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プロローグ

 外敵を遮断する防壁としての役割と、その国の威信を表すかのような意匠。2つの役割を遺憾なくこなすメインゲートから荘厳な城へと続く石造りのメインストリートには溢れかえるほどの人で溢れていた。

 ここーー都はメインゲートと東西南北の4つの門に出入国が制限される。その中でも一際大きいのがこのメインゲートである。人の出入りが多い場所は栄える。必然的にメインゲートは流通の要所となり、周囲には声を張り上げる商人と値切り交渉に精を出す客も多数見受けられる。


「すごい人だ……!」


 遠い故郷から遥々都にやってきた少年ーーハロルドは、最初こそ故郷では見たこともない人口に圧倒されていたが、状況を飲み込めば次第に興奮が驚きを凌駕した。


「ここが……僕が冒険者として生きる場所……!」


 故郷では想像もできない賑わいに自然とテンションが上がり、湧き上がるそれをそのまま解放した。

 門出は賑やかな方がいい。冒険者を志すハロルドにとって都に来たことは人生の転換その瞬間である。

 上がり続けるテンションに任せてハロルドは声にならない喜びを迸らせたまま走り出した。


 今日、この瞬間からハロルドの冒険者生活が始まるのだ。



 ☆



 世界には未開拓エリアと呼ばれる人類未踏のエリアが存在する。

 未開拓エリアは場所によりその様相を激変させるが、総じて限りなく危険であること、国の主要産業であり、今では人の生活に欠かせないほど日常に浸透した魔鉱石と呼ばれる石が大量に眠っていると言われている。

 常人では決して生きて帰れない世界のブラックゾーン。そんな未開拓エリアに踏み込み、未知を人にもたらす。そんなお伽話のような存在を人は冒険者と呼んだ。

 ……というのは昔の話。今では地図に当たり前のようにある場所も、かつては未開拓エリアだった。冒険者のたゆまない活躍により人類は大幅にその領土を増やしてきた。しかし、現在残る未開拓エリアはその先人たちも開放できなかったエリアである。何人もの冒険者が未開拓エリアに乗り込み、そして帰ってくる者は誰1人としていなかった。

 やがて、未開拓エリアに挑む者は変わり者と呼ばれるようになり、現在冒険者とは魔物や原生生物の討伐や危険な場所での採集などの冒険者ギルドが斡旋するクエストによって生計を立てている者のことを指す。

 とはいえ、冒険者という職業から危険がなくなったというわけではない。魔鉱石の影響を受け凶暴化した原生生物や、魔物の討伐などが代表的なクエストであり、冒険者が自身の命を切り売りする職業であるという点に一切変化はない。

 そのため強い冒険者は名声と富を得ることになり、冒険者に感謝をする者も、冒険者に憧れる子どもも数多くいる。


 ハロルドもその1人だった。

 物語に出てくるような冒険者に憧れて片田舎の故郷を飛び出してきた。

 魔法も使えない子どもの身では独力で都まで辿り着くことはまず不可能である。道中には険しい道もあれば人攫いの危険もあり、魔物に遭遇する可能性も捨てきれない。10を過ぎて数年の子どもには過酷にすぎるというのは、ハロルド自身もわかっていた。そのため、今までせっせと貯めた貯蓄をほぼ丸々使い、魔鉱船と馬車を乗り継いで都まで来たのだ。

 つまり、都に到着した時点で残金はほぼ0。幸いにも武器は剣がひと振りある。故郷の蔵に置いてあった錆びかけの剣だが、武器は武器である。スライムぐらいならおそらく問題なく斬れる、とあたりをつけている。


