19話:ソニー、任天堂へ挑戦開始
1990年に入りソニーに桜木健という、ちょっと風変わりな先輩がいてデジタルとゲームとエンタテインメントを融合させたものが、近い将来、ヒットすると若手の飲み会の席で発言するようで、その飲み会に、成宮賢もソニー社内の友人に誘われて参加した。その時、桜木健も成宮賢がソニーがコロンビア映画の買収の調査に行った優秀な男というソニー社内でのうわさを聞いていて話しかけてきた。
まず、桜木が現在、日本では1983年に発売された任天堂スーパーファミリーコンピューターがゲーム市場を席巻してるがソニー技術を使えば、もっとクリエイティブで高次元のゲームコンピューターをつくれると言った。桜木はデジタル時代の到来を予見しゲームは将来のエンターテイメントの中心になると成宮賢に熱く語った。どう思うと聞かれた成宮賢は技術的には確かに可能かもしれないが自分にはゲームそのものについての知識が少なくて、うまくイメージできないと言った。
どうだ俺とプロジェクトに参加しないかと誘われた。それに対して、そのプロジェクトはソニー社内で通過した話なんですかと聞くと、いや、まだだ。これから交渉開始だと笑いながら言った。それから数週間後、1991年が明けて1991年3月、突然、桜木から成宮賢に電話がかかってきて、これはまだ内密な話だがと前置きした。
そして、話し始めた。今後、ソニーの総力を結集して最高のゲームマシンを作るためにスーパーファミコンの周辺機器としてソニー製のCD-ROMアダプタを採用するという確約を取り付けたというホットニュースを教えてくれた。ただし、これは、まだ企業秘密なので絶対に漏らすなと言明された。了解しましたと答え電話を切った。
しかし、1991年8月、任天堂はソニーとの契約を突然破棄した。そして、スーパーファミコンのCD-ROMアダプタはフィリップスから新発売されるという発表を行った。この任天堂の突然の裏切りはCD-CD-ROMライセンス料を全てソニー側が得る契約だったからとか、最初からCD-ROMを採用する気は何く、ライバル・ソニーへの牽制のためのハッタリだと判明した。
この任天堂の行動に桜木氏は激高し自分達だけでゲーム業界に参入する決意を固めた。しかし、ソニーの経営会議では、役員全員がゲーム業界参入を諦める方針を打ち出していました。ソニーが負けていい相手は悔しいけど松下だけ。任天堂などという京都の花札屋に万が一負けたらどうするんだ!というつまらないプライドがあったようだ。
桜木は成宮賢が以前、大賀社長からアメリカの映画会社を調査せよと命じられて事を調べ上げていた。大賀社長にプレイステーション開発を許可してもらうために、成宮賢を同行させて2人の必死の説得により、大賀社長は任天堂と縁を切った後も、プレイステーションの開発は継続された。




