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04.東雲あえかは今日も不機嫌



「失礼します」


 昼の休み時間。友人との昼食を終えて席でダラダラしていると、突如として教室前方の扉が開いた。そこから光が溢れ、聖歌が鳴り響く。まぁ実際そんなことはないのだけど、それ位の衝撃を伴って一人の女性徒が僕のクラスに舞い降りた。


 降臨。そう表現するのが相応しい位に美しく、高貴で完璧な存在。堂々とした足取りで僕の席まで歩み寄り、両肘を抱えて前に立つ。教室中の視線が彼女に縫いつけられたようになっている中、容貌に相応しい凛とした声をその女性は響かせた。


「優さん、話は聞かせてもらいました。生徒会長選挙に出馬するようですね」

「あえか? いや、出馬って……?」


 白い肌に細長い手足。亜麻色の長い髪。小さな顔に散りばめられたパーツは宝石のようで、それが完璧な調和を保ち、顔全体を光り輝かせている。


 東雲(しののめ)あえか、それが彼女の名前だ。品を描いた眉毛は強い意志を表すようで、引き締められた口元と相まって、彼女を少しばかり近寄りがたい存在にもしている。


「いや、出馬じゃなくて、推薦人に……って、待て初音、どこにいく?」


 そんな彼女を前に叱責されたように応えていると、近くの女子グループの輪から離れ、こそこそ退出しようとしている存在に気付く。声をかけると振り向いた。


「え? やだなぁユウちゃん、女の子にそんなこと聞いちゃだめだよぉ」

「お前だな、あえかに選挙のこと教えたのは」


「ふぇ? そ、そんなことないってばぁ。あは、あははは」


 相変わらず嘘が下手な奴だ。いいからちょっと来いと手招きすると、諦めてやって来た。ちなみにあえかは僕と初音の幼馴染にして、僕の許婚でもあった。


 許婚。嘘みたいな話だ。本当に……嘘みたいな。作り話や虚構であったらどれだけいいか。だが本当の話で、それが僕と彼女のここ数年の関係を困難にしていた。


 ことの発端は、単純に言えば僕の父の蒸発にある。


 陣内家は田舎にあってはちょっとした旧家らしく、本家筋ではないが、武士の末裔の祖父が父に向ける期待も大きかったと聞く。だが父はその重圧に耐え切れず、僕が保育園の頃に母が病没すると蒸発した。僕は以降、祖父母の元で育つ。


 蒸発にショックを受けた祖父は教育方針を転換し、僕に関しては自由にやらせようとした。祖母から聞いたが性格も変わり、今は陽気で楽しい人になっている。


 だが現実問題として祖父には後援会があり、親族もいた。議員の後継者が身内にいないことが問題化する。僕では幼すぎた。何かと口を挟んでくる癖に、親族の中で気概のある人物もいなかった。そこで名乗りを上げたのが、あえかの父だった。


 地元の市民病院から独立して内科医として開業したあえかの父は、その人柄もあって地域からの信頼を集め、医者として成功していた。祖父とも親しい。そして息子に、年の離れたあえかの兄に医院を任せた後は議員の道を進もうとしていた。


 そんな人が、祖父の跡を継ぎたいと申し出てきたのだ。


 色んな偶然が重なる。県議の孫である僕と、医院の娘であるあえかは同年の幼馴染で仲が良かった。お互いを名前で呼び合っていた。僕は彼女のことが好きだったし、照れたように怒ったように特別なプレゼントやチョコを貰ったこともあった。


 結論からいえば、祖父はあえかの父の申し出を受けた。あえかの父は将来的に僕の親族に、義父になることが決まった。僕とあえかは許婚にされたのだ。


 祖父を身勝手な人だとは考えない。祖父も祖父なりに色んなプレッシャーがあり、失敗と後悔があって今の彼がある。上手くいかないことが多い世の中。不自由なのは皆一緒だ。僕を見る目に優しさと申し訳なさが灯っていることも知っている。


 ただ、許婚となることで僕とあえかの関係性は変化した。許婚の事実は小学校の頃は知らされず、その頃は純粋に幼馴染として僕らは仲良く過ごした。


『優()()? どうしたの?』


 だが中学に上がる頃、「許婚」という言葉が大人たちに告げられ、色んなことが様変わりした。純粋に向けていた好意の意味が変わる。僕らは困惑した。何かを恐れるようになり、自然体でいられなくなった。お互いを真っすぐ見られなくなった。


