08.未来に生きてるマニフェスト
「それで、これからのことなんだけど。まずは具体的な日程というか、選挙の流れを掴んだ方がいいと思うんだ」
祖父が去り、益子さんとあえかが――クラスメイトの女の子と許婚が、我が家で並んでいるという少し落ち着かない状況のなか、会議を再スタートさせる。
「優さんの仰る通りかと。益子さんは選挙の日程に関する資料をお持ちですか?」
「はい、生徒会から頂いたものがありますので、宜しければこれを」
僕の発言に賛同したあえかに促され、益子さんが鞄から用紙を取り出す。机の中央に横向きに置かれた、「生徒会選挙の流れ」と題された紙を三人で覗き込む。装飾を排した書類上で、具体的な日程の羅列は直ぐに見つかった。
■十月十八日(火)
立候補締め切り
■十月十九日(水)
立候補者名開示
■十月二十日(木)
選挙広報原稿の提出 (マニフェストなど)
■十月二十一日(金)
選挙広報の全校配布
選挙グッズ作成(校内演説用のぼり旗、白バラ、たすき、腕章など)
■十月二十四日(月)
立候補者ポスター張り出し
校内演説開始(放送含む)
■十月二十八日(金)選挙当日
立会演説(推薦者演説含む)
投票
即日開票
「えっと、今日が水曜日で、利候補者の名前が開示されたから……残りは、」
「陣内Pのお爺様にお話しした通り、今日を含めて十日となっています」
一応の流れを把握したところで呟くと、益子さんが愛らしさの形容詞みたいに微笑んだ。こういう風に普通にしていると、この人は優等生みたいに映る。
ちょっと吹っ飛んだところもあるけど、祖父とのやり取りを見る限り、理路整然と話したり物事を纏めたり出来る、しっかりした人なんだとは思う。
「そうだったね、有難う。それで、問題はどうやって票を集めるかなんだけど、どの層をターゲットしているのか分からないぼんやりとした公約を掲げるよりも、数量管理というか、数がざっくりとでも把握できる位な具体的な層を想定して、その層に向けた公約を掲げるのがいいと思うんだ」
「その具体的な層というのが、治様が仰っていた一年生に当たる訳ですね」
美を固結びした姿を彷彿とさせるあえかが発言を挟み、僕は視線を転じた。あえかは麗しさの見本みたいに正座し、両膝の上で手を重ね合わせていた。
「う、うん。大胆に聞こえるかもしれないけど、二兎を追う者の話とならないように公約は一年に焦点を合わせるのがいいと思う。それで、この紙を見たところ“選挙広報原稿の提出 (マニフェストなど)”ってあるから、広報にマニフェストを載せることになると思うんだけど……。益子さん、提出は明日だけど何か考えてる?」
「いえ、全くです。無為無策。裸単騎、ふんどし一丁の益子とお呼びください」
「いや、絶対呼ばないよ!?」
つい先程まで優等生みたいだと感心していたら直ぐにコレだ。胸をさらしで蔽い、一反の白木綿を下半身に巻き付けた、漢な益子さんの姿を想像してしまう。
《ふんどし一丁、ふんどし一丁の益子を宜しくお願いします。無為無策です!》
……何だか妙に似合うな。って、そうじゃなくて。
「なら今日はマニフェストを考えてみない? これからの選挙活動で他の立候補者との差別化を図る為にも重要になるし、益子さんが生徒会長になるとどんな利益があるかを提示するのは、選挙上すごく重要になると思うんだ」
「やはり考えるべきは利益の提示ということですね、陣内P」
「うん。それも実現可能で、主たるターゲットを一年に絞ったものがいいと思う。お爺ちゃんが言ってたように、理論的には一年の票だけでも勝つことは出来るんだから」
「分かりました。では、一年の教室全てに冷暖房を完備するというのでは?」
「ちょっとありきたりかな。それに予算のことなんか考えると、現実的でないものはインパクトがないかもしれない」
「では、学校のウォータークーラーからジュースが出るようにするのは?」
「あ~~小学生の頃、一度は考えたよね……って、無理だから!?」
「しかし、困りましたね。そのように都合のよいマニフェストなど、なかなか浮かびません」
「まぁ確かにそうだよね」
二人揃って考え込んでしまう。五十一対四十九。その理論でいうところの二を獲得する為の興味関心を引かせる内容で、一年に利益を与えるもの。となると簡単には浮かばない。明日には原稿を提出しなければならないし、何か早く考えないと。
そこでふと、天才のあえかなら何て答えるだろうかと疑問に思った。
不甲斐ない自分を見つめながら、おずおずと尋ねる。
「あ……あえかはどう? な、何かいい案……ある?」
「え? い、いえ。その、いきなり言われましても」
そっか、さすがのあえかでも……ん? あえか? 待てよ!
