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高野豆腐と無表情男子

作者: 法田波佳



 HR終了のチャイムと同時に、日直の声が教室に響く。


「きりーつ、礼!」

「さようならー」


 日直の号令の後に、生徒の声がつづく。それは、日直一人の声よりも小さかった。

 入学してすぐの頃は、もっとはきはきと大きな挨拶をしていたのだが、学年が上がるにつれてその声はだんだん小さくなってきている。

 中学生という多感な時期だからだろうか。なんて、他人事のように思う。実際、自分もちゃんと声を出している訳ではないから、とやかくは言えない。


 帰りの挨拶が終わると、教室は一気にざわめきはじめる。これから部活がある人は急いで教室から出て行き、用事がない人はどこかの席に集まってお喋りをはじめる。いつも通りの見慣れた光景だ。

 そんな様子を視界の端でとらえながら、私はせっせと荷物を詰めはじめる。

 数学、英語、社会・・・。今日の復習をするもの、明日の予習がいるもの、宿題が出ているものを頭の中で確認しながら、選り分けていく。これもいつもの光景だ。

 持って帰るものは白鞄に入れ、置いて帰るものは元通り机の中へとしまう。そうして帰りの準備を終えたところで、背後から強い衝撃が襲ってきた。


「しぃーおーりー!もう帰っちゃうの?」


 背後から抱き着いてきた彼女は、私の名前を呼びながら頬に頭を擦りつけてくる。首に回された腕は、ぎゅうぎゅうと力が強くなっていく。このままでは息ができなくなる!そう思って、ギブアップするように、彼女の腕を手で叩けば、ぱっと腕は解かれた。

 振り返れば、予想通りの人がそこにいた。彼女は、愛くるしい眼をきらきらと輝かせながら、照れ笑いを浮かべた。


「ごめんごめん、ついつい」

「もう、ケイちゃん力強いんだから」


 手加減してよねと笑いながらおどけて言えば、彼女もまたおどけて、イエッサーと言って敬礼で返した。


「で、もう帰るの?」

「うん。今日は塾があるし」


 私の言葉に、彼女は不満げに頬を膨らませる。そして、仕方ないなというように、ふっとため息をついた。


「もう、志織しおりは頑張りすぎ。いっつも塾じゃない」

「ははは、ごめんね。でもいっつもじゃないよ、週3だもん」

「十分多いよ!私なんて、まったく行ってないんだから!」


 腰に手を当てて、彼女は言う。それは威張るところなのか、と思って私は小首を傾げた。

 こういう時、どうすればいいかわからなくなってしまう。突っ込んでもいいのか、それともスルーすべきなのか、正解がわからないのだ。ひょっとすると、正解も何もないのかもしれないが、どうしても気にしてしまう。


「じゃあ、また明日ね。塾頑張って!」


 そう言って、彼女は手を振ると自分の席へと帰っていく。同じように手を振り返しながら私は、何も言われなかったことに秘かに安堵した。





 ほかのクラスも今HRが終わったのか、教室を出ると廊下にはたくさんの人がいた。皆が、靴箱がある方へと繋がる階段へ向かう中、私は一人、流れに逆らって逆方向へと向かう。

 廊下の突き当りまで行くと、階段を上る。三年生の階から、階段を上がって二階上にある屋上を目指して。

 週3回ある塾のうち、夜遅くまでかかる木曜日だけは、屋上前の踊り場でお弁当を食べるのが私の日課だった。屋上の扉は鍵がかかっていて出ることができないため、踊り場まで来る人はまずいない。だから人目を気にせず食べることができて、重宝していた。

 この日も、いつも通り踊り場へとやってきたのだが・・・ひとつ、いつも通りではないことが起こった。初めて、先客がいたのだ。

 驚いて、思わず足が止まる。

 先に来ていた人は顔を伏せていて、どうやら本を読んでいるようだった。垂れた前髪で顔が隠れていて、誰なのかはわからない。

 どうしたものか・・・。もし全然知らない人だったら気まずいし、今日は諦めて別の場所へ行こうか。そう思って、踵を返そうとしたその時、視線を感じたのか、向こうがふっと顔を上げた。

