1話 パーティー
浮遊感。
遅れて、重力に引き寄せられる身体とは裏腹に迫り上がる内臓が圧迫感を伝える。
本能的にこれが落下だと判断した頭が生存のため手足をばたつかせるが、事ここに至っては悪あがきにもならない。
みっともなく足掻く努力むなしくどんどん水面が視界を埋めていきーー
「ッ!!ゔあッ!?痛っ……!?」
叩きつけられたざくろのように散ろうかという瞬間ハロルドは跳ね起き、同時に身体中を駆け抜ける痛みに呻く。
痛みを緩和していたアドレナリンの分泌はとうに止まっており、正常に機能した痛覚が本来の痛みを主張していた。
「そうだ、確か河に飛び込んで……それから」
覚醒を始めた意識が現状を整理し始める。
豚に近しい生物の討伐と侮っていたが、蓋を開けてみれば今のハロルドでは逆立ちしても勝てないような強敵から河へ身を投げ出すことで逃げ切ることに成功した。
「のは良かったんだけど……」
ハロルドにとって誤算だったのは20メートルという高さは甘いものではなかったという事だ。
谷から落下し水面へ到達したときの衝撃たるや筆舌に尽し難く、そこでハロルドの意識は一旦途絶えた。幸いにもすぐに意識は覚醒したが、身体へのダメージは重大。泳ぐこともままならなかったハロルドだが、タイミングよく流れてきた流木に捕まり都の水門まで流された。
運のいいことにちょうど水門は開かれており、そのままハロルドは都へ帰還したのだ。
しかし極度の疲労や体温の低下からハロルドは再度意識を失った。
なのでハロルドに分かるのはここまでなのだが、
「ここはどこだろう……それにこれは……」
ゆっくりと辺りを見渡せば木材で作られた壁に、ほんのりと柔らかく灯をともす魔鉱石のランプに、乱雑に積み重ねられた本。
どう考えても外、ましてや河などではない。
それに加え、目線を下に落とせば自身にかけられている白い毛布に身体には包帯が巻かれ、治療の後があった。
「誰かが助けてくれたんだ」
そう結論付ける。
なら、意識を失ったハロルドをここまで運び、治療を行った人物がいるはずだ。
お礼を言わなければ、とハロルドが布団から出ようとしたとき、ガチャ、とドアノブを回す音がして1人の女性が部屋に入ったきた。
「あら、起きてたのね」
女性は起き上がっているハロルドを見て一瞬少し驚くも、直ぐに興味を失い感情の読めない瞳でハロルドを見る。
銀色の透き通る腰の辺りまである髪に、青い瞳。
ハロルドより僅かに高い身長に、女性的な起伏には乏しいが柔らかく、そして儚げな印象がある。
直ぐに酒場で見かけた女性である事に思い至ったハロルドだが、ひとまず感謝を伝える事を優先した。
「えっと……多分、貴女が助けてくれたんですよね?その、ありがとうございます」
「ーー別に。ただの気まぐれよ。……あのまま死なれたら後味悪かったし」
女性が少し意外そうな顔でハロルドを見る。その態度のわけが分からなかったハロルドだが、直ぐにその疑問は氷解した。
「君……私のこと、知らないの?」
「……?」
揺れる瞳、確かめるような期待が含まれた声。
酒場で見たことなら、と答えようとして口をつぐむ。おそらく、女性が聞きたいのはそういうことではない。
その質問にどんな意味があるかハロルドには分からない。
分からないから、正直に答えた。
「僕は今日……いや、もう昨日になるのかな、冒険者になったばかりで。だから、お姉さんのことは知らないです。ごめんなさい」
仮に、女性が有名な人物だったとして。その事を女性がアイデンティティにしていた場合これは失礼にあたるのだろうか。
黙りこくってしまった女性を前に恩人に失礼をしてしまったと内心焦り出したハロルドだったが、
「そう。知らない、のね。私のこと……知らないのね」
俯き、小さく呟くように言った女性は次の瞬間には顔を上げて、心なしか先ほどまでより明るく見えた。
「ところで、君はなんであんなところで倒れてたの?」
