06.勝てる勝負
申請書を提出した翌日の放課後。
「さぁ陣内P、早速ですがプランニング、お願いします!」
益子さん自身、強引であることは分かっているのだろう。それでもやり遂げたいことがある。そういった強さを持ち、昨日の憂いを消して彼女は声を掛けてきた。
「あ、うん、えっと……」
そんな益子さんの存在を、遠くを眺めるように、目を細める気持ちで僕は迎える。ずぶ濡れの町みたいに、まだ決心の輪郭はおぼろに煙っている。だけど……。
「それで、色々と考えたんだけど」
「まさか! そんな? わ、私の体を?」
今日も益子さんは飛ばしまくっていた。或いは、僕の言葉を恐れてのことかもしれない。協力できないという、そんな言葉を。でも違う、そうじゃないんだ。
「いや……あの、そうじゃなくて、成り行きでこうなっちゃたけど、僕もその、真剣にプランナーをしてみようかなって思って」
「じゃあ、今までのことは遊びだったんですか!? 私の体だけが目的で……って、え……? あの、本当に、ですか?」
人の数だけ事情があり、同じように僕ら人間には情がある。その情が時に問題を厄介にするのだけど、それがその時の僕が見つけた、精一杯の気持ちだった。
「う、うん。あんまり力になれないかもしれないけど、あ、あはは」
驚きの色を瞳に溜めている益子さんの顔を眺め、頬を掻く心地で愛想笑う。
妙な恥ずかしさを打ち消すように、早口で続けた。
「それで、初音や夕子先生は勘違いしているけど、お爺ちゃんが政治家ってだけで、僕自身、選挙の知識ってそんなに豊富じゃないんだ。ただ詳しい人は近くにいるから、そういう人にまずは話を聞くのが一番じゃないかと思ってるんだけど」
本物の選挙と生徒会選挙は別物といえば別物だけど、共通する個所もあるだろう。そう思い、考えながら、既に話はつけておいた。彼は笑って快諾してくれた。
「選挙に詳しい方……? あっ、それはっ、つまり!」
「うん、お爺ちゃんに話を聞こうと思うんだ」
それから益子さんの予定を聞いて問題がないことを確認すると、僕たちは選挙について祖父に話を聞くべく、教室を後にしようとした。すると――
「優さん、益子さんを連れて今日はどちらにお出かけですか?」
天使が不機嫌さを隠さず、腕組みしながら廊下の窓際近くの壁に背を預けていた。そこで待たれていたことに驚きつつ、変に怯えてしまう自分がいる。
「え、あ……その、うちで選挙の……って、何を怒ってらっしゃるんですか?」
「な、怒ってなどいません!」
言葉とは裏腹に、どう見ても怒っていた。あえかは昔からこうやって一人、ぐろぐろと怒りを滾らせていることがあった。その原因がいつも僕には分からない。
「それで、今日はどちらに?」
「選挙のプランニングを行うべく、陣内Pのお爺様に話を伺いにいこうかと」
あえかのそんな雰囲気に臆することなく、益子さんが笑顔の儘に答える。ムッとするような間を置くあえか。
「治様に…………成程、そうですか。なら、私も同行します」
「は? いや、別にあえかが来なくても」
そして壁から背を話し、全く予定にないことを提言してくる。分からない彼女、分かれない僕。オタオタしていると、益々機嫌を損ねたようになり、
「何故です? 私だって益子さんの選挙を応援したっていいじゃありませんか。それに最近、治様に挨拶もしてませんし。さぁ、行きますよ」
結局、一度言い出したあえかの意見を棄却する力など僕にはなく、三人で向かうことになった。ニコニコしている益子さんと、ムスッとしているあえかに挟まれて移動することの辛さよ。僕と益子さんが話しているとチラッとあえかが目を向けてくるのだが、そこで益子さんがニコッとすると慌てて視線を逸らしてしまう。
能天気な初音がいたら場の空気を色々と楽なものにしてくれると思うのだが、アイツは放課後は部活だ。いて欲しい時にいない。あぁ、平和な時間が恋しい。
だがどんな時間であれ、止まることなく前向きに過ぎ行く。ようやく純和風家屋の我が家に着くと、祖父は和室で書類を整理しながら待ってくれていた。
声を掛けて入室すると二人の同伴者を認め、「いらっしゃい」と笑う。祖父と机を挟み、僕を真ん中に据えて右にあえか、左に益子さんが座布団に坐す。
「なんだ、あえか君も一緒だったのか」
「はい。治様、お久しぶりで御座います」
対面した祖父に、あえかが深々と美しい動作で頭を下げる。幼馴染の家族にするには、丁寧に過ぎた作法だ。だけど、それだけじゃない意味がそこにはあり……。
「そんなかしこまることな……う、うぅっ、うぅううう!?」
「え? おじいちゃ――」
「お、治様!?」
と、突然祖父が苦しそうに声を上げ、心臓の辺りを押さえ始めた。
何事かと思い腰を浮かしかける。
「い、いかん……あえか君の美しさに、危うく昇天するところだった。友人や知人から適当な言葉で死への哀悼の意を表され、儚くなるところだった。白い光に包まれたと思ったら由美子が向こう岸で手を振り、僕は辞世の句を――」
「いや、お婆ちゃん(由美子さん)死んでないから。怒られるよ?」
と、僕と半世紀を超えた年の隔たりがある祖父は、白い髪を後ろに撫でつけ、照れたように笑う。昔の祖父を知らない僕には分からないが、父が蒸発し、僕を育て始めてから本当に変わったという話だ。時にこんな茶目っ気を発揮する程に。
ひょっとするとそれは、僕に対する負い目から来ているのかもしれないけど……。
「もう、治様、御冗談はよして下さい。びっくりします」
「ははっ、すまない。いや、また一段と綺麗になったね、あえか君。驚いたよ。僕には眩しいほどだ。それで生徒会長に立候補するというのは?」
そんなことをチラと考えていると、祖父が今日の本題に触れる。促されて顔を向けると、益子さんはちょっとお高いアイスクリームのような上品さで微笑み、
「はい、私、益子愛と申します。単刀直入に言います。陣内優くんを婿に下さい」
例の如くかっとんだ挨拶を披露した……っておい!
