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翌日、特筆することもなく学校を終えた清河は、日も傾きかけた午後の公園に来ていた。すでに全員が集まっており、ストレッチとランニングを終えたとの報告をひよりから受けると、メンバーに今日の予定を伝える。
投げることをテーマに挙げた一週目は、距離を変えてのフットワーク、ボールを捕ってからの送球、外野手は長い距離を正確に投げる練習をひたすらこなす。その練習をするにあったて、清河は昨日のうちに書いた手元の紙を見ながら言った。
「今から試合に向けての守備位置を発表する。少し早いかとは思うけど、短い期間だから効率を上げていきたい。一つの守備位置に決めちゃったほうが楽だしな。今から言うから聞いてくれ。
ピッチャー、ひより。我がチームのエースだからな。よろしく頼む」
するとひよりは恥ずかしそうに笑い、ほかのメンバーもひよりなら任せられる、といった風にうなずく。あの月奈でさえも、だ。
「次、キャッチャーは萌にやってもらいたいと思う。捕るのも上手だし、肩も悪くない。何より背が大きいのはキャッチャーをやるうえでいいこと…」
と、そこまで言って清河は異常に気が付いた。名前を呼ばれた萌の口角は上がり、どす黒い何かが周りに渦巻いているように見えたからだ。
「も、萌・・・・・?どうしたんだ…?」
「どうした?よくそんなこと聞けますね。女性の背の話題に触れるなって、小学校でならいませんでした?ありえませんね、冗談でも無理です。確かに私は小学校6年生にしては背が大きいほうです。そのことを自覚もしています。ですが、それとこれとは別です。人間としてどうかと思い…」
そこまで一気にまくし立てたところで、隣にいた彩が萌の肩をちょんちょんとたたくと、ハッと我に返ったような萌は頬を真っ赤に染めて黙り込んだ。
まったく状況がつかめない。背が高いこと指摘された萌が突如豹変して激昂したということは、萌は身長のことを相当強くコンプレックスに思っている、ということだろうか。
怖い、そういった感情を抱いたのは久しぶりだ。それも小学生の女子が相手とは。
おそらく顔が引きつっているだろうと確信しながら、紅葉に視線をやり助けを求めるが、あからさまに目をそらされる。他のメンバーもそわそわしたりして、実に微妙な空気が流れる。
十秒、二十秒・・・重い空気が耳に痛い。
その空気を壊したくて、先に口を開いたのは清河だった。
「えーと…その…俺が悪かった…。迂闊だったな、今後気を付けるよ…」
「いえ…私も…悪いくせなんです…。その…背のことを言われるとつい…」
そう申し訳なさそうに言う萌にもう一度謝り、発表を続ける。
圧倒的運動神経がありながらも左利きの月奈はセンター、運動能力も人柄も優れる智夜はショート。全員の発表を終えると、それぞれ内野と外野に分かれるように指示をする。全員が別れると、いよいよ練習の開始だ。
内野はまず、正面のゴロを捕ったとしての送球練習。清河が見本を右利きとしてやってみせ、ある程度数をこなしたらひよりにゴロを転がす役を任せて、次は外野の指導に移る。
まずはゴロを捕った後の内野への返球。内野に比べて運動能力の劣る外野の指導には苦労したが、時間とともに球も安定するようになってきた。
男子に比べて女子のほうが真面目な時期だからこそなせる業であるが、たったの数時間での確かな上達に手ごたえを感じつつこの日の練習は終わった。
家に帰り、今日の練習を終えての成果をルーズリーフに書き出す。たった一日で多くの成果が得られたのは、初心者の上達は早く見えるからなのか、メンバーの能率が良かったからなのか。ふと、真剣に清河の話を聞いていた月奈の顔が思い浮かぶ。
はたしてメンバー全員が同じ練習を一週間続けられるかは疑問だったが、その心配も杞憂に終わることとなり、最初の週が終わる。
☆
二週目、捕ることをテーマに掲げた週も佳境に差し掛かっており、土曜日の午後の練習も終わりを迎えようとしていた。
基本、打球の正面に入って捕球することがよしとされているが、清河はそれとは反する指導をしていた。