「あんなところがどこなのかは分からないですけど、ちょっとクエストで失敗しちゃって」
事実、ハロルドには水門から都に入った後の記憶がない。
普通に考えれば、意識不明のまま河を流されていたハロルドを女性が助けてくれたのだろう。倒れてた、ということは流されているうちに河辺に打ち上げられたのか。
いつ水没して窒息死するかも分からない状況だったのは想像に難くなく、偶然とはいえ九死に一生を得た事に安堵する。
もっと話を聞こうとする女性に、失礼とは思いながらも「それより」と前置きをして、ハロルドは考えていた懸念事項を口にした。
「その……お礼の方とかは……」
「あー……」
善意だけで善行をなす人はなかなかいない。
同様に、放置すれば確実に死ぬという状況で簡単に見捨てられる人もなかなかいない。
しかし、だからといってありがとうの言葉ひとつで清算できるというものではないのも現実である。ハロルドを助けた女性がハロルドに対してその対価を求める権利があるという事であり、至極当然の事でもあった。
が、ハロルドは一文無しである。完膚なきまでに一文無しなのである。
金銭の要求をされた場合、それをハロルドが支払うのは土台無理な話であり、その場合自分はどうする事になるのか。
まあ借金である。お金がないのら、ある所から借りるしかない。
暗い予想を繰り広げるハロルドに女性はしばしの逡巡のあと、
「お金……は無理よね。だからそんなこの世の終わりみたいな顔しなくても大丈夫よ。ふふ」
「えっ、あ、その……ありがとうございます」
小さく、くすくすと笑う女性にハロルドは驚き、不謹慎だとは思いながらも内心喜んでいた。
これで金銭の要求はまずないだろう。冒険者となった次の日には借金に苦しむ債務地獄など、普通に願い下げである。
「でも気になるな。クエストで失敗したっていってたけど、それがどうして河で意識を失う事になるのかしら。君、新人なのでしょう?」
「それには山よりも高く海よりも深い事情がありまして……」
部屋に入ってきたときとは別人かと思えるぐらいに喜色が含まれた声音に少々面を食らう。
ハロルドも自分の失敗をこうして初対面の、しかも可愛い異性に話すなど少なくない心理的抵抗はあったが、現在のハロルドの立場はすこぶる弱い。
そうして仕方なく、本当に仕方なくハロルドは初めてのクエストで起こったことを話し始めたのだった。
☆
「バカなの?いや、バカね間違いなく」
「返す言葉もないです……」
ハロルドの話しを聞き終えての女性の感想である。
あまりにもあんまりな感想であるが、事実であるため如何ともしがたい。
「なんで初クエストで討伐系いっちゃうかな。採取のクエストもあったでしょう?」
「お金がほしくて……」
「しかもソロとか。初心者はパーティーを組んでクエストに行くのが基本なのは知ってるでしょう?」
「早くクエストに行きたくて……」
「しかも魔獣の討伐って。よほど強力な魔法が使えるのかと思えば、貧相な剣1本振り回すしかなくて、防具もない」
「まさかあそこまで強いとは夢にもおもわず……」
「終いには命からがら逃げるために谷から河に飛び込む。君ってもしかしてスリルを楽しむ人なのかしら」
「違うけど言い訳のしようがない……」
話の合間に挟まれた彼女の驚愕とそれにより明らかになる自分の迂闊さ。
ハロルドが受けたクエストーー魔鉱石により凶暴化した原生生物の討伐。厳密に分類すれば違うのだが、大雑把に分類するとそれは魔獣と呼ばれる。
魔獣。それは魔鉱石により変質した生物のことを指す。
変質の方向性は生物により異なり、また個体ごとにも変わる。しかし、種族ごとにある程度の特徴はある。
例えば、俊足の獣であればより速く。
例えば、牙を持つ獣であればより鋭く。
例えば、柔らかい表皮の獣であれば、より強く、硬い表皮に。
魔獣としての変質が進めば進むほどその特性はより顕著に、また強固になる。そうして最終段階まで進み、かつての獣とは一線を画す存在。それを魔獣と呼ぶ。
