9 丸内 泰邦⑨
・・・・・・・・・・
門を簡単に抜け、今ぼくたち……ぼくと黒須くんがいるのは二つの体育倉庫の裏。そこに左右で分かれて辺りを窺っている。
二つの体育倉庫の間は、人が一人通れるくらいの間隔で設置されている。
運動場の様子を窺っているわけなんだけれど、特に異常もなければ人影もない。
顔を黒須くんのほうに向けると、ちょうど彼もこちらに顔を向けてきた。
黒須くんの目から見ても異常はないようなのでお互いに頷いて、例の狭い門から入って右手、三号館のあるほうへと一緒に向かう。
ともとツカサくんは、三号館の入口付近、つまりこれから侵入に使用する屋根の下に身を潜めている。
ぼくと黒須くんが運動場から見える異常はないかを探っている間、二人にはその屋根の下で待機してもらっていたんだ。
二人と合流して、ぼくたちは三号館への侵入を始めた。
ツカサくんと黒須くんは身長が平均より少し高いから特に問題なく屋根に上っていったんだけど、ぼくとともは少し苦労しそうだ。
ということなので、二人には先に窓の確認をしてもらうことにした。
その間にどうにかして上るつもりだ。
ともと顔を合わせると、少し不安そうな顔をして、ぼくから視線を逸らしだした。
「とも?」
ここにきてやめようとか言い出しそうな雰囲気だな。
ちょっとからかってやろうか。
いや、ここで騒ぐのはよくないし、たぶん今のともには逆効果だと思う。
「……あの、やす……」
少しかける言葉に悩んでいたんだけど、何か話してくれるのを待っていたよ。
こちらから下手に言葉をかけたら、言い出しにくくなってしまって結局何も言わなくなってしまうかもしれない。
だから、ともがちゃんと言い出してくれるのをじっと待つことにしていた。
思いの外時間はかからずに言葉が出てきてくれたので、少しほっとしている。
「ほんと……ごめん」
うん?
ぼく、ともに何かされたかな。
あれ? それとも、ぼくがともの行動で怒ってそのままにしていたことがあったかな。……ないと思う。
うーん、じゃあ何だろう?
「こんな、バカなことに付き合わせて……ごめん」
ええ?
今さらそれ謝るの?
もう割り切っていたし、ぼくがそうしたかったからついてきたんだし。
というか、そんなこと言うんだったらぼくが止めようとした時に思い止まってくれたら嬉しかったんだけど。
さて。
ぐちぐち言うつもりは毛頭ないので、こんなに反省しきっているともを慰めてあげないとね。
「別にいいよ。ぼくが協力したいって思ったんだもん」
「でも……」
「それに。実はちょっと楽しくなってきちゃったんだよね。へへっ」
そう言って笑ったら、ともの顔が少し明るくなったのが見て取れた。
「ちょっ、やす……?」
思わず、手が出てしまった。
無意識だった。
本当に、自然に、予想なんてすることもできなくて、何でかなんて分からないけれど。
ぼくは、ともの頭を撫でていた。
小さい子をかわいがるように、ただ、撫でた。
「もういいから。はやく目的果たして帰ろう」
「う、うん」
よし。
これで大丈夫だろう。
……ああ、そうだ。訊いておきたいことがあったんだ。
「ねえとも、何で急に勉強に身を入れだしたの?」
別に悪いことではない。
むしろいい傾向だ。
けれど、去年(四年生)まではそこまで勉強に一生懸命になるようなことはなかった。
というか勉強なんて大嫌いだと普通の男子小学生相応の反応しか示していなかった。
それが急に、というか五年生の途中くらいから勉強をよくするようになったんだ。
失礼だけど、とても意外で何か裏があるのではないかって勘繰ってしまっているくらいなんだ。
「あ、うん。あの、実は……」
よかった。
特に後ろめたいことはないみたいだ。
はやく話して楽になり「おーい、何やってんだ? はやくしろよ」
ちっ、ともに訊くタイミングを見誤ったか。
声は当然ぼくたち二人の頭上から聞こえてきた。
ツカサくんの声だ。
二人を待たせているんだった。
もう侵入する窓の確認は済んだのかな?
「あとで聞くね。さ、行こ」
「お、おう」
・・・・・・・・・・
結局屋根には、ぼくは黒須くんに、ともはツカサくんに手伝ってもらうことで上ることができた。
普段は屋根になんて上ることはないから屋根に上るにはどうしたらいいかなんて考えなかったし、これからも基本的には考えないことだと思う。
あ、でも、いつもみんなのことを見上げて話しているから、高い場所から見下ろすのも悪くはないかなとは思ったかな。
好んで見下ろそうとは思わないけれど。
そんなことはどうでもよくて、今は三号館の二階の階段に足をかけたところ。
ちなみに、黒須くんはもう三階に足を置いていて、ともはちょうどぼくの目の前で階段を少しふざけながら上っている。ツカサくんはぼくの後ろで辺りに細心の注意を払っている。
窓から侵入したぼくたちは、堂々と職員室前を歩いて移動した。
さっき一度ぼくとともだけの時に職員室に先生が残っていないか電話をして確認をしたけれど、実は門から侵入する前に念のためもう一度電話をかけてみたんだ。
結果として、電話には誰も出なかった。イコール先生は誰も残っていないと考えてもいいものとした。
警戒はするけれど。
予想通り、職員室には鍵がかかっていて、当然中には誰もいなかった。
「よっ、ほっ」
目の前でふざけているとも(実際いつもこんな感じで上っているから見慣れている)を少し睨みつける。
いや、ぼくもはやく階段を上ろう。
「オイ、何やってんだ。さっさとしろよ」
「うあっ!?」
危ないっ!!!
