14話:3.5インチMFDの外販
英文ワープロを発表した翌年の春、他社製品に使ってもらうコンポーネントとして3.5インチ・MFD用ドライブの外販ビジネスが始まったが、社内ではSONYの4文字の付かない製品づくりへの抵抗がなかなか消えなかった。一人ひとりの意識を変えていかねばいけない。1983年4月にコンポーネント・ビジネスがシステム開発部から独立してメカトロニクス事業部として発足すると事業部長となった加藤はOEMビジネスに情熱を持てるようなカルチャーと価値観をメンバーが身につけるよう環境づくりを心がけた。
そんなある日、成宮賢たちの所に思いがけない申し出があった。何と一大ハイテク開発ゾーンとして名高い米シリコンバレーの中でも「先生」と尊敬されているコンピューター・計測機器メーカーのヒューレット・パッカード社が我々のコンピューターを、君たちの発表した3.5インチ・MFDでやりたいと1982年に言ってきた。彼らの要求を反映させた3.5インチ・MFD用ドライブの開発をともに進めていく。
彼らはすごい教え魔だった。次第に生徒であるソニーと先生であるヒューレット・パッカード社の技術者の間には強い絆が生まれた。その信頼関係の中で3.5インチ・MFD用ドライブは鍛え上げられ、コンピューター・メーカーの使用に耐えられる性能のものへと育っていった。その後、他社からも似たようなフロッピーディスクがいろいろ発表され、激しい標準化競争が始まった。
まず、日本で、ソニーの発表から遅れること1年、松下電器・日立製作所・日立マクセルの3社がコンパクト・フロッピーという3インチの競合規格をぶつけてきた。ソニーはこの別規格を大歓迎した。なぜなら彼らのものは同じプラスチックケース入りで3インチ記憶容量は半分。もうこれで、なぜプラスチックケースに入れたのかを説明しなくて良くなるし対抗馬が出たお陰で、こちらの性能が優れているか説明しやすくなったと強気だった。
3.5インチ、3インチに続き、3.25インチ、4インチなどの新しい規格が次々に発表され、乱立模様だったが、結局、最後まで残ったのはソニーの35インチと松下連合の3インチ。しかし、ソニーは、強力な味方を得た幸運と、根本的な仕様の良さで、苦しい標準化競争を勝ち抜いた。アメリカ、日本でそれぞれ標準規格として認められ、ついに国際規格として各国の規格の追従を勧告指示するISOの認定規格となった。
そして、1984年夏に晴れて「国際規格」としてのお墨付きをもらった。国際標準化の進む中、3.5インチMFDは、ヒューレット・パッカード社に続き、急成長する新進気鋭の米コンピューター・メーカーのアップル社にも採用された。彼らの薄くて低価格のドライブを、我々のパソコン用に量産供給してほしいという要求をきっかけになった。
そのため、フロッピーディスクドライブの自動化生産ラインがオーディオ・システム・ソニー・コンポーネント千葉で稼働し量産技術も鍛え上げていった。やがて、米IBMも自社のPSシリーズへの3.5インチ・MFDの採用を決めた。こうした名だたるコンピューターメーカーとのOEMビジネスの成功の連続は、3.5インチ・MFDの信頼性の高さを確実に証明していった。