なぜ魔獣が現れるかは分かっていない。世界の研究者たちは魔鉱石が関係しているらしい、というところまでは突き止めたが、何故かはまるで分からないという。
一説には魔鉱石を取り込むことにより、魔鉱石に含まれる無色の多量の魔力が生物の特性を引き上げているのではと言われているが、真偽のほどは定かではない。
ともかく、魔獣は熟練の冒険者をも殺しうる可能性を秘めた非常に危険な存在であるということ。
「つまり、間違っても初心者が、それもソロで装備もない状態で挑んでいい相手ではないわね」
「仰る通りです」
今回ハロルドが生還できたのは偶然に偶然が重なった半ば奇跡に近い。
たしかに、あの猪の魔獣はどこか気が立っていた様子だったし、最後の個体に関しては足が遅かった。あの時は大して気にも留めなかったが今にして思えば、どこか不自然である。
「受付の人も止めてくれればよかったのに……」
見るからに駆け出しであるハロルドに見合っていないクエストであるのは誰の目にも明らかである。
ともすれば自殺にもなりかねないそれを止めなかった受付のギルド職員に、ハロルドは思わず意味もない恨み言をこぼす。
「パーティーがいるか、それか強力な魔法が使えるって思われたんじゃないの?普通、魔獣討伐のクエストにソロで装備なし魔法なしでなんて行かないもの」
しかし女性の素っ気ない言葉で撃沈。ハロルドに思うところがあれど完璧に自業自得であり、言ってしまえば無知なのが悪い。
無知は人を殺す。日常的に命のやり取りをする冒険者なら尚更だ。
「高い授業料だったなあ」
「生きて帰ってきた。それだけで元は取ってるわ。これ以上ないってほどにね。そう思いなさい」
「はい……」
肩を落とすハロルド。
結局クエストは失敗扱いになるため、懐は寒いままである。
今日からどうしよう……とハロルドが思考を飛ばしていると、「ねえ」と女性が躊躇いがちに声を出す。
「君、あてはあるの?」
「あて……?」
問われていることが分からず、ハロルドはおうむ返しに問い返した。
「冒険者としてのあれこれを教えてくれる人はいるのかってことよ。まさか、このままひとりのまま手探りで行くつもりだった?」
「えっと……」
行くつもりだった。
いや、どこかでパーティーにはいったり……とは考えていたが、少なくとも次のクエストはひとりで行くつもりではあった。
図星を突かれてどもるハロルドに女性は呆れたように嘆息して、
「ないのね。……じゃあ、よかったら私と組まない?」
「えっ」
それは、出来すぎた話だった。
力もお金も後ろ盾も何もかも無い無い尽くしの少年が、たまたま初クエストで死にかけていたところに遭遇した先輩の冒険者にパーティーに誘われる。
普通は逆である。むしろ、ハロルドの方から相応の対価を用意してお願いするべきことだ。
あまりにも、ハロルドにとって都合のいい話だった。
だが、少しばかり身を縮め、まるで断られることを怯えるような女性の様子からは、ハロルドをどうこうしようと言った意思はまるで感じられない。
普通は一も二もなく飛びつくような話であるはずが、目の前の女性は何故か断られる可能性を思い描いているようだった。
もしハロルドが断れば、女性はきっと悲しむだろう。
なんとなく、嫌だなと思った。
そう思ったときにはもう口は動いていた。
「ぜひ。むしろこっちからお願いします。僕とパーティーを組んでください」
「あっ……」
まっすぐ女性に向き直り、頭を下げる。
そんなハロルドの様子に女性はどこかほっとしたような顔をし、
「よろしくね」
初めて、笑顔を見せた。
☆
「あっ、そうだ」
「ん?」
諸々あってパーティーを組むことになった2人だが、パーティーを組むとなれば確認しなければいけないことがある。
なので、「そういえば」と前置きして、ハロルドは何の気なしに女性に聞いた。
「僕は魔法が使えないですけど、お姉さんはどんな魔法を使えるんですか?」