……っ
「とも、大丈夫?」
「う、うん。ありがと……」
よかった。……けど。
今のは、うん、ともが少し悪いな。
ふざけながら階段上るからだよ。まったく。
今、ふざけながら階段を上っていたともの目の前に、三階から踊り場へと下りてきた黒須くんが顔を出した。
不意のことで驚いてしまい、上りかけていた段を踏み外してしまったらしい。
間一髪、ちょうど真後ろにいたぼくが両手でともの背中を支える形で大怪我どころか階段から落下することもなかった。
……のだけれど。
ん……やっぱり、と言うべきだろうか。
咄嗟に支えにいったことで、足の踏ん張り方を間違えた。
左足を捻ってしまったらしい。
「やす、そっちは大丈夫なの……?」
「とりあえず長いことこの状態はきついから、そろそろどいてくれる? ぼくは大丈夫だから」
そう言ってみると、ともは慌てて体勢を立て直してくれて、ぼくの両手にかかっていた圧力がふっと軽くなっていくのを感じた。
いくら背が小さいからって、ぼくはともとほとんど変わらないからね。体重だってほとんど同じなんだ。かかる重量は自分と同じ。
数分ならまだ耐えられるかな? いや、腕の力はそんなにないはずだからきついな。
「悪かったな、紀井。いきなり顔出して」
「大丈夫! やすが助けてくれたから」
「そうか。んじゃ行くぞ」
「おーっ」
黒須くんの言葉に頷いておく。
……大丈夫。痛くない、痛くない。
もう大丈夫。少し捻っただけだ。
誰にも迷惑はかかっていない。捻ったことなんてバレなければ問題にならない。
よし。
痛みもそんなにひどくはない。
どうせ、これが終わったら帰って休めるんだ。
大丈夫、大丈夫。
「やす、ちょっくら話そうぜ」
……ああ、君がいたね。
君が後ろで見ていたから、ともにも悟られないように表情だって気をつけていたのに。
本当に厄介だ。
ともと黒須くんが階段を上り始めたのを確認して、すぐにぼくも上に向かおうとしたら、ツカサくんがぼくの腕を掴んできた。
その顔は、今のぼくの状況を悟っているような顔だった。
これを欺くのは、無理かな。
仕方ない。
「とも・黒須くん、ぼくとツカサくんはここで見張っておくよ。二人で行ってきて」
「分かった。紀井、行くぞ」
「う、うん」
これは、ともも微かに気づいているかもしれないな。
あとで謝っておこう。
二人が三階に上がり五年一組の教室のドアが開かれた音を確認すると、ぼくはその場に座り込んだ。
ツカサくんもぼくの隣に腰を落ち着けると、何の前触れもなくいきなりぼくの頭を小突いてきた。
少し痛い。
「やせ我慢しやがって」
「あはは……」
ともと同じくらい、ツカサくんには敵わないなぁと時々思い知らされる。
まあ、頭を小突かれたのはちょっとむっときたけど。
ぼくが足を捻ったことを黙っていて、誰にも言わないまま終わらせようとしたから、それを注意してくれたということは分かっている。
だから言いわけもしないし、言い返すこともしない。
「それで、話って何」
ちょっとイラついているのが分かりやすい感じに言ってしまった。
ぼくもまだまだ子どもってことだね。
「まずは足診せてみろ」
む、話を逸らされた?
いや、元々ぼくが足を捻ったことで呼び止められたんだから、これは当然か。
「うん」
「ったく。相手のことを思うあまり空回りしてんだよ、お前らは」
言われた通りツカサくんに捻ってしまった左足を差し出すと、ため息まじりに文句を言ってきた。
ぼくの足の調子を確かめながら文句言われても困るんだけれどな。
ん?
お前ら?
今、お前らって言ったよね?
「そ。お前らは、互いに空回りしてんだよ」
目を細めながら言ってから「ん。まあ大事にはなってねーな」と続けて、ぼくの足は解放された。
そして、ツカサくんのほうにちゃんと顔を向けると、さっきの話の続きと疑問に答えてくれるようなので、少しの間黙って聞くことにした。
「もう一人は、とものことだよ」
ごめん、とも。
さっきの話、話してもらう前に真相が分かってしまうみたいだ。
階段ではふざけちゃダメ!