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Caramel thinking  作者: しま馬
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本日のカラメル・シンキング

人は時に、自分でも思いがけないことをして、

自分を保とうとすることがある。


例えば私には今年20を迎えるというのに既に喫煙歴5年目の友人がいる。彼は「金もかかるし、女受けは悪いけどタバコを吸ってしまう」と言う。

煙草の成分がそうさせていると考えるかもしれないが、もしかすると彼は煙草を吸うという行為によって自身のバランスを保とうとしているのではないかと私は考えた。


そんな私は何によって自身のバランスを保っているのかと己を省みた時、食事ではないかと思った。何もしたくない時は何かしら食べたいと考えてしまう。一度食べ始めると、お腹いっぱいに食べても食べるという行為がが終わるのが寂しくてついついもう一杯と箸を止めれなくなるのである。

しかし、食べることによる幸福感はすぐに食べ過ぎという名の罪悪感に変わってしまう。食事以外に自分のバランスをとれることをしたいと当然思うが、様々な理由をつけてはまた食べることに回帰してしまう。このような毎日を続けたくないのに。

素敵な服を着たい、人と自信をもって会話したい、自分が嫌いになる。

自分を嫌いになったって何も始まらないし、しょうがないとわかっているけれど、自身のバランスをとろうと食べ過ぎた夜はそれらを少しでも無しにしようと近所の大きな公園に走りに行く。しかしこの行為は「食べすぎたから、走りにでも行くか」という類の冷静な考えに基づくものではなく、ほぼ衝動的な行動だ。

この行為もまた、食べ過ぎによる精神的バランスの崩壊を保つ為の行為だ。

食べ過ぎた後はいつも急な無力感に襲われる。こんな自分が嫌だ。変わりたい。そう思って何年経っただろうか。このようなかっこ悪い自分を抱えて明日を迎える毎日が嫌になる。食べることでバランスを取るつもりが寧ろ己を崩壊へ導いているなんて、本末転倒にも程がある。

わかっているのにできない。

いろんな思いが涙となって溢れることもあるが、もはや何の為に泣くのかもわからず、最近は涙すら出ない。

走っている時は周りとの世界を遮断するかのように音楽をがむしゃらに聞く。食べ過ぎた吐き気と戦いながら水面に揺れる公園の街灯の光になんて目もくれず真っ直ぐ走る。

夜ご飯を食べ終わったあと、またやってしまったというストレスを抱え、どうにも解消できずに過ごすのは大変苦しい。だから私は走るのだ。誰も私のことを知らない公園で、誰も知らない私が走っていたって誰も干渉してこない広い公園で、走って音楽を聴いて汗を流す。思えば私は幼い頃から歩くことすら嫌いだった。

しかし、走ることは今の私にとっての「正しい行為」なのだ。



「カラメル・シンキング」という言葉を聞いたことがあるだろうか。多分、誰もないと思う。

何故なら私の造語だからだ。

プリンの底にあるカラメル。

そんなカラメルのように深いところまで考えて、でも結局は自分という名の器の中で終わっている思考なのである。

読んで頂きありがとうございました。

これで本日もバランスが少し取れました。

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