 兎にも角にも、なるべく迅速にクエストをこなし金銭を手にすることが最優先である。

 なにせ、そうしなければ今日寝る宿も明日食う食べ物もない身だ。クエストは冒険者ギルドにて冒険者登録を行わないと受けることができない。

 そのため、初めての街並み、客引きをする露天商、目を惹く道化やお店の誘惑を脇目に冒険者ギルドへと急いでいた。


「ここが都の冒険者ギルドかあ」


 都までの道中、馬車に乗せてくれた行商人からもらったメモを頼りに何度か迷いつつも冒険者ギルドへとたどり着く。

 木材で作られているためか、はたまた酒場と併設というよりは酒場の上にギルドがあるといった具合だからか、そこは陽気な冒険者たちの声と賑やかな喧騒で満ちていた。


「うわ」


 開け放たれている入り口から一歩、喧騒に踏み込む。

 途端にぶわっと肌を舐める熱気に、心なしか先ほどよりも大きくなったがやがやとした人の声。

 ぐるっとあたりを見渡してみれば、昼間から酒をかき込む大男もいれば、腰掛けて談笑する女性もいた。


 ここがこれから自分が生きていく場所で、同業者たちなんだと思うと、まだ見ぬ未来に胸が膨らむ。

 みんな、思い思いに楽しげに見えた。


「…………」

「…………」


 ふと。

 隣の人と会話するのにも多少声を張らねばならないような喧騒の中で、聞こえるはずもない声が聞こえた。


「パーティー勧誘かな……?」


 気になって声の聞こえた方に首を回せば、そこには1人の女性を取り囲む男たちの姿が見えた。

 白い、薄暗い酒場でもはっきりとわかる透き通るような銀色の髪を腰まで伸ばした女性はにこやかな表情で会話をしているが、ハロルドは男たちの極上の料理を前に舌なめずりをしているかのような表情が気になった。

 どうにも、男たちのパーティー勧誘を女性が断っているようだった。

 やがて、パーティーへの誘致を諦めたのか男たちが如何にも納得していない顔で女性から離れる。

 女性はほっとしたような顔をしてクエストが張り出されている掲示板へ足を向けたが、歩き出す前に別の男に声をかけられた。

 また断るのかと思いきや、男が一言、二言女性に投げかけると、女性は一瞬何かに耐えるように拳を握ったあと、男についていく。


「……」


 女性は手を後ろに回していたため、それに男は気がつかず、ハロルドだけが気がついた。


「っと、いけない早く冒険者登録をしないと」


 そこまで見ていて、本来の目的を思い出したハロルドは酒場の二階にある冒険者ギルドへと向かう。


 冒険者登録をしている間、何故か、先ほどの銀色の髪の冒険者のことが頭を離れなかった。




 ☆




 冒険者登録とは、平たくいえば人権の放棄である。

 いや、この言い方には語弊が残る。要は、『クエスト中に起きた如何なる事もギルドが責任を持つ必要は一切ない』という事を同意することである。

 とはいっても、これは冒険者が好き勝手できるという意味ではない。ペナルティーを与えられない組織など無いも同然である。

 当然冒険者が公に施行されている法や仁義道徳に反した行いをすればギルドは容赦なく冒険者にペナルティーを与えることが出来る。つまるところ冒険者登録とは、クエストで死んでもギルドのせいじゃないよ、ということに同意することである。そして、その代わりなのか別の目的があるのか、ギルドが冒険者同士の諍いに直接的、積極的に関わることはほとんどない。余程のことがなければ当人同士の解決に任せるのがギルドの方針である。