 それでも僕は頑張ってみようと思った。努めてみようと思った。

 だけど、駄目で……。


「生徒会選挙の推薦人? 陣内家の人間ともあろう人が推薦人に……って、優()()。人の話を聞いているのですか?」


「はい、聞いてます」


 回顧を中断し、消え入りそうな声で答えながら許婚の顔を眺める。


「っ、えっと、それでですね。その……」


 あえかは僕の視線に気付くと身を固くし、両肘を抱える優美な姿勢から、腕を組むという、少し威圧的にも見える格好へと姿を変えた。視線は、合わない。


 何がいけなかったのだろう。何が駄目だったのだろう。時にそう考えることがある。どうして僕らはこうも不自然になってしまったのか。どうしてすれ違ってばかりなのか。許婚として彼女を意識し始めた時、僕は確かにこう考えていた筈なんだ。


 ――彼女の隣にいるに、相応しい自分になろう……と。


 容姿ではとても釣り合わないので、ならせめて学力でと思った。だが僕は思い知らされた。昔から頭は良かったけど、特別に目を惹く可愛さを秘めていたけど、あえかは中学に入ってより凄みを増した。より完璧な存在になってしまった。


 あたかも自然が天に与えられた力を発揮し、春には野原を色で飾るみたいに……日を追うごとにあえかは美しくなり、学力でも優れ始めた。どれだけ努力してもどれだけ努力しても、誇ることが出来ない。学力ですら超えることが出来ない。


 中学の勉強だろと、何をムキになっているのだと馬鹿にされても構わない。ムキになる理由があった。それこそ倒れるまで勉強した。体調管理を怠り、あえかの父に強い薬を用意してもらいテストに望んだこともあった。なのに、なのに……


 学年順位、二番。クラス順位、二番。


 中学時代を通じてあえかとは同じクラスだった。そう、常に彼女が僕の前に立ち塞がったのだ。どれだけやっても、悔し泣いても嘆いても、全てが無駄。一年一学期の中間から二年三学期の期末まで、結局僕は一度も彼女に勝てなかった。


 だから三年への進級を機に、全力で努力することを僕は止めた。


 テストも八十点そこそこで満足した。八十点までは、かけた時間と成果が比例する。だがそれ以降になると、時間と得点の比例関係は徐々に崩れ出し、運や才能といったものに大きく左右され始める。凡人ではどうやっても天才に勝てないのだ。


 そのような形で僕は、決定的なあえかへの引け目を丹念に育ててしまった。


 あえかは間違いなく天才だった。医師の娘、頭の出来からして違う。泥臭く努力しなくても学力に優れ、運動神経も良く、顔とスタイルだって良い。


 あえかに相応しい自分になろうという考えは、いつしか姿を消した。僕はあえかを避け始め、それを彼女も感じ取り、色んなことが上手くいかなくなった。


『優さん……どうして、頑張ることを止めてしまったのですか?』


 ある時、あえかにそう尋ねられたことがある。


『頑張ってるよ、僕なりに……。でも僕は君とは、天才とは違うんだ』


 そう答えた後の、彼女の何とも言えず切なげで、寂しそうな表情を今でもよく覚えている。あえかは完璧な存在だ。そう、完璧。でも完璧と言うのは、恋する対象とはなりえない。ただ“完璧なもの”として眺めることが出来るだけで……。