停滞した明けきらない思考の海。そこに急速な理解が朝日のように光を射す。
益子さんと祖父のやり取りでメモしていたことが意識に踊った。
「益子さん! うちの学校の書記と会計って生徒会長が指名するんだよね」
「はい、そのように聞いていますが……何か?」
「なるほど、よし! いけるぞ!」
「ゆ、優さん? いける、とは?」
「うん。益子さんのマニフェストは、ずばり――」
部隊役者のようにあからさまに浮かれた僕は、背景を全て書割に変え、自分の考えに興奮しながら応じた。それを何か絶対の方向性のように感じながら。
「『私が生徒会長になった暁には、学年一の美女を会計にします』だよ!」
結果、益子さんとあえかは廻る地球から振り落とされた。
時間が止まる。カッチ、カッチと和室の掛け時計が無機質に息をする。
「…………あの、優さん、頭がおかしくなったのですか?」
「陣内P、何を仰っているのか分かりません。所謂、“あいつら未来に生きてるよな”というやつです」
怪訝な表情を隠さない二人に結構酷いことを言われた。急いで抗弁する。
「いやいやいや、言葉が足りなかったかもしれないけど、考えてみてよ! 一年の男子で、あえかを知らない人なんて殆どいない。誰もが注目してる。そして出来るなら、そんなあえかを皆が見たいと願ってる。これは偽らざる男子の本音だよ」
「そっ、そんな。私なんか……」
そう言って照れるあえかの姿は普段の凛々しい印象とは異なり、ちょっと見てられない位にキュートだ。破壊力が凄まじい。いかん、ちょっとドキドキしてきた。
「え、えっと、だからだね」
「陣内P、つまりはアイドルを利用すると、そういう戦法ですね」
ドギマギしている僕に、益子さんが平素と変わらぬ笑顔で確認してくる。
「あ、うん。これで男子から注目を集められると思うんだ。やっぱり男子は綺麗な女の子に弱いし、益子さんも人並みに美人だけど、あえかには劣る――あっ」
胸の鼓動。そこからくるドギマギ。その動悸がいけなかったのだろうか。いつかのように、益子さんとお姉さんを比べた時のように口を動かしてしまったのは。
そこでニコッと、本当にニコッと益子さんが微笑んだ。怖かった。スッと立ち上がる。ヤバかった。笑みを咲かせて傍に立つ。危険を意味する信号が走り抜けた。
「陣内Pにあえかさん、ちょっと上を向いて貰えますか?」
「え? こうですか?」
先程から変にモジモジしていたあえかが素直に応じる。一方、僕は汗をかきながら嫌な予感を募らせ、毒々しい笑顔を浮かべる益子さんを見つめた。
「あの……益子さん、な、何かお気に召さないことが? その、決して貶める意図はなくてですね。あのですね、とってもですね、益子さんはお美し――」
「黙れよ、この豚野郎♪ それで陣内P、巨大な昆虫が顔面に飛んでくるのと、お腹に飛んでくるの、どちらがよろしいですか?」
「あ、あはは。勿論お腹で――ゴベルサァァ!」
虫も殺せそうにない女の子が、清楚で華麗なる腹パンフォームをご披露なさる。あた~~りぃ~~~。地味に凄まじい衝撃が僕の胃を揺らした。
「なっ! 優さん、一体どうしたというのです?」
「陣内P!? 大丈夫ですか? 巨大なグロテスクな昆虫がいたのでお二方の目に触れぬよう、私が処理しようとしたら、陣内Pのお腹にいきなり突撃して」
僕は虹色の噴水を吐き出すマーライオンにならないよう、口は災いの元だということを噛みしめながら、謎の巨大昆虫説を熱心に支持した。
「は、はぁ? 室内で、そのような昆虫が」
それから数分後。
「えっと……それで、あえか、いいかな?」
「生徒会の会計、ですか。分かりました。少しでもお役に立てるのなら」
自主性を重んじた生徒会選挙の性質上、マニュフェストについてはクレームをつけられないことを確認した後、あえかを会計とする公約を進めることが決まった。
これで男子からの票が期待できる。一年だけじゃなく、ひょっとしたら二年からも票が集まるかもしれない。後は……。
「後は女子からの票だけど、同じように女子に人気のある男子生徒を会計に起用することで、ある程度は票が稼げると思うんだ。それで、一年の男子生徒であえかみたいに人気がある人って、誰かいるかな?」
尋ねると、益子さんとあえかは顔を見合わせた。
「男子生徒ですか? 少なくとも陣内Pでないことは間違いないのですが……。ええ、陣内Pではありませんね。はい、陣内Pでは。陣内Pでは、陣内ピーーでは」
「ま、益子さん。そこまで言わなくてもいいと思うのですが」
分かってたことだけど。あえかの件の意趣返しのようにしみじみ言われると、なんかショックが……。いや、うん、分かってるんだけどね。
結局その場では出てこなかったが、選挙が始まるまでに何とかするしかないと、公約は学年一の美男美女を書記と会計に指名するという、冷静に考えると大分キテる内容で進めることになった。その夜、帰宅した祖父に聞かせたら爆笑していた。
……え~~っと、大丈夫、だよな?