 何はともあれ、冒険者登録を終えたハロルドは晴れて正式な冒険者となった。

 幼少の頃より憧れた物語の中の冒険者に、遂になったのだ。

 乗っていただけとはいえ、少年の身には都までの道中もかなりの大冒険であったことに変わりはない。

 その感動もひとしおだった。


「えーっと、掲示板でクエストを選んで受注するんだったよね」


 冒険者登録の際に受けた説明を反芻し、クエストボードへと足を向ける。

 基本的に、冒険者ギルドはギルドが受付管理している依頼を張り出し、冒険者が各自選んで受注するという流れを取っている。

 とはいってもハロルドが受ける依頼はすでに決まっている。


「狙いはスライムの討伐……!」


 というよりは、それしか受けられない。

 何せハロルドの装備は錆びかけの剣ひと振りのみで、防具などは一切ないのである。

 スライムより難易度の高いクエストを選べば生還できるか怪しい。


 ハロルドが見上げるほどの大きさのクエストボードには、多少黄ばんで劣化している紙や真新しい白い紙に記載されたクエストが所狭しと並んでいる。

 辺境の魔物の討伐から魔獣発見区域での採取など内容も様々である。


「スライム…スライム……な、ない……」


 しかし隅から隅まで目を走らせても、依頼は数あれど肝心のスライム討伐の依頼は見つからない。


「どうしよう……」


 これはいよいよ困ったことになった。ハロルドにとって、スライム討伐の依頼がないということは金銭の入手手段が断たれたことを意味する。

 当然本日は断食となり、満天の星空を見上げながらの就寝となるだろう。

 幸い今の時期は比較的暖かく都の気候は穏やかである。野宿できないこともないが、ぬくぬくのお布団の誘惑は諦め難い。

 何より、成長期であり食べ盛りのハロルドにとって1日絶食というのは辛すぎる決断でもあった。


 スライムの依頼はない。でもお金はいる。

 まさしく二律背反。あちらを立てればこちらが立たない。

 このような状況に陥った場合、只人がとれる選択肢は2つに1つである。

 即ち、諦めるか妥協するか。


 ハロルドは後者を選択した。


「都付近の山岳で凶暴化した猪の討伐……猪って確か豚のことだってお爺ちゃんが言ってたな……豚、ならいけるかも」


 つまりは難易度の妥協である。

 ハロルドは故郷で家畜として飼われている豚を散々見てきた。

 奴らはおとなしく、健康な成人男性であれば容易に倒せる生き物である。

 また、その身体はやらかい皮膚で覆われており硬い鱗で守られているわけでもない。

 背中に吊るされた錆びかけの剣にちらりと目をやり、ハロルドは行けると判断した。

 所詮鈍い豚である。冒険者になるために鍛えていた自分なら楽勝である、と。


 判断したのなら、あとは行動するのみ。

 ハロルドはクエストボードから目的の紙を引き剥がすと、勇み足で受付の職員のいるカウンターに向かって言った。


「このクエストをお願いします!」



 ☆



「豚舐めてたああああああああああ!!!!!」

【ブモオオッ!!】


 全力疾走。ハロルドは猪と命をかけた鬼ごっこをしていた。


 時は遡り、クエストを受注し、職員からもらった地図を頼りに約3時間の道。

 都周辺だけあって舗装されていた道から途中外れて川沿いを歩き、獣道を進み猪の生息域に踏み入ったハロルドは程なくして1匹の猪を見つけた。

 気が立っているのか数メートル離れたハロルドにまで荒い呼吸の音が聞こえるが、本来野生動物にはあって然るべきの背後への警戒がまるでない。


「興奮してる野生動物には近づかないのが鉄則だけど……」


 それはあくまで一般人が不意に野生動物を発見した場合である。

 ハロルドは冒険者であり、しかも討伐を目的としてこの場所にいるのだ。

 チャンスだと思ったハロルドは静かに錆びかけの剣を抜刀。息を殺し背後からそろそろと猪へ接近する。


 猪は、気がつかない。


「ふっ!」


 剣の間合いに接近し、ハロルドは獲物を仕留める確信と裂帛の気合いとともに上段から錆びかけの剣を振り下ろす。

 それはそのまま無防備な猪の背から横腹を斬り開くーーはずだった。


「えっ」


 ゴンっ、と鈍い音。

 不意をついた会心の一撃は猪を斬ること叶わず、まるで石と石をぶつけたかのような衝撃をハロルドの手に伝えた。


 見敵必殺の一撃の失敗。それがもたらす結果はただ1つである。


【ブモオオッ!!】

「うそおおおおおおっ!!?」


 開戦の狼煙。

 日が落ち薄暗くなり始める夕刻。ハロルドの初めてのクエストが本当の意味で幕をあげた。


 そして現在。


「豚じゃないっ!!これ絶対豚じゃないっ!!ほわあああっ!!?」

【ブモオオッ!!】

【ブモモォ!】

【ブモッ!ブモオオッ!!】

「しかもなんか増えてるしいいぃ!!」


 起伏のある地面を飛ぶように駆け、横合いから突撃してきた猪を視界の隅に捉えて慌てて身体を捩り回避。

 1匹だった猪はいつのまにかその数を増やしており、ハロルドの背後で奏でられる打撃音のような足音に背筋が凍りそうになる。

 自身の剣が使い物にならないと会敵の一撃で分かった瞬間、ハロルドは即座に背を向けて逃走を開始した。猪とハロルドの素の身体スペックは猪に軍配があがる。障害物など関係ないとばかりに粉砕して猛追する猪に、魔法で身体能力を上げることもできないため本来なら追いかけっことなった時点でハロルドの命の火はとうに燃え尽きていただろう。

 しかしここは山岳地帯。平地に比べ起伏のあるこの地形であることがハロルドの命をつないでいた。

 容易には走ることなど出来ない山地。それがこの逃走劇を可能にしていた。


「はぁ……っ!はぁ……っ!あれは……っ!!」


 眼前に見えたのは壁。恐らくは地面が隆起したことにより生じたその壁は迂回路などはなく、両手を自由に使える人間ならば問題なく超えられるが、四足歩行の猪が乗り越えるのは不可能に近い。