「いいか、体より左側で打球を捕るんだ。ボールから逃げるのはよくないけど、ボールを逃がす分には構わない。なんでボールが怖いか、それはエラーしたらボールが自分に向かって来るからだ。だったら逆に考えればいい。エラーしても体に当たらない場所、離れた場所で取ればいい」
全国の野球指導者が聞いたら大激怒しそうな言葉だが、それはあくまで野球が基本、男の行うスポーツであるからだ。男なんだから逃げるな、向かっていけ、という指導者の言い分も十分に理解できる。
しかし、このチームは全員女、それも小学生なのだから、一般とは違うやりかたがあってもいいはずである。
という暴論にも近い持論によって行われた練習の成果は思ったよりも出ているようで、さっきは試合と同じ軟式ボールで軽くノックを行ったが、サード愛梨沙、ショート智夜の三遊間は簡単な打球なら8割近くはアウトになりそうだった。
たったの二週間でこれほどの上達とはもはや清河も呆れるレベルで、成長期の早く来る女子の「伸び」の早さに驚かされるばかりだった。
午後4時、定刻となりつつある時間ピッタリに練習を終えると、三々五々去って行ったメンバーとは別に、ひよりが清河の隣にやってくる。
「残ってもらって悪かったな」
「いえ、そんなことは・・・」
夕暮れの微風が頬を撫で、誰もいない静寂が心地いい。
「どうだ?手ごたえは感じてるか?俺はまだこのチームを長く見てきたわけじゃないけど、着実に成長してると思うんだが」
「私もそう思います。遠藤監督がやっていいたときは、みんな遊びに来てるって感じで、それでも楽しかったんですけれど。でも、今はみんなあんなに真剣に取り組んでいるし、びっくりするぐらいうまくなってる。みんなだって今が楽しいと感じているはずです」
「・・・なら、勝てる見込みもあると思うか?」
「少しは・・・あると思います」
「そうか・・・・」
「清河さんは・・・」
「ん?」
「いえ、なんでもないです…」
なにやら言いたそうにしていたひよりだったが、視線をそらして口をつぐむ。
「聞きたいことがあったら聞いていいんだぞ?」
「いえ…大丈夫です」
「そうか…?なら本題に入ろう。ひよりに残ってもらったのは、『投球術』を身に着けてもらうためだ」
「投球術・・・ですか?」
「ああ、まあ変化球が使えない少年野球だから、やれることは限られてくるけどな。幸いこっちには1試合分の相手のデータがある。バッターの特徴、癖を頭に入れて、バッターに応じて投球のスタイルを変えていく。これがうまくできるピッチャーほどいいピッチャーだと、俺は思ってる。さしあたってひよりのマスターしてほしいのは、スローボールだ」
「スローボール…」
「それも、投げ方で相手に察知されにくいスローボールだ。これが投げれるだけで投球の幅は大きく変わってくる」
「投球の幅、ですか…」
「まあイマイチピンとこないかもな。考えるよりも実際にやってみるのが一番だ。ってことで今から少し時間あるか?」
「はい、大丈夫です。お父さんは遠征行ってていないですし、従姉も今日は遅くなると言っていましたから」
「従姉?」
「隣町の大学に通っているんですが、わけあって一緒に住んでいるんです」
少し気になったが、あまり深く聞くのもよろしくない。話を終わらせると、二人は特訓を開始した。
「ひより、スローボールを投げる時の三原則だ。一、なるべくストレートと同じ投げ方で投げること。二、相手が想像してなかったタイミングで投げること。三、低めに投げること。高めは禁物だ。その3つを意識さえすれば、あとは感覚だ。できるようになるまでやるしかない」
「はい」
一旦集中しはじめたひよりの目は真剣そのものだった。休日にもかかわらず人っ気のないこの公園には、清河とひよりがボールを捕る音と、ふたりの会話だけが響き渡る。
四歳も年下の少女と二人。当然通っている学校も違えば性別も違う。共通の話題が野球しかないというのに、なぜか清河は、この少女と心が通い合っているかのような感覚を覚えていた。
5時の鐘が鳴り響いたころ、終わりを切り出したのは清河だった。
「ひより、そろそろ終わりにしよう。疲れてきたろう?」
するとひよりは肩をぶんぶんと回してみせ、
「いえ、まだ投げられます」