それは色々とこのメンツでは洒落にならないよ!?
「ちょ、ちょっと益子さん! おふざけが過ぎるのでは?」
「これはこれは、面白い子だね。そうか、君が一年生で生徒会長に立候補を?」
「はい。陣内Pに、『お前、なかなか見どころがあるな。よし、俺が選挙をプランニングしてやるぜ、ベイビー』と言われ、立候補することにしました」
「いや、そんなこと一言だって言ってないからね!」
「まさか……優さんが、そんな情熱的だったなんて……」
「あえかも信じないでよ!?」
畳みかけるような流れの中、祖父は「ほっ」と息を抜かれたような表情をしていたが、やがて清濁併せ呑んできた人物らしい、大きな笑い声を響かせた。
「いやいや、何とも元気な御嬢さんで結構じゃないか。刺激になるよ。それで、選挙について助言が欲しいという話だったけど、早速だが生徒会選挙について教えてもらってもいいかな? 疑問に思ったところは、その都度質問させてもらうから」
心から楽しんでいるといった調子でなされた祖父の提案に対し、「はい、ばっちり調べておりますのでお任せ下さい」と益子さんは愛らしく応じた。
以降、主要な会話は二人の間でなされ、僕とあえかが時々に疑問や意見を挟んでいくというスタイルになる。一応プランナーを務めることになるからとメモを取り出し、重要だと思われることを番号を付けて書き込んでいくことにした。
「まず、我が校の生徒会選挙は毎年十月の終わりに開催され、ここで一年の任期を務めることになる、生徒会長と副会長が投票によって決められます」
①生徒会選挙は十月の終わりに開催。
②任期は一年、生徒会長と副会長のみの立候補。
「執行役を二人か……書記や会計はどうなっているんだい?」
「はい。書記と会計は、生徒会長の指名で決定されるようです」
③書記と会計は生徒会長の指名で決定。
「成程、迅速な執行を尊ぶ運営スタイルか。分かった、続けてもらえるかい?」
「はい、立候補が可能な被選挙権、並びに投票出来る選挙権があるのは一年と二年の全生徒。ここに三年生は含まれていません」
④立候補、投票が出来るのは一年と二年のみ。
「あれ? どうして三年生は含まれてないの?」
走り書きながら疑問の声を上げると、淀みなく益子さんが応じた。
「はい、我が校は進学校という事情もあり、学校方針として委員会活動から三年生が原則除外されています。これは生徒会も同様で、三年生が立候補出来ない事情がここにあります。また選挙権ですが、主要なイベントも残されておらず、学校生活にそれほど影響を受けない三年生が投票に参加するのは如何なものかという議論が持ち上ったことがあり、ある年度以降から含まれなくなったと聞きました」
「なるほど、ある意味で現実的ですね」
「えぇ。続いて投票に関してですが、候補者の演説を体育館で順次行った後、その場で用紙が配られ、候補者に丸をつける仕組みとなっているようです。結果は即日で開票され、同点者が生まれた場合は同日に決選投票を行うと聞きました」
⑤結果は即日開票。
⑥同票の場合は同日に決選投票。
「分かり易い説明を有難う。ちなみに候補者は出揃っているのかな?」
「丁度昨日で候補期間は終わりましたので、今日のお昼には開示されていました。生徒会長候補が私を含めて四人。副会長候補が三人といった塩梅です」
⑦生徒会長候補、四人。副会長候補、三人。
「へ~生徒会なんてやりたがる人が少ないかと思ってたけど、意外にいるんだね」
「恐らく、指定校推薦を狙う人たちの内申点稼ぎかと思われます」
「ふふっ、いつの世も変わらないね。一年生だと君以外に会長候補者は?」
「一年の候補者は、私だけです」
⑧会長候補者で一年は益子さんのみ。残る三人は二年。
「当日の選挙演説の順番はどうかな?」
「これは投票日前に、籤で決めるのが慣例となっているようです」
⑨当日の選挙演説の順は籤で決める。
一連の流れがここで一端切られる。区切ったのは祖父だ。質問を止め、何か考える仕種を取りながら何度か頷く。彼の中で蓄積された経験則が絡み合い、一つの展望が組み上げられて行く現実的な音が聞こえてきそうな気がした。
僕たちがその様子を見守っていると、口の端を和らげながらやがて告げる。
「結論からいうと……この勝負、頑張り如何によっては勝てる勝負だ」と。