「やった!」


 それほど高い壁ではなかったのも具合が良かった。

 両手両足をフル稼働させハロルドが壁をよじ登った直後、爆発したかのような轟音とともに猪が壁に激突する。


「うわあっ!?」

【ブモオオッ!!】

【ブモオオオオッ!!】


 その場に立つのが困難なほどの衝撃に両手を地面につける。

 そして、揺れが収まると同時に訪れる静寂。


「流石に今ので動けなくなったかな……?」


 恐る恐る下の光景を見れば、ピクピクと痙攣して起き上がらない猪が3匹。


「あれで生きてるんだ……」


 凄まじいタフネスに戦慄する。ハロルドなら頭蓋が割れようかという衝撃だったのだ。まともにやりあってたらと思うだけで冷や水を浴びせられたような心持ちになる。


 数分待ち完全に動かなくなることを確認した後飛び降りる。

 猪の毛皮は売れる。クエスト前に確認していたことを思い出し、どうせならと剥ぎ取りにかかる。

 窮地を脱した安堵。張り詰めていた緊張が急激に緩まり、精神が弛緩する。


 だからだろうか。ハロルドはつい先ほどまで自身がいた壁の上から、己を見つめる一対の目に気がつかなかった。


【ブモ?】

「えっ?」


 ふと、頭上で散々聞いた獣の声を耳が拾い、嫌な予感に突き動かされハロルドは顔を向ける。

 交差する視線。止まる時間。


【ブモオオッ!!】

「ほわああああっ!!?」


 ハロルドを敵と狙い定めた猪が壁の上から強靭な脚力により砲弾のように飛来する。

 慌てて右に倒れこむように回避ーー再びの轟音と衝撃。


「マジで……?」

【ブモ……ォッ!】


 しかし……倒れない。猪はすぐさま4つの足で地面を踏みしめハロルドに向き直る。


 鬼ごっこ第二幕開戦。



 ☆



「やばいやばいやばい!!死ぬ!やばい死ぬ!!」

【ブモ!ブモォ!ブモオオッ!!!】


 必死の形相を浮かべて走るハロルドの背後で、ドゴン!ドガンッ!バギン!!と冗談みたいな音が鳴り響く。

 ハロルドが走っているのは木々が生い茂る比較的緩やかな斜面。木が遮蔽物となり、更にいざとなれば木によじ登れば凌げると閃いたハロルドはここへ逃げ込んだ。


「くそっ……!ふざけろ……っ!!」

【ブモオオッ!!】


 しかし、猪は木では止まらなかった。

 猪がぶつかった木は削り、抉られ障害物としての役割を果たさない。

 いくら木といっても幹ともなればその硬度は生半可なものではない。あり得ない破壊力であり、それを生み出す猪の皮膚もまた埒外の硬度であった。


 不幸中の幸いだったのは、この猪は先ほどの個体ほど足が速くないことだ。

 比較にならない肉体強度こそ持っているが、足が速ければ逃走が成り立たなかった。この個体が同じ速度で走ることができたのならハロルドはすでに死んでいただろう。


「ぐっ…っ!?」


 緩い地面に足を取られ体幹がブレる。

 結果としてスピードが死に、必殺の破壊力を秘めた肉弾が彼我の距離を殺し肉薄する。


「う、ああああああっ!!!」


 倒れ込もうとする方向へ自ら身体を押し込み頭から飛び込む。

 瞬間、ハロルドの数センチ上を暴力的な質量が通過する。

 致死の突進の回避には成功したが、全力疾走の最中無理やり転倒したようなものだ。

 勢いを殺しきれずに転がり幹に強かに身体をぶつけてしまうが、結果は急ブレーキに成功した形になる。


「こんなところで死んでたまるか……!」


 殺された距離が蘇る。

 アドレナリンが多量に分泌されているからか、痛みは感じない。ありがたい、痛みに気を取られていては逃げきれない。


 急制動をかけた猪が再びハロルドを狙い定める。

 走り出すハロルドを仕留めんと猛追する。


「はぁ……っ!はぁ……っ!はぁ……っ!げほっ、はぁ……っ!」


 呼吸すら覚束なくなるほどの疾駆。ただ闇雲に逃げるだけに見えるがむしゃらな疾走。

 スピードが命である以上傾斜を上がるなど自殺行為である。必然下に下に下っていくようにハロルドは走る。


 しかし、このままではハロルドの体力が持たないことは明白。戦っても勝てる相手ではない。一発逆転の可能性のある魔法や魔鉱石を加工した魔道具を持ち合わせていない以上、ハロルドは己の身1つでこの状況を打開する必要がある。