「いや、投げすぎは体を壊す。今日はもう終わりにしよう」
小学5年生の頃だったか、清河自身投げすぎで肩を壊したことがあったので、無理はさせたくなかった。
ひよりと並んで座り、水を口に含む。
「あとは毎日少しずつ練習していこう。それと、試合までに相手バッターの特徴とかを一緒に考えたいんだが、どうしようか・・・・」
平日は練習、土日の午後も練習があるため、ひよりと二人だけの時間をとるのは難しい。となると、
「特訓が終わった後は暗くなっちゃうしなあ。この特訓にも十分時間を割きたいし」
「家はだめですか…」
「ん?」
「清河さんの家はだめですか?いやでも紅葉ちゃんもいるし迷惑になっちゃうかもしれないから…その…」
「別に構わないけど?」
「やっぱりだめ・・・ですよね。いえ、その本気で言ったわけじゃなくって・・・って、えっ?いいんですか?」
と、安いアニメの一場面のような反応を見せ、ひよりが目を丸くする。
「ああ、ひよりさえいいならいいぞ。大丈夫なのか?家に帰るのが遅くなっちゃっても。まあ、家までは送るけど」
「はい・・・その、清河さんが送ってくれるのなら、大丈夫だと思います。一応お父さんにも連絡を取ってみます」
するとひよりはカバンからピンク色のガラケーを取り出す。それを耳に当てて数コール後、電話がつながったようで、二、三言交わした後に、なぜかひよりのケータイを渡される。
「えっと、お電話変わりました」
『おお!君が小鳥遊清河くんか!噂はひよりから聞いているよ。ひよりたちのチームを指導してくれてるんだって?たったの2週間でみんな凄い上達してるって、ひよりが楽しそうに話してくれたよ。優しくてかっこいいって。
ひよりが誰かのことをこんなに詳しくは話してくれたのは初めてだったからね、びっくりしていたんだ。
それと、実力のほうも相当らしいじゃないか。この前、県内の雑誌をたまたま読んだら清河くんが載っていてね、執筆者の絶賛ぶりは普通じゃなかったね。ぜひ一度お目にかかりたいよ』
「いえ、プロの選手にそういわれると・・・恐縮です」
『ハハハ、そうそう、ひよりが清河君の家に行っていいかってことだったね。もちろん、清河君の家が大丈夫なら全然かまわないよ。うちは僕が職業柄うちに帰れることが少ないからね。妻…ひよりの母親はもう…いなくてね…。従姉に母親代わりをしてもらっているんだけど、大学生にしては少々忙しいからね、そうそうひよりに構ってやれないんだ。
だから、ひよりにはさみしい思いをさせてしまってると思う。清河くんさえいいなら、ひよりに構ってやってほしい』
「ええ、わかりました。俺なんかでいいなら、空いてるときならぜひそうさせていただきます」
『そういってくれると本当に嬉しいよ。
≪…プルルル≫ああ、ごめん、お呼び出しが入っちゃったから切るね。また、今度ゆっくりお話しできたら』
と言って通話は終了した。
「大丈夫、みたいだな」
「は、はい・・・」
そう言ったひよりはなぜか顔を赤くして下を向いていた。
「どうかしたか?」
「い、いえ…なんでもありません…」
「そうか、なら行こうか。俺の家へ」
「は!はい…」
「お父さんの…バカ…」
小鳥遊宅までわずか数分ではあるが、清河が話しかけてもひよりはオドオドしてあまり会話が続かなかった。
それもつかの間、家の門まで来る。
「清河さんの・・・おうち・・・」
ひよりが、ちょっと庭が広いくらいの普通の一軒家を見上げて感慨深そうに言う。
「この前見ただろ。さ、中へ入るぞ」
清河が玄関のドアを開けると同時、どたどたという音が家の中に響き渡る。
「お帰り兄さん!遅かったねどこでなにして・・・って!ひよりちゃん!?えっなんでひよりちゃんが・・・もしや兄さん、もうひよりちゃんに手をだしたのっ!?」
「なわけないだろ、まあ落ち着け。それと家の中であまり走るな」
「落ち着いていられないっ!じゃあなに!?兄さんは、健全なお付き合いをさせていただいてますとでも言いたいわけ!?ま、まさかひよりちゃんが、も、もう兄さんとだなんて・・・妹である私を差し置いてっ!やっぱりだめっ!そんなの!兄さんと付き合うのには私の許可がいるのっ!!」
