Story 1-Part.9-
翌日、僕とアカリは、火葬場の煙突から立ち上る物憂げな白い煙を眺めていた。空には今にも雨を降らせそうな灰色の雲が立ち込め、その中を切り裂くように数羽の鴉が飛び交っていた。あたりは本当に静かで、僕は死者の白い魂と向き合いながら、同時に横に佇むアカリの想いを見つめていた。
「お母さん、もう逝っちゃったのね」
「ああ」
「幸せだったのかな? ただ一生懸命に働いて私を育てて、それだけの毎日で」
「きっと、幸せだったさ」
そう言うしかなかった。でも、多分そうだろうとも思った。アカリの視線は、なおも冬の澄んだ空に消えていく母親を見ていた。
「本当にそう思う?」
「愛する人のためにすることって、それがどんなに苦しくても幸せに感じるんじゃないかな。俺だって、アカリのためだったらどんなことでも苦にならないぜ」
「ありがとう」
アカリは小さな声で呟きながら、僕に向かって優しく微笑んだ。でもその笑顔は儚くて、何かの拍子に壊れてしまいそうだった。そして僕は、そんなアカリの瞳の中に底知れぬ哀しみが潜んでいるのを見て取った。
程なく僕らは、アカリの住むアパートへと向かった。中に入ると、そこには言いようのない虚無感に満たされた寒々しい空間が広がっていた。アカリは持っていた母親の遺骨を祭壇に置くと、その前にゆっくりと座り込んで、黒い縁取りの遺影をぼんやりと眺めていた。
「でも、本当にあっけないものね」
「疲れただろ。少し横になるか?」
「ううん、大丈夫」
気丈に振舞うアカリを見て、僕は今、ここで札幌転勤の話を言うことに躊躇いを感じたが、あと数日で行かなければならない状況を考えると、あえてこの場で言うしかないと決心して切り出した。
「実はさ、今こんなことを言うべきじゃないとは思うんだけど」
「えっ、どうかしたの?」
「俺、来月から……札幌に行かなきゃならなくなったんだ」
アカリの顔から一切の表情が消えていた。ただがらんどうの目でこちらを見たまま、身じろぎひとつしなかった。
「それって、どういうこと?」
「札幌に転勤になったんだ、来月から」
アカリの目にようやく光が戻ったような気がした。でもその表情は、冬の日本海のように陰鬱だった。
「来月って、もうすぐじゃない」
「ああ」
「どれくらいの間なの?」
「三年かな」
「そんなに長く……」
そこでアカリの言葉は失われた。僕は今さらながら、今日話したことを後悔したが、いずれにしてもアカリには理解してもらうしかなかった。たとえ彼女が一般社会の、そして自らの運命の理不尽さを呪ったとしても。
「急だったんだ。たまたま俺の提案した企画が認められて、それでまず札幌でやることになって。イブの夜に言うつもりだったんだけど、こんなことになってしまって……。ごめんな」
「謝らなくてもいいのよ。だって、ヒロミの仕事が認められたんでしょ? すごいじゃない。確かにヒロミと会えなくなるのは辛いけど、でも大丈夫。私、一人でも頑張ってみせるから」
「本当に、大丈夫か?」
「札幌なんて、飛行機なら一時間半で着くのよ。その気になれば、いつでも会いに行けるわ」
「アカリ……」
あくまで気丈に現実を受け止めようとするアカリが、どうしようもなくいとおしかった。何もかも投げ打って、どこか遠い所でアカリと一緒に暮らしたいという、叶わないながらも激しい衝動に駆られた。
「本当はお祝いしたいところだけど、今日は許してね。ちょっと疲れちゃったし」
「今日はいろいろと大変だったからな。ゆっくり休めよ」
僕はアカリの肩を抱えながら隣の寝室へと向かい、淡いブルーに彩られたベッドに静かに横たわらせた。
「ちょっと待って」
そうして僕が部屋を出ようとしたまさにその時、背後からアカリのか細い声が聞こえた。
「どうした?」
「私、我慢しようと思ってたんだけど、やっぱり駄目みたい。お母さんが死んじゃったことも、ヒロミが札幌に行っちゃうことも。ねえ、泣いてもいいかな?」
「……アカリ」
僕は、アカリのその健気な姿がどうしようもなくやるせなくて、ベッドに駆け寄るとその冷たい体をきつく抱き締めた。嗚咽するように激しく泣き続けるアカリの涙を、そして果てなく深い想いを感じながら、僕はそうして一晩中アカリの心の叫びを聞き続けた。