 最も上手いのはやはり破壊不能なモノへぶつける事だろう。

 しかしこの猪は高所から地面へ激突しても倒れなかった。

 更に、山地を下って来た今そう都合よく地面の隆起などない。現実的ではない。平地に逃げるのも論外である。身を隠すこともできるが、豚はあれで鼻が効く。勝算の低い博打に己の命をペットするにはまだ早い。


 しかし、ハロルドには1つの勝機が見えていた。


「はぁ……っ!はぁ……っ!ついた……!!」


 耳が水の音を捉える。

 木々の密集地を抜ければ、ハロルドの眼前に開けたのは20メートルに届くかという谷と、その間を流れる河だ。

 山岳地帯の瀑布を源とするこの河はある程度の流水量を誇り、またこの谷は山を下り切る前の最後の絶壁。


「行くぞ……!覚悟を決めろ僕……!!」


 谷の間は人が飛び越えられる距離ではない。

 ならば、やることは1つ。

 心を決めたハロルドは力強く地面を踏み抜き空へ一歩を踏み出した。

 一瞬の浮遊感。直後、重力に従いハロルドの身体が河へと吸い寄せられる。


「うわああああああああああぁぁ!!!!」

【ブモオオオオッ!!】


 躊躇いなく身を投げたハロルドとは違い、猪はギリギリのところで踏みとどまる。


【ブモォ……!】

「どうだ!僕はお前から逃げ切ったぞ!!」


 落ちるハロルドを睨みつける猪を視界に捉え、拳を突き出し吼える。


 そして、水飛沫が上がった。



 ☆



 夜の都は騒がしい。

 クエストを終えた冒険者が酒場で祝宴を上げ、またその冒険者を呼び込む店の熱気は活気を生む。

 夜だというのに灯りの魔道具で明るく、誰もかれもが今日を生きた自分をねぎらい明日への活力とする。

 そんな都の中心から外れ、郊外に出ると一気にその喧騒は遠くなる。とはいっても都なだけあり灯りの魔道具は辺りを照らし、人の賑わいも健在である。


 そこから少し外れて、山岳地帯から都の北部を横断するように流れる河川に女はいた。

 白い、透き通るような銀髪は月の光を反射しうっすらと光り、幻想的な印象を抱かせる。しかし、本来はその髪と相まって映えるはずの白い肌は、赤い痕がいくつもあり、痛ましさとどこか倒錯的な魅力を放っていた。


 ちゃぷ、ちゃぷと女は身を清めるように河の水を手で掬っては身体へと揉み込むようにかける。

 まるで、そこについた何かを落とすように。


「ちくしょう……」


 手で掬い身体へ。


「ちくしょう……」


 手で掬い身体へ。


 何度かそうして、女は仰向けに水面へ倒れた。


 月の光に照らされる白い肌、水中へゆらゆらと広がる銀色の髪。

 ゆるりと水に漂うその姿は1枚の絵画のようであったが、身体中にある赤い痕がその品を損なわせる。


「私は……どっちなのかな……たまに分からなくなるよ、お父さん……」


 ほろりと、溢れるように漏れた言葉は水に吸い込まれて消える。


 その時だった。


「誰っ!?」


 ざぶ、と何かが水に入る音。

 両腕で胸を隠しながら女が振り向けば、1羽の鴨が呑気そうな顔で漂っていた。


「鳥、か……。ん、あれは……?なんだろう……」


 鳥だったことに安堵した女は、その後方に何かが浮かんでいるのを見つけた。

 半ば岸に打ち上げられたそれが気になり、女は恐る恐る近づいていく。


「……え、これ子ども……?きゃああっ!……もしかして意識がない?」


 人だと認識した瞬間羞恥から喉を悲鳴が登るが、ピクリとも動かないのを見て確認のためにうつ伏せになっていたそれを転がす。


「男……」


 息があることは胸の動きでわかった。女はしばしの間少考し、やがて意を決したようにその場を離れた。

 数分後、着替えた女はそれを背負って夜の街へ消えた。

疑問点などがあれば遠慮なく言ってください。

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