「いっ、いやっそ、そんなんじゃなくて、た、ただ清河さんが、や、野球のことで話したいことがあるからって・・・」
可愛そうなくらい顔を真っ赤にしたひよりが、手をブンブンと振って否定する。すると紅葉はケロッとした顔に戻って、
「なーんだ、そんなことなら先に言ってくれればよかったのに」
「いや、今悪いの100パーセント紅葉だから。はい、ひよりに謝って」
「ひよりちゃん、ごめんなさい」
「う、うん。大丈夫・・・」
ひよりは許してくれたようだったが、紅葉のせっかちさにも呆れたものだった。しかも、自分は紅葉の許可なしには交際もできないらしい。自由権が侵害されていることに疑問を抱きつつ、ひよりを促して居間に入る。
「お茶でいいか?」
「あ、はい。お構いなく…」
「悪いな、あいにくこの家にはジュースとか置いてなくてな。俺はもともと飲まないんだが、紅葉がいろいろ妙なお茶を飲みたがるんだ。えー、ルイボスティー?聞いたことねえな」
「兄さんっ!!いちいちそんなこと話さないでいいっ!もう…これだから…兄さんはっ…」
すると、なぜかひよりが口に手を当てて吹きだす。
「?」
「あ、いえ、仲のいい兄妹だなって。私も清河さんみたいなお兄さんがいたらなぁ・・・」
「兄さんはあげないよっ!」
と、真顔で言う紅葉を見て、大慌てでひよりが手を振る。紅葉には冗談があまり通じないらしい。
「じゃあ紅葉、俺はひよりと話し合うことがあるから上行ってってくれ。飯できたら呼ぶから、そしたら3人で一緒に食べよう」
「ひよりちゃんも一緒に!?やった!じゃあ待ってるね!」
そう言って紅葉は二階へと上がってく。
「悪いなひより。紅葉が迷惑かけた」
「いえいえ、紅葉ちゃんも清河さんが取られるなんて言われたら怒るのも当然です。私が無神経でした」
「じゃあ、早速だけど本題に入ろうか。まず、これがあの試合で俺がつけたスコアから導き出した、各打者の弱点だ
そういって清河が渡したのは、ルーズリーフ表裏六枚にも及ぶ長ったらしいものだった。1番から9番まで、データから考えられる打球の飛ぶ位置、投げるべきコース、カウントの変化によっての組み立て方が事細かに示されている。
「これを全部頭に入れるのは流石に無理だ。ただ、俺が萌にサインを出すからそれに従って投げてくれればいい。それより、見てほしいのはこれだ」
「打球の飛ぶ位置、ですか?」
「ああ、ひより、現実的にゴロが飛んでアウトになりそうなのはどこだ?」
「ショートか、サード・・・」
「その通り。愛梨沙か智夜、それと月奈のところ以外はほとんどアウトにならないだろう。だからその3つ、いやセンターに飛ぶこと自体そんなないからな、ショートとサードだけに打たせる」
「そんなこと、できるんでしょうか・・・?」
ひよりが自信なさげ、といった感じで首をかしげる。
「できるさ、きっと。そのためのスローボール練習でもあるしな。ところでひより、縫坂涼ってのは知ってる、よな…?」
「っ!しっ、知ってます」
急に背筋をピンと伸ばしたひよりが焦ったように答える。
「…スポ少で何があったんだ?」
すると唇をきゅっと結ぶひより。
「いや、話したくなかったらいい」
「いや、そんなわけじゃ…」
それからひよりは、ゆっくりだったが自分の過去を語ってくれた。
放課後、男子に交じって野球をしていたら、涼にスポ少に誘われたこと。その入ったスポ少でいやがらせにあったこと。初めは些細なものだったが、だんだん深刻化してきたこと。嫌がらせは多岐にわたり、同級生のほとんどが参加していたこと。
そして涼だけは、嫌がらせをしてこなかったことを最後に付け加えた。
「そうか…そんなことがね…」
涼から聞いてはいたが、本人に言われると深い同情がこみ上げてくる。ひよりはそんなもの求めていないのかもしれないが。
「でも、もう終わった話ですから。こんな暗い話はやめにしましょう!」
重い話になりつつあったので、清河もその提案に乗ることにする。
「ふむ、そうだな。でも一つだけ、ひよりは涼のことどう思ってんだ?」
「どうって、何とも・・・。学年内では優しい同級生だと思いますけど・・・」
脈なし、か。心中で涼に黙とうを捧げ、作業を再開する。




