05.why、she’s her
「さて、それではいきますよ、陣内P」
「その……いい加減、陣内Pってのやめない?」
「では、陣内ピーーの方がいいですか?」
「いや、なにその放送コードに引っ掛かってるみたいな呼び方? せめて普通に苗字か名前でお願いしたいんだけど……」
「なるほど、では陣内ピーーは、ピーーで、ピーーな」
「あぁ、もう、陣内Pでいいよ!」
緊迫の昼休憩から一転。放課後の喧騒の中、益子さんと漫才じみた遣り取りを交わしながら職員室へと向う。選挙の申し込み用紙に夕子先生から印を貰う為だ。
本当なら帰りのホームルーム後に貰おうと思っていたのだが、「今持ってない」と、素気無くも杜撰に答えられた。流石はズボラでアラサーなだけはある。
「ん? おぉ、印か。ふ、ようやく私と籍を入れる気になったのか、陣内」
「えっと……先生、笑えない冗談やめて下さい。悲しくなるんで」
そして職員室の机に辿り着いたら着いたで、この化学担当の担任はとんでもないことを言う。というか個人的な会話を交わす度にそれだ。本気で止めて欲しい。
「それで、年増の夕子先生。この益子愛を生徒会長にすべく、許可印を」
「だぁぁれが年増だ! まだまだ全然いけるわ! 余裕だコラァ!」
そして益子さんは益子さんで、あまりにもストレートな言葉で先生を煽るのは止めて欲しい。被害が爆笑しながら小躍りして、僕の所に来そうなので……
「いえ、ちょっと厳しいのでは……」
「なんだと!? オラ、陣内! 早くフラグ立てろ! 私のルートに突入しろ!」
とか思っていると直ぐにコレだ。
「いや、何言ってるか全然分からないんですけど……取り敢えず勘弁して下さい」
そんなこんなで何とか印を貰い、別校舎三階の生徒会室へと進路を転じた。
「失礼します」
ノックをして益子さんと共に入室する。生徒会室。初めて訪れる場所だ。どんな所かと思って訪れたそこは、何とも日常平面的に普通だった。
まぁ当たり前か。革張りの椅子ドーンとか、それ絶対校長室からパクってきただろ的な重厚な執務机ドーンとかは、限りなくフィクショナブルな世界のものだ。
高笑いするカリスマ生徒会長だっていやしない。そもそもカリスマなんて、
「ん? おぉ、愛じゃないか」
と、そのどうしようもなく現実的で平面な世界の中、僕たちよりも先に来て書類を提出していた女生徒が振り返る。「――っ!?」突如、圧倒的な光を感じた。
――な? なんだ!? 眩しくて目が開けていられない!?
下界に降臨した女神の如き存在感。まさか、あえかがいるのかと目を眇める。視界の内では見覚えのない女性が驚きつつも、優美な唇を笑みの形に結んでいた。
――違う、あえかじゃない。だけど……。
思わず絶句し、見とれてしまう。見惚れてしまう。
あえかとはタイプが異なるが、アテネの変態全能神がうほうほ遣って来ては天界に浚って行きそうな、滴る美しさを持った女性がそこにはいた。
――あえか以外にも、こんな人間がこの学校にいたんだ。
言葉を介さずとも誰もが本能的に理解出来る、立眩みを覚えそうな美の形。非言語な力。スラリとした体躯に細長い手足。透き通る肌。卵型の顔は何かの冗談のように小さく、整った容貌の中の釣り目も堪らなく魅力的だった。
その存在に打たれて呆然となっていると、動揺を湛えた隣の存在が声を発する。
「お、お姉ちゃん!?」
え……? お姉ちゃん? 言葉が人に作用する力を忘れたかのように、僕の中で停滞する。驚嘆しながら益子さんを見、次いでお姉ちゃんと呼ばれた存在を見た。
「ははっ、やっぱり愛だったか」
普通に制服を着て女性らしい長い髪を持ってはいるが、何故か男装の麗人という言葉が想起させられる女性が、男前に歯を光らせて微笑む。
「お、お姉ちゃ~~ん!」
「ははは、愛~~!」
そしてどうやら姉妹らしい二人の距離が、感動の対面シーンのように近づき、
「おね~~~~ちゃ~~~もらったぁぁ!」
乾坤一擲。そのお花畑フィールドを咆哮と共に破壊し、身を低く構えた益子さんがキレのあるタックルを披露した。…………は?