魔法。体内の魔力を媒介に奇跡を起こす、あらゆる状況を覆す可能性を秘めた冒険者の切り札。
といってもそれは所謂大魔法を使えたら……であり、一般的な冒険者にとって魔法とは攻撃手段のひとつ又は戦闘補助でしかない。
しかし侮ることなかれ。火を噴き、凍らせ、稲妻を走らせ、岩を落とし、傷を癒す。
物理的な法則を完全に無視した超常を現実にもたらす魔法は、例え小規模でも軽視できない力を持つ。
その魔法が、人間であればほぼ誰にでも扱えるというのだから恐ろしい話である。
魔法は魔力を使って術式を組むことにより発動する。
つまるところ、誰しもが魔力を持っているため術式さえ構築できれば魔法が使えるのだ。
理論上は誰でも大魔法を魔力の続く限り連発できることになる。
しかし、そうはうまくいかないものである。
まず、大魔法には膨大な魔力がいる。
噂では海を割り山を消しとばした魔法も存在するらしいが、そんなものを発動させる魔力がいったいどれほどのものか想像するのもアホらしい。
しかも、魔法には適正がある。
例えば、2人の人物が同じ術式で同じ魔法を発動したとする。当然、全く同じ魔法が発動するはずである。
しかし、現実にはそこに威力の差が生まれてしまう。全く同じ魔法を発動したはずのに、かたや魔力リソース以上の威力を発揮し、かたや魔力リソース以下の威力になったり、といった具合に。
込める魔力を増やすことによりその差を覆すことも出来るが、魔力とは即ち生命力。魔力が少ないからといって身体が貧弱である……ということはないが、魔力が枯渇すると身体に絶大な負荷がかかるのだ。最悪死ぬこともある。
この魔法の適正……言い換えると、魔道の才能。
これが、ハロルドにはこれっぽっちもなかった。
術式を構築して、どんなに魔力を込めてもうんともすんともいわない。ロウソクの火ほどの火も出せなければ、石ころひとつも落ちやしない。
あまりに残念すぎる現実に当時は随分と嘆いたハロルドだが、今となってはそれはそれと割り切っている。
憧れがないといえば嘘になるが、別に魔法が使えなくても強い冒険者にはなれる。そんな物語だってあるのだ。
ハロルドが極端に珍しいだけで、普通の人なら才能の差はあれど魔法を使うことができる。
「……いろいろ使えるわ」
「えっ、すごい!さすが冒険者!」
大抵の人はどんな魔法も扱えるとはいえ、そのためには膨大な術式の知識が必要である。
そのため、魔法のレパートリーが多いということはそれだけ努力したということの証であり、ハロルドは素直に尊敬した。
だから、これはハロルドにとって純粋な質問だった。
「どれぐらい使えるんですか?やっぱり、色んな魔法を扱えるぐらいだから、何十回も使えたりするんですか?」
魔力があれば魔法が使える。逆にいえば、魔力がなければ魔法が使えない。
魔力量は人によって大きく異なるが、適切な魔力管理さえすれば大抵は日に10回は平気で使えるものである。
「……………………よ」
「え?」
微かに震えながら、女性がぼそっと呟く。
背を向けている女性の顔はハロルドには分からない。
「ごめんなさい、聞き取れなかったのでもう1回言ってもらってもいいですか?」
だから、聞き返すのもまたハロルドにとって当たり前のことだった。
「……いっかいよ!私はどうせ日にいっかいしか魔法が使えないみじんこみたいな魔力しかないわよ!悪かったわね、何十回も魔法が使えなくて!」
「え、あっ、いや、そんなつもりじゃ……!ご、ごめんなさい!」
「ふーんだ」
気にしていた事だったのか、ぷくぅと頬を膨らませる女性に狼狽えるハロルド。
怒ったポーズを取る女性を宥めるハロルドのどこか滑稽な声がしばらく響いていた。
魔法が使えない少年と魔法を使えない少女。
互いに冒険者としては致命的ともいえる不具合を抱えた欠陥だらけのパーティー。
2人の道は今、たしかに交わった。
疑問点などがあれば言ってください。
感想評価等あると嬉しいです。