01.下駄箱に入っている手紙といえば、アレ
「なっ、なんだってぇ!?」
高校一年の秋。
長いようで短い夏休みを特に何をするでもなくダラダラと過ごし、体育祭だ何だと面倒なイベントも終え、退屈で代わり映えしない毎日がようやく戻って来た。
と思っていた矢先のことだった。
「そんなっ、いや、まさか!?」
眠気を噛み殺しながら学校の下駄箱を開ける。これがつい五秒くらい前の出来事だ。そこで僕はあるものを認め、それ以降、体を動かすことが出来ずにいた。
ドドドドドドと、人のいない朝の昇降口にスタイリッシュな効果音が幻聴気味に轟く。劇画調となって頬に汗を浮かべた僕は、恐る恐るそれを手に取った。
下駄箱に手紙が入っていたのだ。
ベタな感じでハートマークのシールで封をされた、白い手紙が。
混乱する心象の中、自身に対する纏まりを一度に失いかける。しかし!!
下駄箱に入っている手紙といったら、アレしかない!
だがっ、まさかっ! どういうことだ!? 自慢ではないがこの陣内優、凡夫であることにかけては自信がある。太鼓判を押されてもいい。そんな僕に手紙?
――ゆ、夢でも見てるっていうのかよぉ、僕はぁ!?
男子高校生が一生に一度は手にしたいブツを掲げ、感動に打ち震えること暫し。いや、待てよ……と、冷静な自分に肩を叩かれた。悪戯でも仕掛けられているのではないかと辺りを見回す。靴を学校指定の上履きに履き替え、周囲を探った。
笑いを噛み殺して隠れている友人……なし。な、ならば!!
思考のリズムを整え、目の前の現実に思いを巡らせる。僕の下駄箱に手紙が入っていた。手紙が! 何故! 手紙が! 僕の! 下駄箱に! 手紙が! 何故!
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!?」
人がいないことをこれ幸いと、奇声を発してしまう。ふっ、らしくない、らしくないぜ陣内優。落ち着け、冷静に、クールにいこう。それに悪戯という可能性が完全に払しょくされた訳ではない。そうだ、とにかく中身を確認しなくては。
そう自分に言い聞かせ、ハートマークのシールを剥がしにかかった。
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!?」
ぶるっぶる手が震えていた。本当にぶるっぶる。本気と書いてマジと読むくらいにぶるっぶる。狙撃手と書いてスナイパーと読むくらいに、あ、これは関係な、
《拝啓 秋も深まり、朝夕は寒さを覚える昨今、如何お過ごしでしょうか?》
「ん?」
そして便箋を取り出し、女の子の字で書かれた不可思議な一文に出会う。
何というか古風だった。一寸考え込んでしまう。が、すぐにその訳に思い至る。はは~ん、そりゃそうか。向こうもどう書けば良いか分からず、緊張して、
《貴下におかれましては、ますますご発展のことと喜び申し上げます》
だがその馬鹿丁寧な文面の中、いきなり現れた次の言葉に絶句した。
《さっそくですが脅迫です》
…………へ?
《当方、貴殿の例の秘密について、若干の知識がございます》
いやいやいやいや。はあ?
《若輩者にて甚だ僭越ではございますが、学校内にリークを考えている次第です》
ちょ……え? リーク? は?
《ご多忙のこととは存じますが、ばらされたくなければ今日の放課後十七時、理科室に一人で来てください。 敬具》
えっ? えっ? …………………………え?
ええええええぇえぇぇぇええぇぇぇぇぇぇええ!?
それから数時間後。
「はぁ、まったく。なんでこんなことに……」
放課後となり、溜息を吐きながら指定された場所へと向かう僕がいた。今日一日、意識は鉛を飲み込んだように重く沈むと共に、奇妙に移ろいがちになっていた。
お陰で授業内容はまるで記憶にない。一枚の手紙によって僕の日常は完全に乱されてしまった。同じ疑問がぐろぐろと渦巻いては、実際的な思考を蝕んでいる。
――例の秘密って……どれだ?
自問する度に一つの考えが頭を過るも、そんな筈はないと打ち消した。あの秘密というか事実は、今のところ僕と彼女しか知らない筈だ。なら一体……。
陽が落ちるのは早いもので、窓から射す西日が黄昏色に学校の廊下を染め上げていた。人の気配を全く感じない理科室の扉の前に立つ。
「…………」
何かを観念したというよりも、もうどうにでもなれという荒っぽい気持ちで扉を開いた。すると夕焼けの中、一人の少女が窓辺で佇んでいた。
「え? 君は……」
「こんにちは、陣内君」
全く予想していない人が待ち構えていたことに、僕は目を瞬かせる。
鼻筋の通った細面に、まろやかながらも凛とした品のよい顔つき。陶磁のように滑らかで白い肌を持ち、毛先を癖で遊ばせた可愛らしいショートカットの髪型。
名前は確か……益子……。
必死で思い出そうとするけど、名字までしか出てこない。同じクラスの彼女とは、これまで何度も顔を合わせてきた。頻繁ではないが、ちょっとしたクラスの用事があれば話もした。他愛無い冗談を交わしたことだってあるかもしれない。
だが僕と彼女に架け渡された関係性は、それだけだ。
何故、唐突にも彼女が僕にあんな手紙をよこしたのか全く見当がつかない。
「えっと……益子さん?」
「はい、益子愛です」
そうだ、愛さんって名前だった。って、そうじゃなくて!
「あの……手紙なんだけど、益子さんがくれたの? その……どうして?」
聞きたいことは沢山あったが、最初に口をついた疑問はそれだった。
しかし彼女は僕の質問には答えず、薄く笑うとこう告げた。
「陣内くん……私の選挙を、プロデュースしてくださいませんか?」
情けなくも無情に今日も日が暮れていく。
「え? 選挙?」
代わり映えしない毎日。停滞する日常。秒針に追われる日々の足音。その日、僕はそういったものを失うことになるのだけど、その時は思ってもみなかった。
彼女と一緒に、生徒会選挙を戦うことになるなんて。