「おっ、何だ何だ。今日は相撲か? よぉし、負けないぞ愛!」
それに平然と応じる麗しい人と、慌て出す生徒会と思わる面々。
えっと……現場が混乱していて、よく意味が分からない。
「ぐぐぐぐ、とったる、儂はとったるでぇ」
「おぉ、愛は可愛いなぁ。よしよし」
腰の入ったがっしりとした取り組み。メタルな歌手から相撲の解説者となったデーモン大暮閣下なら「気迫ある取り組みですねぇ」と白粉顔で冷静に評しそうな、他者の介入を許さない、リベンジャーの如き凄まじい気迫を益子さんから感じる。
が、やがてあっさりと御されてしまった。倒れ込む益子さん。
「くっ! また負けた」
「えっと……とりあえず、大丈夫?」
手を差し出すと、益子さんはそれに応じて立ち上がる。
その光景を見ながら爽やかに笑う人がいた。
「ははっ、相変わらず愛はお姉ちゃんが大好きだな」
いや、大好きって感じじゃなかったような。
というか、やっぱりお姉さんなんだ。
「それで、どうしてこんな場所にいるんだ?」
「くっ、……これを提出しに来たんです。カモン! 陣内P」
「え? あぁはい、どうぞ」
急に扱いが雑になったな……とか思いながら人型の女神にわら半紙を差し出す。
何かしらの概念を司ってそうなお姉さんは、表題を確認して目を丸くした。
「立候補者申込み用紙? おぉ! 愛も立候補するのか? よぉし、ならお姉ちゃんが会長になるから、愛は副会長に……って、んん? お前、これ……」
「はい、私が狙うのは副会長ではありません、生徒会長です! お姉ちゃんが立候補するのは分かっていましたが、まさか遭遇するとは驚きです。ですが私は一歩も引く気はありません、必ずや陰湿なやり方で勝利を収めて見せます」
いや、そこは正々堂々と戦おうよ。そう思わなくもないが、お姉さんは益子さんの言語体系に慣れているのか、別段意に介した様子もなくニヤニヤと笑う。
――しかし今、この人、生徒会長になるって……。
「なんだ、そんな面白いことを考えてたのか。それで推薦人は……陣内優? ははっ、これってお前か? いい名前だな」
くっ! 眩しい笑顔でくらくらしそうになりながら、僕はかろうじて踏ん張った。そんな僕の前でバッと手を前に伸ばし、益子さんが威風堂々と言い放つ。
「聞いて驚いて下さい。なんと! 彼、陣内Pのお爺様は政治家なのです! もうこれで勝利は私が貰ったも同然! あれやこれやとからめ手を駆使し、腹黒さ全開の愛ワールドをお見せします。どんな場面からでも必ず賄賂をねじ込みます!」
益子さんの中で政治界隈は陰湿で腹黒いってことはよ~く分かった。ただ、立候補者だからといってあらゆる局面で賄賂をねじ込む決定力は全く必要ない。
「ほぉ、政治家の家系なのか? 面白いのをみつけたな、愛」
「はい、そしてこのトッツァん坊やは今や私の体に夢中。身も心も籠絡済みです」
うん、なんか色々オカシイよね。
「おぉ、さすが愛だな!」
うん、お姉さんもちょっとキテるのかな?
「よし! いいだろう、生徒会長の座をかけて勝負しようじゃないか。言っとくけど、お姉ちゃんだって負けないからな~!」
それからお姉さんは「じゃあな」とイケメンにしか許されない人差し指と中指を揃えて立てるという、大変格好いいポーズを見せて去って行った。
僕らは益子さんが用意した申請書を提出し、生徒会室を後に。
「益子さんって、お姉さんがいたんだ」
揃って昇降口に向かう途中、思わず尋ねた。申し込みも受理され、後は帰宅するだけという流れになる。自然、一緒に帰宅の道を歩む雰囲気になっていた。が、
「はい、今は名字は違うんですけど……」
「え?」
思わぬ深い内容に、運んでいた足を止めそうになる。乾いた唇が沈黙を読んでいると、益子さんが足を止め、オズオズといった調子で口を開いた。
「その……姉を見てどう思いました?」
「え? どうって……まぁ、綺麗な人だよね。あんまり益子さんに似てないっていうか……あ」
「なるほど……陣内P、ちょっと上を向いて下さい」
「へ? 上? ごぅふ!」
瞬間、腹に凄まじい衝撃が訪れる。あまりのことに膝を屈しかける自分を発見し、デリカシーという名の神が彼方からプークスクスしている幻影が見えた。
「大丈夫ですか、陣内P!? 今、巨大な昆虫が突如飛来し、陣内Pのお腹に激突! という訳で、決して腹パンなんかしてませんよ」
「うぅ……ここ、室内」
「それはさておき」
もんどり打つ痛みがさて置かれた。世界の理不尽について考えながら顔を上げると、益子さんがいつになく真剣な顔をしていた。痛みの自覚が不意に失われる。