 前髪がのいて、あらわになった顔に、息をつめた。それは、よく知った顔だった。

 と言っても知り合いとかではなく、単に一方的に私が知っているだけなのだが。


 三木春孝みきはるたか

 それが彼の名前だ。



 どれくらいそうしていたのだろうか。

 数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。とにかく私たちは、お互いを見つめあったまま動きを止めていた。

 階段の下のほうから、生徒の騒ぎ声が微かに聞こえてくる。しかし、それもだんだんと遠ざかっていって、辺りに静寂が訪れたころ、彼が口を開いた。


「・・・座ったら?」


 初めて聞く声は、想像よりずっと高かった。まだ声変わりしていないのだろうか。その声は、クラスのどの男子よりも高い。

 一瞬どうするか迷ったが、せっかく勧めてくれたのだしと思って、彼の隣へと向かう。少し腰をずらして、彼が空けてくれたスペースに腰を下ろす。私が座ったのを確認すると、彼はまた読書を再開した。

 そんな彼に、思わず盗み見るようにちらりと視線を送ってしまう。あの三木くんが隣にいる。それだけで、なぜだか胸が高鳴った。


 三木春孝の名前は有名だ。私の学年で知らない人はいないんじゃないかと思う。実際に、彼と一度も同じクラスになったことのない私も知っているぐらいだ。

 無口で無表情で、何をやっても、何があっても表情を一切崩さない。まるでロボットのよう。それが、彼が有名な理由だ。たまに廊下ですれ違うことがあって、気になってそのたびに見ているが、一度も彼が無表情を崩したところを見たことがない。

 私は中学校に上がる時に転校してきたから知らないが、小学校から一緒の人によると、どうやら小学生の時から彼はそうだったらしい。

 なぜそこまで無表情なのか、それは誰も知らない。



「何か、顔についてる?」


 本から視線を上げずに彼が尋ねる。突然のことで、驚いて思わず肩が飛び跳ねた。どうやら無意識のうちに、じっと見てしまっていたらしい。慌てて、ぱっと視線をそらす。


「ご、ごめん!何でもないの」


 見ていたことに気づかれた恥ずかしさで、顔に熱が集まるのを感じた。きっと、鏡で見れば顔を真っ赤にした自分が見られるだろう。

 彼は本を見たまま、私の言葉にふーんと興味のなさそうな声を出す。

 また、辺りに静寂が溢れて、ぱらり、と彼がページを捲る音だけがやけに大きく響く。


 じっと見ていたことについて、それ以上追及されなくて、私はほっと胸を撫で下ろす。有名な人だから、なんて本人を目の前にしてとてもじゃないが言えない。それに、私が彼が気になる理由は、ほかにもう一つあった。けれど、その理由もやはりあまり口に出したくはないものだった。

 本に集中しだした彼を横目に挟みつつ、側に置いてあった白鞄からお弁当箱を取り出す。朝、母が綺麗に包んでくれたバンダナをほどくと、淡いピンク色のお弁当箱が出てきた。正座をした太腿の上に置いて、こかさないように気をつけながら、ゆっくり蓋を開ける。すると、ふわりと出汁の匂いが鼻孔をくすぐった。中に詰められているものを見て、自然と口角が上がる。


「・・・高野豆腐?」


 不意に隣から声が聞こえる。横を向けば、三木くんは本を膝の上に置いて、じっと私のお弁当箱を覗きこんでいた。その眼は、お弁当箱にぎっしりと詰められた高野豆腐に向けられている。引いていたはずの顔の赤みが、恥ずかしさでまたもどっていくのを感じた。思わず、見られないようにお弁当箱を腕で囲い込む。


「いや、これは・・・ちょっと腹ごしらえを、と思って・・・」

「高野豆腐が?」


 別にしなくてもいいのに、恥ずかしさでいらぬ言い訳をしてしまう。それを聞いて、彼はこてんと首を傾げた。表情にこそ出ていないが、不思議に思っているんだろうなということが伝わってくる。こうして見ると、表に出ないだけで、ひょっとすると本当は、意外と感情豊かなのかもしれない。なんとなくそう思った。