「ちょっと、二人ともぉ。何でまた気不味くなってるんだよぉ」


 二人が対面した時に陥りがちな、何ともいえない居心地の悪さの中で時間を削っていると、初音が能天気な声で呼びかけた。それに気づき、ハッとなるあえか。


「え? あ……べ、別に気不味くなっている訳では、っと、そうでした。それで、生徒会長に立候補される方は?」


「おや、ひょっとしてお呼びですか?」

「へ? おわっ!?」


 するとあえかの声に応じ、にょきっと生えるように益子さんが現れた。


「あ、愛ちゃん、いきなりびっくりするってばぁ」

「ふふふ、な~んくるないさ~」


 その神出鬼没っぷりに目を剥いている間にも、ニコニコ顔で初音と謎のコミュニケーションを交わす益子さん。あのあえかですら「なっ」と驚きを露にしていた。


 だがそれも僅かな間のことで、あえかは直ぐに自身を取り戻す。


「あ、貴女ですか? 優さんを推薦人にして生徒会長に立候補しようとなさる方は」


 取り戻した筈なんだが……


「はい、私、益子愛と申します。この度、陣内Pと共に生徒会選挙を勝ち抜こうという、絶賛売出し中の清純派アイドルです。握手でお金をもぎ取ります」


 笑顔で変なことを言う益子さんの挨拶を前に、流石のあえかも困惑を浮かべた。


「陣内P? 清純派アイドル? こ、この方は何を?」

「あ~、益子さんの話は適当に受け流す感じで」


 あまりにも一度に場の性格が変わったことに戸惑いを覚えながら、注意を促す。

 すると今度は人好きのする笑顔を浮かべたままに、益子さんが尋ねた。


「それで、あなたは?」

「え? わ、私は、一年三組の東雲あえかと言います。……優さんの、幼馴染です」


 幼馴染を強調するあえかの返答。物怖じすることなく、益子さんは続ける。


「成程そうでしたか。しかし、どうしてそのように憤慨なさっておいでなんです?」

「なっ、私は、別に憤慨など!」


「…………」


 何だろう、この変な感じ。謎の緊張感が渦を巻いている。二人の会話を聞きながら、さぁ厄介なことがやってくるぞと嵐の前の小鳥のようにビクビクしてしまう。


 事実、そこから話は望んでいない方向へと進み、


「それで、どうして益子さんは優さんを選挙の推薦人にしたのですか?」

「はい、初音ちゃんから勧められまして」


「初音から?」


「おっと、どうしたその目はぁ? 怖いってばぁ、あえかちゃん。ほら、ユウちゃんのお爺さんって県会議員さんだし、だからユウちゃんも選挙に詳しいかなって」


「そんな無茶苦茶な理由で……優さん? どうして引き受けたりしたのです?」


 嫌な予感通り、鋭い追及の目が僕に向けられることになった。


「え……あぁ、いや、それは……」


 まさか脅迫されたなんて言えないし、事実無根とはいえ、あの写真をあえかに見られる訳にもいかない。許婚とはいえ、一応結婚するまで自由恋愛ということになっている。だけど、僕らには一応その先がある。あってしまう。


 ちなみに僕がセクシーなお嬢さんのほにゃららな品を持てないのは、全てあえかにチェックされるからだ。気不味い関係の中でもそれが義務であるかのように度々部屋に訪れては徹底的にチェックしていく。僕を追い出し、時に初音を従えて。


 中学の頃に一度見つけられた時は、人一人が死ねそうな軽蔑の目で見られ、以降一か月「この変態が!」という目で見つめられ続けた。あれは本当にキツかった。


 当時のことを思い返しながら、必死に言葉を探す。


「その……まぁ、一応政治家の孫として、選挙プランナーってものをやってみてもいいかなぁって思って……」


 正直、かなり苦しい言い訳だった。しかし、それから声を落とし、


「それに、お義父(とう)さんの手伝いをする時にも、その経験はあっても悪くないかと思って」


 そう言うと、「え」と思わぬ言葉を聞いたとでもいうように、あえかの顔から険が取れた。もし他の人に聞こえたとしても、どうとでも取れる言葉だし、意図した通りの意味は、僕とあえかでしか共有出来ないと思う。


「優さん……そのような考えで……」

「え、あぁうん、まぁ」


 残念ながら、人の心は永遠に読み説くことが出来ない古文書のような物だ。だからこんな苦し紛れのいい訳でも、案外受け入れられたりしてしまう。多分だけど。


「そうですか……分かりました。しかしやるからには必ず勝利して下さい。いいですね」


「いや、必ずは無理だけど、まぁ八十点くらいは狙えるように」

「もぉ! またそのようなことを! そんな意気込みでは駄目です!」


 叱られながら、ふとあえかの顔を見る。彼女が立候補すれば、一年とか二年とか関係なく、男性票であっさり生徒会長に成れちゃったりするんじゃないだろうか。


 益子さんも美人だけど、カリスマ的な美しさという意味ではあえか以上の人材はいない気がする。そんなことを思っていると、視線に気づいたあえかが腕を組み直した。



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