「姉は確かに美人です……本当、爆発して欲しい位に。そして、あんなちゃらんぽらんに見えて、実は頭もいいんです」
何か……どっかで聞いたような話だな。そう思いながら耳を傾ける。
「昔はそんな姉に憧れていました。何でも出来て、格好良い、凄いお姉ちゃん。叶うなら、そんな姉に追いつきたいと思いました。だけど……現実の壁は分厚い」
そこで益子さんは過去から現在への作用でか、遣る瀬無さそうに俯いた。違う皮膚を身に纏い、違う臓器を身に宿した僕ら。でもその痛みは、よく似ていて……。
「益子さん……」
「姉さんが鼻歌を歌いながら残した成績を、私はどうやっても越えられない。親族間での評価も、学校での評価も姉さんと比較され、どれだけ血反吐を吐いて頑張っても天才という壁に阻まれる。私はそのことが辛くて……一時、悪に走りました」
「え、悪に走ったって……」
「はい、摘み食いから初めて宿題の丸写し、勇気を出してのゴミのポい捨てとゴミの不分別……悪です。完全悪。悪の戦闘員のうにょうにょとした変な動きと奇声も完コピし、道行く野良猫に中指を立ててみたこともありました」
それは、何ともコメントし辛い悪の在り方だった。しかし、
「それと同時に、必死になって努力することも止めました」
「え?」
それから数珠繋ぎのように出てきた一連の言葉は、身に詰まされ、いつかの心痛を思い出させるものだった。空白に焼きついていく景色、言葉、思い。
「バカバカしくなったんです。努力って面白くて、八十点くらいまでなら時間と成果が比例するんです。でもそれ以上を狙おうとすると途端に難しくなる。努力しても、辿りつけない領域がある。だから私は八十点の人生でいいと思ったんです」
「八十点……」
「だけど今、どうしても姉さんに勝たなくちゃいけない事情が出来ました。私も姉さんに負けてない! それを証明する必要が……。そんな時にチャンスが、生徒会選挙が巡ってきたんです。幸いにも、姉さんが生徒会長に立候補することは分かっていました」
僕と同じく努力を止めたと言った益子さんに潜む純なものが、光り、波打つ。その光は僕を落ち着かなくさせ、自分自身を鑑みる努力を強いて来るようで。
「一学年離れていたから直接対決することは出来ず、私はいわば、亡霊といつも戦っていました。だけど今回は直接対決することが出来る。陣内P、私、どうしても勝ちたいんです。勝たなくちゃいけないんです。あんな卑怯な手で脅迫して、申し訳ないとは思います。身勝手でごめんなさい。本当にごめんなさい。でも私には、頼れる人が陣内Pしかいないんです。それで……どうかどうか、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いします」
深く同級生に頭を下げられ、僕は自分の在り所を見失う。何か言おうとしたが、唇は虚しい言葉の切れ端を何度も噛むだけで、何も言えず。結局、
「あ……うん」
なんて、どうしようもなく情けない返事をしていた。そのまま僕らは言葉少なに昇降口まで向かい、駅までの道を歩んだ。自宅に戻り、ベッドに背を預ける。
――世界は広すぎて、見えない。
でもこの世界には様々な人がいて、それぞれの事情にくるまって毎日を生きている。価値観の相違、コンプレックス。全てを超えた高みから眺めれば、全部下らないことに見えるのだろう。それでも……
何かを感じ、思いながら、僕は手を握りしめてしまう。
『それと同時に努力することも止めました。バカバカしくなったんです』
『だから私は八十点の人生でいいと思ったんです』
――誰かの言葉を思い出しながら。
『だけど今、どうしても姉さんに勝たなくちゃいけない事情が出来ました』
『でも私には、頼れる人が陣内Pしかいないんです。それで……どうかどうか、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いします』
――誰かの想いを、確かめようとしながら。
言葉になること、ならないこと。整理出来ること、出来ないこと。色んなこと。空白を空白のままにして、僕は就寝前にもベッドに寝転び、自分自身を眺めた。
『優さん……どうして、頑張ることを止めてしまったのですか?』
『頑張ってるよ、僕なりに……。でも僕は君とは、天才とは違うんだ』
肩の上にわだかまる疲労感に似たものは、今も消えない。だけど――どこまで出来るか分からないけど、選挙プランナーとして真剣に働き出すことを、僕はいつしか考え始めていた。夜明けには路上から朝が膨らみ、常に何かが始まるように。
「あえか……」