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16話:安くて小さいCDプレイヤ-開発

 1983年秋には、CDP-101の10分の1のメカデッキ・演奏機構部をつくる実力が培われるようになり、やがてCDを更に飛躍させるモデルが登場した。それは、当初から大きな期待がかかっていたモデルだった。1983年に入ると、他社からも次々にCDプレーヤーが発売され、CDソフトも年末には約千タイトルが店頭に並ぶようになり、CDP-101も発売後、しばらくは、よく売れた。


 しかし、次第にその勢いも失われ、その後CD市場は停滞ともいえる状態が1年続いていた。これでCDプレーヤーをやってみてくれ」とゼネラルオーディオ事業部長の大曽根幸三は13.4センチ四方の正方形で厚さが約4cセンチCDソフトのジャケット4枚分の厚さの木型を部下に示した。中にバッタを入れようがセミを入れようが構わない。とにかく音が出せ。大曽根の示す目標のハードルは、耳を疑いたくなるほど厳しい。


 また、明確な目標設定に木型を使った。技術的にまとめていくと、どの大きさにできるか、じゃ駄目だ。この大きさこそ、皆が喜んで使う製品となるのだから。大曽根の指揮の下、成宮賢も小型・薄型のCD プレーヤー実現に向け工場に泊まり込んで技術屋の総力を結集して開発を進めた。また、価格に関しては、CDの本格的普及をめざそうという当時会長の盛田が5月万円を切る価格でいこう。最初は赤字でもきっと後で儲かるはずだと方針を出した。


1号機の16万8千円に比べて3分の1.5万円では赤字で原価率200%となった。CD発売2周年の1984年11月に「D-50」は発売された。4万9800円という画期的な価格だけでなく、CDジャケット4枚分の厚さでリモコンとリピート演奏機能以外、何らCDP-101の機能と変わらない。この事が、世の中にセンセーションを与えた。


 難しい技術を詰め込んだCDプレーヤーが5万円を切って売り出されたという事実に社内の関係者自身も信じられない気がした。しかし、盛田さんが決めたこの価格戦略が、その後のCDビジネスを大きく飛躍させた。このD-50は低迷した市場を予想以上に喚起する起爆剤となった。これほど売れるとは思わなかったと担当した当事者でさえびっくりする程の売れ行きをみせ原価率は1年半で改善され、黒字に転換した。


 このD-50によりCDの新しいマーケットが開拓された。各社のCDプレーヤーの価格が下がり、ソフトも一斉に売り出され、業界全体のCDビジネスも本格的に立ち上がった。ちなみに、D-50の流れを汲んでその後商品化された小型ポータブルタイプのCDプレーヤーは、ウォークマンのように歩きながら音楽を楽しめるという位置付けからディスクマンとネーミングされ、広く親しまれた。CDビジネス、そしてソニーのオーディオビジネスはこうして再活性化されていった。


 1983年秋には、CDP-101の10分の1のメカデッキ・演奏機構部をつくる実力が培われるようになり、やがてCDをさらに飛躍させるモデルが登場したのである。それは、当初から大きな期待がかかっていたモデルであった。その後、CDにソフトウェアのデジタルデータを書き込んでパソコンで使えないかと言う、アイディアを成宮賢が、社内で取り上げられ、その後、ソフトウェアや

膨大なデータの格納用のメディアとして汎用されるようになった。

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