25話:ジョブの才能発揮と病魔の影
1994年8月にボストンで開催されたマック・エクスポでは議決権のない株式譲渡と技術提携、特許裁判をしないための条件という名目を条件にマイクロソフトから1億5千万ドルの資金提供とマック版のマイクロソフト・オフィスとインタネット・フォー・マックの提供を受けることを柱とした
業務提携を発表する。反発する者も多かったが、この提携が一定の役割を果たしたのは事実だった。
その後もいくつかプロジェクトを中止アップル社内のレイオフを進め大規模なリストラを行った。前後してパワー・コンピューティングを買収してアップル・オンラインストアで直販としマッキントッシュ互換機メーカーへのMacOSライセンスを停止、利益率の高いOpwerPC・G3搭載機種を市場に独占投入。こうした矢継ぎ早の改革によりアップルの再建を軌道に乗せた。
1998年にはiMacを市場に投入、中身の見えるマックのデザインは、当時あらゆる分野に影響を及ぼし、この大成功でアップルの復活を人々に強く印象づけた。2000年にCEO就任。同年、iTunesとiPodによって音楽事業に参入し音楽事業をパソコンと並ぶアップルの事業の柱にした。数千曲の音楽データを気軽に持ち歩きスクロールホイールで手軽に楽曲を選び視聴することができるiPodは世界中に驚きを与えると同時に多くの人々を魅了した。
その後2003年、ジョブズは膵臓癌と診断されたが幸いにも治療可能な症例だった。しかし家族を始め周囲は、すぐに手術をうけるように忠告したが東洋文化を尊重し西洋的な医術を頑なに拒否し絶対菜食、ハリ治療、ハーブ療法、光療法などを民間療法などを用いて完治を図ろうとしたが失敗に終わり2003年8月に摘出手術を受け療養後復帰した。
2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式に招かれ、「Stay hungry, stay foolish」というスピーチは、多くの共感を持って迎えられた。2007年1月9日、マックワールドで9年ぶりに携帯コンピュータ事業に復帰し、iPhoneはスマートフォン大ヒット、CEOを退任する2011年までに、iPhoneは総売上高の半分を占めた。
2008年6月9日、第二世代iPhone、3G発表時に痩せた姿で登場し2008年9月10日の第四世代アイパッド・ナノ発表時に健康面に触れ健康不安についての臆測を一掃しが、肝臓への癌の転移が判明していて容態は深刻な状況だった。同年12月16日に2009年1月6日に、あらためて「体重減少はホルモン異常のため」との書簡を発表し重病説や辞任説を否定した。
アップルのCEOとしての義務遂行が、できなくなったら、最初に取締役会に話すと宣言したが、1月14日に6月末まで治療に専念するためのCEO休職を発表した。しかし、実際には2009年3月に肝臓の移植手術を受けていて、医師からはジョブズの肝臓は、4月までもたないと宣告されていたという。
2010年1月に発表されたアイパッドは、アイフォンの機能をベースに画面を雑誌サイズにした。それにより、さらなる大きな可能性を世界に与えた。iPadは、ビジネス用途としても利用が拡大され、2012年にはiPadminiが新発売された。




