12話:ソニーのパソコン開発
1980年になり、新しいソニーマイコンの仕様が固まってきた。16色を表示できるグラフィック機能、漢字メモリの追加で日本語の表示可能、ソニーで開発ささらた3.5インチマイクロフロッピーディスク搭載。この3つを実現することが至上命題となった。更にコンパクトでスマートな外観が
求められた。この年は夏休み返上でデモ用の試作機の製作の日々が続いた。その後1982年9月に試作機5台が完成した。
そうして1982年10月にソニーにより、まず米国で16色を表示できるグラフィック機能を特長としビジネス用として導入された。その後、1982年12月1日に国内でも発売が開始された。国内向けのシステムでは,漢字メモリの追加により日本語の表示も可能であった。なお同システムはソニーで開発された3.5インチマイクロフロッピーディスクをパソコンとして最初に採用したシステムだった。
SMC-70本体はキーボードと一体の制御部と電源部から成っている。この本体に周辺装置など各種のオプションを接続することで,ホビー用から,ワープロ,作表システムをはじめとする業務用まで各種のシステムを構築できた。そのオプションとしては,3.5インチマイクロフロッピーディスクドライブなどの外部記憶装置、プリンタ、表示装置の他に機能拡張用の6種のプラグイン式
の拡張ユニットなどが準備されていた。
また、ソフトウェアとしてはSMC-70本体に収められているSony・BASICの他にオプションとしてCP/M、SonyDiskがあった。その後、当時としては革新的な表現能力を搭載、翌1984年にはカラーパレット機能を標準搭載したSMC-777Cを発売した。1980年代前半の8ビットパソコン普及期において解像表示はデジタルRGB8色が主流だった。
それ以外ではせいぜい、アナログ512色パレット中8色表示のものが一部にあった程度だった。
それに対して当機は、カラーパレットボードを搭載すれば4096色中16色「高解像度では4色」という表現能力を備えており、当時としてはビジュアル指向を強く意識したものであった。筐体は本体・キーボード一体型。ホビー向けを意識したためかテンキーは存在しない。
他機種であればテンキーがあるべき箇所には3.5インチFDDが鎮座してる。その手前に配置
されたカーソルキーは4方向のキーを1枚の正方形パッドとし四方を押し込む形式にしたジョイパッド型で、如何にも「ホビー向け」を意識されるデザインとなっていた。また本体添付のアプリケーション及びマニュアルが破格に豊富であり詳細なハードウェアの回路図まで付属していた点も特徴。
プログラミング環境としては当時一般的であったBASIC言語 「777-BASIC」 に加えコンピュータ入門教育用として期待されていた高級言語、LOGO「DR-LOGO」 が同梱されていた。他にも簡易な表計算ソフト 「MEMO」が標準添付されていた。その一方で同梱されていたアセンブラおよびデバッガではソニー独自のZ80用ザイログニーモニックであるANN表記を使用していた。
BASIC等の高級言語風の表記だったがザイログニーモニックに慣れていた既存のZ80プログラマたちの間では紛らわしい扱いづらい等の評がありアプリケーション開発者の参入を遠ざけた要因の一つとも言われている。OSとして供給されていたSONY・FILERはCP/MのVer1.4互換のシステムコールを持ちホビーパソコンにCP/Mの概念を持ち込んだ点でも特徴的だった。
CP/M、Ver2.2はスクリーンエディタと同梱の安価なパッケージで供給され容易にCP/Mを使用することができた「CP/Mのみの販売もあったが高価だった」これに関連してCP/Mの開発者でありデジタルリサーチの社長でもあったゲイリー・キルドールをして「最高のCP/Mマシン」と言わしめたという逸話も残っている。
ただし、製品に同梱されたSONY・FILER及びDR・LOGO、アセンブラ、デバッガ等はデジタルリサーチ自らによる開発であるため、この賞賛もやや手前味噌な感は否めない。なおSONY FILERのシステムコールはCP/Mと一部異なっており、ソフト互換性高くなく、前述の開発言語を使用するにはCP/Mを別途購入する必要が有った。
市販アプリケーションとしては、海外で絶大な人気を誇ったブローダーバンドのロードランナーやチョップリフター、A.E.等のAppleII市場のゲームを移植するなど国内のユーザーにその高性能とともに異文化の香りを見せつける形で発売された。CP/M環境下のソフトウェアとしてFORTRAN、CBOL、C、Pascal、APL、Forth、Prolog、LISPがソニー扱いで発売された。
そして幅広いプログラミング言語学習用のパソコンとしての活用も検討されていたものと思われる。またこの時期に国内外で隆盛していたテクノミュージックブームを意識して原始的ではあったが内蔵PSG音源を使用したDTMソフトウェア「カミヤスタジオのラッサピアター」をいち早く同梱していた。発売元が家電・AV機器メーカーで一般家庭向け製品と同種の販売戦略を展開した。
当時人気絶頂のアイドルの松田聖子をイメージキャラクターに採用した。そして人々のHitBitというCMキャッチとともにパソコンに関心の無い層へのアピールを盛んに行っていた。当時としては革新的な表現能力を搭載、翌1984年にはカラーパレット機能を標準搭載したSMC-777Cを発売した。しかし、8ビット御三家が覇権を争う市場を切り崩せずに姿を消していった。




