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07.五十一対四十九



「え……勝てる勝負?」


 祖父の意外な一言を前に、僕は目を見開かざるを得なかった。


 ――勝てる、だって? 一年生なのに?


「治様。それは一体、どんな理由によるものなのですか?」

「そうだね。勝利の道筋を示す為に簡略化して話すことにするけど……益子さん、選挙ってなんだと思う?」


 話を向けられた益子さんは、淑やかに粛々と答える。


「そうですね、陰謀渦巻くバトルフィールド。耐久腹黒レースではないかと」


 どう考えても間違っていた。


「はっはっは、相変わらず面白いことを言うね。それも外れじゃないけど、要するに選挙っていうのは利害関係の再調整なんだ。敷かれていた利害関係が任期などによってリセットされ、投票によって再調整されていく。そんな営みともいえる」


「なるほど。利害関係の再調節……ですか」


「うん、それで選挙図を見てみよう。選挙権があるのは一年と二年。そして一年の会長候補者は一人。対して二年の候補者は三人。この構図に勝てる要因がある」


 祖父の発言に呑まれ、ただ遣り取りを眺めているしかなかった僕だが、その一言にハッとなった。利害関係という言葉。そして一年一人に、二年三人という構図。


「利害関係……二年生の票は、割れますね」


 その場に回答を提出したのはあえかだった。祖父が満足そうに頷く。


「そういうことだね。立候補者が三人で、仮に二年生が三百人いるとしよう。出馬する以上はそれを支える人やクラスがいて、三百、ゼロ、ゼロという得票数にはならない。二百、七十、三十と程度の差はあれ必ず票が割れる。二年の有権者は、同じ学年、クラス、或いは部活出身の立候補者が、何らかの利益を自分たちにもたらしてくれることを期待して投票する。勿論、単に知り合いや顔見知りだから票を入れたり、あいつが気に入らないからこっちに入れるという批判票もあるけどね」


「何らかの利益を……もたらしてくれる」


 言葉の口触りを確かめるように呟く益子さんに、祖父が微笑みかけた。


「対して一年は益子さん、立候補者は一人しかいない。この意味が分かるかな?」


 その一言はポタリと、滴る雫のような静けさを持ってその場に落ちた。注意が祖父の不敵な笑みに吸い込まれる。また雫は、純度の高いアルコールのようで。


「仮に一年生も同じく三百人とした場合、大胆に言ってしまえば、三百全ての票を手に入れることだって不可能ではないんだ。まぁ実際は部活などのしがらみがあったり、二年の言っていることに共感したり、或いは同じ一年生で生徒会長になるのが生意気だとして、批判票を二年生にいれる人もいるだろう」


 祖父の論調には、人を酔わす何かがあった。


「それでもだ、現実の選挙構図と選挙の意味を捉えている否かで雲泥の差がつく。現行の生徒会長によって敷かれた利害関係がこれからリセットされる。利害関係の再調整の時間だ。二年だからと胡坐をかいている先輩に一撃を与えよう。君が一年に利益を示す政策を掲げるんだ。そして一年からの票を二百以上もぎ取った時、」


 鷹の目をした元政治家が、獰猛な爪を開いてみせる。



「一年生の生徒会長が、君たちの高校に生まれることになるだろう」



 音もなく巡らされていた緊張の糸に捕えられ、僕らは身動きすることが出来なくなっていた。人好きのする顔の裏。そこに猛禽類のような眼と爪を隠し、楽器を操るような確かな手触りで、言節によって人すら操ってみせる魔物、政治家。


 圧倒的に知識や経験則が僕には足りていなかった。出来ないことを出来ると聞かされた時、人はこうなるのだろうか。不思議な身の高揚を覚え、あたかも祖父の言が全て正しく、やってもいない段階から勝った、勝てると思い込んでしまう。