「高野豆腐、好きだから・・・」


 なんだか照れくさくなって、彼から眼をそらしていう。ただ好きな食べ物を言うだけなのに、それだけで心臓がばくばくと脈打つ。

 彼は私の言葉を聞くと、そっかと納得したように呟いた。そして、また読書にもどったようで、ぱらぱらとページを探す音が聞こえてきた。

 私も、お箸を取り出して食事をはじめる。


 ぺらり、ぺらり。もぐもぐ、もぐもぐ。

 それぞれの音が、静かな踊り場に響く。

 何か話をするでもなく、ただ隣り合ってお互いのしたいことをする。普段は苦手な静けさなのに、今だけはこの静寂がすごく居心地がよかった。

 変なの、と自分でも思う。教室で友達と話している時よりも、今の方が居心地がいいなんて。

 別に友達が嫌いなわけじゃない。むしろその逆で、好きだし、話していると楽しい。けれどその分、好きだから好きな分、楽しければ楽しい分、時々息苦しく感じてしまう。

 変なこと言っていないだろうか、気を悪くさせるようなことしていないだろうか、ちゃんと・・・ちゃんと、楽しそうにできているだろうか。そんな風に考えてしまう。

気づけば周りの顔色ばかり気にして、周りの感情に左右されて、自分が本当にどう思っているかわからなくなってしまって・・・。

 いつの間にか、笑うのが癖になっていた。

 笑っていれば、気分を悪くさせることもないし、嫌われることもない。そうして、自分の感情を隠して、笑顔の仮面を張り付けるのが癖になった。

 だから、さっきみたいに、自分の好きなものを言うだけで緊張してしまう。好きなものを伝えるということは、素を見せるということだから。



 ちらり、とまた彼を盗み見る。彼は、さっきと変わらず無表情のまま本を読んでいた。その変わらない表情に、ふと、ずっと尋ねたかったことが頭をもたげる。


『あなたも、それで感情を隠しているの?』


 それは、初めて三木くんを見た時から思っていたことだった。

 単なる思い違いかもしれない。本当に、無表情なだけなのかもしれない。自分と同じような人がほしくて、勝手にそう思ったのかもしれない。けれど、そう思えてならなかった。なぜ、そこまで無表情を貫くのか、知りたかった。


 私の視線に気づいたのか、三木くんが顔を上げてこちらを見る。その動作は、スローモーションのようにやけに、ゆっくりとして見えた。黒々とした眼と視線が交わる。思わず、ごくりと喉が鳴った。

 聞くなら今しかない。直感的にそう思った。


「・・・三木くんは、どうして無表情なの?」


 絞り出した声は、やけに弱弱しく聞こえた。緊張で、心臓が壊れそうなくらいばくばく音をたてている。

 三木くんは、私の質問を聞いて、またこてんと首を傾げた。ひょっとすると、不思議に思った時の癖なのかもしれないと思った。


「どうして、そんなことを聞くの?」


 まさか質問で返されると思っていなくて、ぐっと言葉に詰まる。

 どうしよう、なんて説明しよう・・・。何か上手い言い訳はないかと考えだして、はたと止まった。言い訳なんかしちゃだめだ。私の本当の気持ちを、本当の理由を話さないと、きっと彼も本当の理由は教えてくれない。

 そう思って、ふっと深呼吸をする。何度かそれを繰り返すと、いくらか気持ちが落ち着いた。そして、ゆっくりと声を出して話し出す。


「・・・私、いっつも周りからへらへら笑ってるって言われてて、あ、実際にそうなんだけどね?けど、何というか、笑いたいから笑ってるんじゃなくて、笑わないと!って思ってて・・・。そうやって自分の気持ちとか隠してるんだけど、ひょっとしたら、三木くんも・・・」


