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21話:ソニーの勝利、その後、任天堂が逆転

 さらにソフトは既存のソニー・ミュージックエンタテインメントのCD工場で行われていたため、リピートが迅速に行え機械損失を防ぐこともできた。そして、ハードのデザインや宣伝に気を使い、今まで子供のおもちゃとしか見られていなかったゲーム機を大人でも楽しめるというイメージを与えることでユーザー層の拡大を狙った。中でも、ファイナルファンタジー7・スクウェアの発売はプレイステーションを大きく盛り上げた。


 ファイナルファンタジー7の移籍発表後、さらに多くのサードパーティーがプレイステーションにソフトを提供するようになりドラゴンクエスト・エニックスのプレイステーションへの移籍発表がダメ押しとなり市場の流れは完全にプレイステーションのものとなった。最終的なサードパーティー数はなんと500社以上。その結果、ソニーはゲーム業界では新参者であるにも関わらず 膨大なソフトラインアップを獲得できた。


 結果的にプレイステーションはライバル機、任天堂64を抑えトップハードの座を獲得。ゲーム史上において初めて任天堂に勝利したハードとなった。ゲーム市場の頂点に立ったプレイステーション。しかし、桜木の野望はこれで終わってなかった。この当時、ネットバブルで、ハイテク株が急上昇しているのを見て成宮賢はソニーの持ち株4400株を1999年12月28日、大納会の日に16000円で売却し5380万円を手に入れ資産が1億円となった。


 この後、後継機プレイステーション2を発売し、ソニーはゲーム市場でさらに勢力を拡大することを目指したのです。プレイステーション2はプレイステーション以上の圧倒的な普及を見せ、ドリームキャスト、セガ・ゲームキューブ、任天堂、Xbox「マイクロソフト」といったライバル・ハードメーカーを蹴散らした。


 しかし、プレイステーション2はハード売上げこそ前世代機を上回っていたが、ソフト売上げでは下回っており、市場規模としてはプレイステーション時代から大きく減少してしまった。プレイステーション2は圧倒的な勝者であったが、その実、かつての勢いは失われていた。開発費高騰やソフトのマンネリ化でユーザーが、どんどん離れてしまった。しかしソニーは、そのことに目を向けようとはしなかった。


 その問題が表面化したのが2004年12月発売のソニーPSP。PSPは携帯ゲーム機とは思えない程の高性能なハードでしたが、ソフトには目新しいものは何もなく普及は進みませんでした。日本ではモンスターハンターが大ヒットして一定の市場を築くことができたが海外でのヒット作はなくユーザーからも小売からも全く相手にされていなかった。そんな中、任天堂はDSでゲーム人口拡大を目指した。


 脳トレなどで、今までゲームを遊んでこなかった人達をもターゲットにし市場を大きく拡大することに成功した。結果、任天堂DSはソニーPSPを圧倒する普及を見せソニーはゲーム市場において初めての敗北を味わった。その後、2006年、プレイステーション2の後継機としてプレイステーション3を発売したが2006年の任天堂のWiiの後塵を拝しソニーは、またしても任天堂に敗れた。さらにPSPの後継機2011年のソニーVitaに至っては歴史的、大失敗に終わった。

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