Story 1-Part.5-
六月も半ばを過ぎた頃、僕はサトシと一緒に、会社近くにある老舗の洋食屋で昼飯を食べていた。子供みたいだとお互いに笑い合い、ケチャップの赤さが鮮やかなオムライスを頬張りながら眺める窓の外は、舗道に染み入るように降り続く雨が織り成す灰色の世界に覆い尽くされていて、道行く人々は皆一様にうんざりとした表情を浮かべながら、ガラス越しに僕らのすぐそばを通り過ぎていった。
「こう毎日雨が降ると、本当に嫌になってくるな。気持ちまでじめじめしてくるぜ。ああ、こんな時こそ何かいいことないのかな」
「まあ、梅雨だから仕方ないけどな」
「お前はいいよな。アカリちゃんとうまくいってるし、仕事も順調なんだろ? ああ、俺の隣にもトモコちゃんがいてくれたらな」
梅雨空のように陰気な声で、でも食欲は旺盛なサトシの愚痴に垣間見える哀れさについ同情してしまった僕は、何とか勇気づけようとサトシが目の色を変えそうな話を持ちかけた。
「何なら、アカリに話してみようか? アカリとトモコちゃん仲いいから、今度四人で食事でもできるように頼んでみるよ」
「本当か? ウチダ、恩に着るぜ」
案の定、向日葵の花のような笑顔を見せたサトシはさらに食欲を増したのか、傍から見ても気持ちいいほどの勢いでオムライスを口に入れ始めた。僕は、そんなサトシの姿を半ば呆れ、半ば微笑ましく見ながら、何とかサトシとトモコがうまくいくことを心の底から願っていた。自分が幸せな時ほど、周囲にもそれを分けてあげたい気分になるものだと、少し恩着せがましいかなと思いながらも、サトシに負けないように懸命にオムライスを食べ始めた。
「何か俺、ドキドキしてきたぜ」
「いい歳して、何緊張してんだよ。しっかりしろよ」
「あ、ああ」
それは僕がサトシに、トモコとのことを約束してから一週間ほどが過ぎた、ある週末の夜のことだった。僕とサトシは会社での仕事が終わった後、アカリとトモコが待つ店に向かって通りを歩いていた。サトシは、トモコとの対面が目前に迫っているためかかなり緊張しているようだったが、僕はそんなサトシを励ましながらも微笑ましく見ていた。僕がいつもの喫茶店で、サトシとトモコとのことをアカリに言った時、そういうことは周囲が口出ししないほうがいいと、最初はあまり乗り気ではなかったが、友達としてせめてきっかけくらいは作ってやりたいとアカリを必死に説得して実現に漕ぎつけたのだ。だからこそ、僕はサトシにこの機会を無駄にしてほしくはなかった。結果はどうあれ、精一杯頑張ってほしかったのだ。
僕とサトシは仕事で少し遅れることになっていたので、店に着いてテーブルに案内された時には、アカリとトモコは楽しそうに話をしながらも、何も飲まずに僕らを待っていてくれた。
「遅いじゃない、ヒロミ。いい加減、もう飲み始めようかって思ってたのよ」
「仕方ないだろ。仕事だったんだから」
「まあ、いいわ。さあ、二人とも座って。取りあえず何か飲みましょうよ」
アカリはそう言うやいなや、僕らに何も聞かずにビールを四人分注文した。レスポンスよくジョッキが運ばれてくると僕らは軽く乾杯をし、それから改めて合コンのように自己紹介をした。四人とも同期だったので何となくお互いのことを知ってはいたが、細かい部分まで知る機会がなかったので、僕らはお互いに驚いたり感心したりしながら新鮮な時間を過ごした。でも肝心のサトシは、緊張のためか少し気後れしているようで、僕とアカリが懸命にフォローしたにもかかわらず、トモコとの会話はなかなか弾まなかった。
やがて瞬く間に三時間ほどが過ぎ、トモコがそろそろ帰ると言い出したので、僕らは店を出ると、トモコと一緒に帰ると言うアカリと別れ、サトシと二人で駅に向かって歩き出した。
「なあウチダ、俺、もう駄目だよな?」
「そんなことないさ。また機会作るから、頑張れよ」
「ああ」
深いため息とともに落ち込むサトシを励ましながらも、当事者でない僕でさえ少し塞いだ気分になっていた。確かに今夜の感触では、率直に見てサトシとトモコがうまくいくようには思えなかった。というより、自分をアピールしきれなかった時点でサトシの不戦敗だった。僕は、ここに至って二人を会わせたことを後悔したが、どんな形であれサトシが幸せになる後押しをしてやりかったこともまた事実で、後はただ、男と女の間にある自然と偶然が二人に突然訪れることだけを願うしかなかった。
とは言え、どうにも気になって仕方がなかった僕は、数日が過ぎたある夜、いつもの喫茶店でアカリと話している時にさりげなく探りを入れてみた。
「アカリは、サトシとトモコ、うまくいくと思うか?」
「さあ、どうかしら」
「俺はちょっと、無理なような気がするんだけど」
「そうね。でも、案外わからないわよ。トモコ、まんざらでもなかったみたいだし」
「それ、本当か?」
「まあ、ナカダくんの頑張り次第じゃないかしら」
意味深な笑みを浮かべながらショートケーキのイチゴを頬張るアカリは、言葉でも表情でもそれ以上の情報を与えてはくれなかった。「まんざらでもない」という表現自体が玉虫色であり、少なくとも可能性がゼロではないだろうとしかサトシに伝えられない自分が歯がゆかった。まあ、もう一度くらいはセッティングしてあげたほうがいいかなと、おせっかいな気持ちが湧き出てきたところで唐突に思考が遮られた。
「ねえ、聞いてるの?」
「あ、ああ。サトシのことだろ?」
「違うわよ、南の島のことよ。夏休みの計画」
語気を強めながら頬を膨らますアカリの計画にすっかり乗り遅れてしまった僕は、頭の切り替えがうまくいかなかったこともあって素っ頓狂な言葉を返すしかなかった。それは、飲み会に遅れて顔を出した時の戸惑いに似ていた。
「そうだな、南の島で、イルカにでも乗って遊ぶか」
「何それ、何でイルカなの?」
「前に、夢で見たような気がするんだ。アカリと二人でイルカに乗ってた夢を」
「ヒロミって、時々不思議なこと言うのね」
「そうかな?」
「まあ、それもいいかもしれないけど」
アカリは僕の突飛な提案をまともに検討しているようだった。自分を納得させるようにゆっくりと二度頷くと、イチゴのないショートケーキを切り崩し始めた。僕はそんなアカリを眺めながら、いつか見た夢の光景を思い出していた。あの時は、まさか本当にそうなるとは夢にも思っていなかった。そもそも、アカリとこうして一緒にいることさえ考えられなかった。僕は、運命の悪戯というか神秘さを体感しながら、二人で過ごす南の島での日々に早くも胸を躍らせていた。