはじめる。すごいと思い、その気になった。この会社こそ、アップルだったのだ!