 考えをまとめずに話し出したからか、要領を得ない話し方になってしまう。けれど、三木くんはじっと黙って聞いてくれていた。それが、なんだか無性に嬉しかった。


「えっと、だからね、三木くんもそうじゃないのかなって・・・無表情なのは、自分の感情を隠したいからで・・・。ひょっとすると、私と同志なんじゃないのか、と」


 何も言わずに聞いていてくれるからだろうか。ついつい話しすぎてしまった。自分の口から出てきた”同志”という言葉にびっくりして、思わず両手で口を押える。

 三木くんも、私の言葉に眼を大きく見開いていた。無表情な彼には珍しい、わかりやすい表情につられて、私も眼を丸くする。

 続ける言葉が見つからなくて、思わず黙り込んでうつむく。三木くんもどうすればいいか迷っているのか、何も喋らない。

 沈黙が、また二人の間に流れだす。静けさの中で、自分の心音だけがやけに大きく聞こえた。



「・・・びっくりした」


 永遠かと思うような長い沈黙を破ったのは、三木くんだった。聞こえてきた声に、弾かれるようにして顔を上げる。すると、こちらを見つめる黒々とした眼とかち合った。さっきまで何も浮かんでいなかったその眼に、少しだけ優しい色が見えたような気がした。

 どきり、と心臓が大きく脈打つ。顔は相変わらず無表情なままだったが、その眼に、彼の気持ちを垣間見たように思った。


「そんなこと言われたの初めてだ。うん、でもそうだね、当たってるのかもしれない。・・・君の理由とは少し違うけどね」


 記憶を手繰るように遠くへと視線をやりながら、彼はぽつりぽつりと言葉を落とすようにして言う。

 その言葉ひとつひとつに、救われるような思いがした。

 ひょっとして、とは思っていたが、まさか本当に自分と同じような人がいるとは思わなかった。自分だけじゃなかったということが、胸が詰まるほど嬉しい。


「ごめんね、変なこと聞いて。けどね、すごく嬉しい。三木くんにしたら迷惑な話かもしれないけど、ずっと自分だけなのかと思ってたから。・・・自分だけ、こんなに変なのかと思ってて」

「じゃあ、変人仲間だ」


 私の言葉に、彼はおどけたように続ける。その顔はやっぱり無表情だったが、きっとその仮面の下には、いたずらっ子のような笑みを浮かべているんじゃないかと思った。


「違う、”同志”だよ」

「じゃあ、同志さん。名前を教えてもらってもいいかな?」


 同じように、私もおどけて言う。すると彼は、眼をぱちぱちと瞬かせた。そして、こてんと首を傾げながら私に尋ねかける。彼に言われて初めて、自分が名前を伝えていないことに気づいた。なんだか妙におかしくなってしまって、思わず笑い声を上げる。それは、自然と浮かんだ笑みだった。


「じゃあ、改めまして、・・・高野志織こうのしおりといいます」

「高野?」


 胸元のネームプレートを見せながら、名前を伝える。すると、私の名前を聞くと彼の視線がすっと私の手元へと落ちた。その視線の先を追いかければ、そこには、お弁当箱の中の高野豆腐があった。彼が考えていることが何となくわかって、かあっとまた顔が赤くなる。


「べ、別に、高野だから高野豆腐が好きとか、そういうわけじゃないから!」


 意図したわけじゃないけれど、ダジャレのようで気恥ずかしくなってしまって、思わず大きな声でまくしたてる。すると、彼はふっと顔を背けた。どうしたのかと気になって、身体を動かして顔を覗き込む。けれど、そんな私から逃げるかのように、彼は今度は身体ごと動かして後ろを向く。


「どうかした?」

「な、んでもない・・・」


 ひょっとして、何か気を悪くさせたか。そう不安になって尋ねれば、彼はこれまで通りの調子で返事を返してきた。ただ、少しだけその声が波打っているように聞こえる。ふと肩を見やれば、彼の細い肩はぴくぴくと小刻みに震えていた。

 その姿に、思わずくすりと笑みがこぼれた。聞いたところで彼は否定するだろうからしないけれど、仮面の下の彼の素顔が、少しだけ見えたような気がした。










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― 新着の感想 ―
[良い点] 少女マンガのプロローグのような、甘酸っぱさを感じさせる文章でニヤニヤさせてもらいました。その後の彼らが気になります(笑)
[一言] 短編作品を通して読ませていただきました! どの作品もほんのりと感じられる恋心、淡くて切ない描写がとても素敵だと思いました。 短編でありながら、「このあと、この登場人物たちはどうなるんだろう…
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