 でも……確かにそうだ。一年の候補者が益子さん一人という状況は事実。その構図を徹底的に活かし、一年生に利益を示せれば……或いは、ひょっとして……。


「とまぁ、あくまで極論だけど、一年生に対して益子さんが利益を示し、それに賛同させて票を取れば、勝てる仕組みにはなっているんだ。はっはっは」


 僕がそうやって考え込んでいると、軽やかな性格をその場に取り戻そうと祖父は笑ってみせた。張り詰めていた空気が一度に緩み出し、僕らは息を吐く。


「勝てる……にへ」

「ま、益子さん? その顔は、えっとですね、その」


 約一名、あえかが言葉を濁す位に緩み切った表情をしている人もいたが。


「ちなみに二年の候補者に、部活に所属している子はいるかい?」

「いえ、開示情報を確かめましたが、部活に所属している人はいませんでした」


 その益子さんも祖父に問われれば、直ぐに自分を取り戻して言葉を返す。

 僕はメモの存在を思い出し、慌ててペンを走らせた。


 ⑩二年の立候補者に部活所属者は無し。


「すると組織票は使えない。使えるとすれば、部のトップに何かしらの交渉を持ち掛けて組織票を獲得できるような、政治力のある人間だけということになる」


「組織票……って、生徒会選挙なのに、かなり生臭くなってきたね」

「優、この組織票というのは本当に馬鹿にならないからね。僕も痛い目を見たことがある。選挙では上手く使っていくことが肝要だよ」


 成程、それも考える必要があるのか。しかし祖父のお陰で方向性がはっきりとしてきた。一年生に焦点を絞って選挙活動を行えば良い。うん、実にシンプルだ。


「それで、投票日まではどれだけ残っているのかな?」

「はい、今日を含めてちょうど十日です」


「悪くないな。この十日間、計画的にマーケティングを行い、問題点を明らかにした上で選挙活動を行う。そうすれば勝てる可能性はぐっと上がるだろう。ただ、」


 そこで言葉を溜めた祖父が、僕をじっと見ていることに気付いた。


「勝つ為には益子さんより、ある意味で優が頑張らなくてはならない」

「え? 僕?」


 突然の指名に動揺を覚え、間抜けに自分を指差してしまう。益子さんよりも僕が頑張らなくちゃいけない? そりゃ、やると決めたからには頑張るつもりだけど。


「うん、選挙を戦う上で必要なのは戦略だ。そして有権者の特性を知ることも重要になる。それで優は、人間の意思決定がどのようになされるか知っているかね」


「意思決定って……単純に、好きか嫌いかとか、そんなレベルじゃないの?」

「大胆な論調だ。決して間違いじゃないし、嫌いじゃない。が……そうだな、AかB、どちらかの選択を行う際、より関心の数値が高い方の選択を人が行うとしよう。そして仮に今、Aが選択されたとする。優が持てる関心の数値を百とした場合、AとBには関心の度合いとして、どれくらいの差が開いていると思う?」


 関心の数値化。聞いたことのない話だ。

 深く考えることなく、感じたままに答える。


「Aに選択を決めたんでしょ、ならAに百全部じゃないの?」

「うん、そういった側面もある。ただそれは、信者の場合だね。ではAかB、どちらでも構わない人だとすると?」


 つまり、無関心な事柄に対する意志決定の場面を想定しているのだろうか。自分に引き付けて考えてみる。どちらでも構わない場合、二つの間の差は……。


「あぁ、話してらっしゃったのはその話でしたか。ふふっ、存じ上げていますよ」

「流石はあえか君だね。では、優の代わりに答えてあげてくれるかい」


 答えを出せぬまま黙していると、あえかが口を開いた。


「はい、差は僅か二。Aに五十一、Bに四十九。そういうお話ですよね?」

「その通りだ」


 え? 五十一に四十九? 


「そんな……たった、差が二しかないなんて」

「あくまで心理学上の一つの仮説だがね、心の勝負はこんな風に、五十一対四十九ということが結構ある。四十九と四十九が無意識下ではせめぎ合っているが、これは自覚されることがない。そして意識できる領域では二対ゼロとなるから、ゼロはゼロとして芽がないように錯誤してしまう。しかしね、それは本当はゼロじゃないかもしれない。何か意識で働きがあると、簡単に二が覆る。四十九対五十一になる。人が選択や意見を変えるからくりには、こんな仕組みがあるのかもしれない」


 そこまで話すと祖父は、今回の話の纏めに入った。


「結論を話そう。益子さんはこれから、“生徒会長なんて誰がなってもどうでもいい”と思っている一年生に利益を提示し、この“二“を有権者から獲得する必要がある。その為にも優と二人三脚で戦略を組み上げていくんだ。無関心層が大半を占める中では、この五十一対四十九の戦いに勝利を収めたものが勝者となる」


 そうこうしていると祖父が出かける時間となってしまい、僕は見送りに立った。赤かった空が透き通った紺色に刻一刻と変化していく中、彼の言葉を噛みしめる。


『現行の生徒会長によって敷かれた利害関係がこれからリセットされる。利害関係の再調整の時間だ。二年だからと胡坐をかいている先輩に一撃を与えよう。君が一年に利益を示す政策を掲げるんだ』


『無関心層が大半を占める中では、この五十一対四十九の戦いに勝利を収めたものが勝者となる』


 高校に入って半年近くが過ぎた。僕は出来るだけ何でもない自分であろうとして同じような日々を送り、同じでない出来事が起きると元の“同じ”に戻そうとした。頑張りすぎる必要はない。八十点でいい。それが身の丈だ。十分な優等生。


「五十一対四十九の戦い……」


 でも今は、そうじゃない。自身の限りを尽くし、同じような経験と痛みを持った益子さんに協力したい。自分の家の事情もあって、自分から話し出さない時は話したくない時だって知っている。だから努めて聞くことはしないから、益子さんがお姉さんにどうしても勝ちたい事情は分からない。それでも……。


 祖父を玄関で見送った後、益子さんとあえかを残した和室に戻る。襖を開けると二人が揃って視線を転じてきた。あえかではなく、僕は益子さんを見た。


 ――出来るなら益子さんに、勝って欲しい。その姿を見たい。


 まだ二人とも時間はあるという話だった。なら今日、出来ることをしよう。祖父が座っていた場所に腰を下ろし、二人と向き合う。身の内には奇妙な興奮と、勝てる道筋があるからこそ作戦を疎かに出来ないという、静かな緊張感が漲っていた。



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