Story 1-Part.4-
「うわあ、いい景色ね」
「本当に、いい眺めだな」
その時僕ら二人は、長野の高原にあるドライブインから、眼下になだらかに広がるのどかな町並みと、さらにその向こうに聳える山々の連なりを眺めていた。五月五日のその日は、うっすらとした雲こそ広がってはいたが朝からいい天気で、僕らは中古のシビックで高速道路を西へ走らせてここに着いたのだ。
「ねえ、あの鐘鳴らしてみたいな」
アカリが指差すドライブインの片隅には、小ぶりのチャペルの鐘が設えられていて、何組かの二人連れが写真を撮ったりしながら佇んでいた。
「ちょっと、恥ずかしくないか?」
「いいじゃない、やってみましょうよ」
半ばアカリに押し切られるようにして、僕らはその鐘のところに行き、アカリに言われるがままに一緒になってそれを鳴らした。鐘は思っていた以上に大きな音がしたので、恥ずかしさのあまり頬が赤くなっていくのがわかったが、すぐ横にいたアカリは満足そうに鐘を見上げていたので、僕もそんなアカリの姿にすっかり満足し、今日ここに来られた喜びに胸が高鳴った。
その夜、僕らは高原の森に佇むログハウスのベランダから空を見上げて、ひとつひとつ丁寧に星を数えていた。都心とは比べ物にならないほどの数の星たちが戯れる姿はまさに神秘的で、僕は何とかそこに流れ星を見出そうと、ひたすら目を凝らしてその姿を探し続けていた。
「寒くなってきたから、そろそろ中に入ろうか?」
「そうね」
ひとしきり星を見るのにも飽きると、僕らはベランダから中に入り、宇宙の中心のように部屋の中央に佇む小さなガラステーブルの前に並んで座った。高原を意識してか、薄い緑のセーターにアイボリーのパンツ姿は、アカリを実年齢より五つは若く見せていた。
「今日はありがとう。こんなにいい雰囲気のログハウスに泊まれて、本当にいい誕生日になったわ」
「喜ぶのはまだ早いぜ」
僕は、怪訝そうな表情を浮かべるアカリを尻目に、あらかじめ部屋の隅に用意していた四角い箱をテーブルの上に置き、上着のポケットからCDを出してデッキのスイッチを入れた。程なく室内には聞き覚えのある音楽が静かに流れ出した。
「これって」
「そう、アトランティック・スターの『オールウェイズ』さ。そして、このテーブルに置いたものは……」
僕が恭しくも箱を開けると、そこには数多くのイチゴで飾られたバースデイケーキがあった。でも、満面の笑みで喜んでくれると思っていたアカリはケーキを黙って見つめたまま、しばらくの間口を開こうとはしなかった。
「どうした、気に入らないのか?」
「ううん、嬉しいの。ありがとう。私、ヒロミのことが好きで本当によかった」
アカリは静かに呟くと、その想いを形で示すようにそっと僕の肩にもたれてきた。僕はそんな彼女の小さな体を、儚く消えてしまわないように自分の腕の中にしっかりと包み込んだ。アカリの静かな息づかいと胸の鼓動を、僕は体全体ではっきりと感じることができた。僕はアカリを、この小さな体に宿る果てない想いを、これからも決して離さないことをその心に堅く誓っていた。
「さあ、ケーキにロウソクを立てるよ」
僕はゆっくりとアカリの体を外すと、ケーキに二十本のロウソクを立てていった。本当はアカリの年齢の数だけ立てたかったのだが、どういうわけか箱の中にはそれだけしか入っていなかったのだ。まあそれもいいだろうと持っていたライターで火をつけると、僕はお約束ながら部屋の明かりを全部消した。程なくロウソクから放たれたほのかな光の集まりが部屋中を、その中央に佇む僕とアカリの顔を照らし出した。
「綺麗ね」
「さあ、ロウソクの火を消して」
「ねえ、もう少しこのままでいい?」
「いいけど、どうして?」
「だって、素敵じゃない、こういうのって」
アカリは再び僕の肩にもたれ、ロウソクの明かりに照らされた白いケーキをうっとりと見つめていた。
「ねえ、私、いつも思うんだけど、ヒロミと会ってから、私の心がヒロミの色に染められていくのがよくわかるの」
「俺の色って、どんな色なのかな?」
「うまく言えないんだけど……。やっぱりわからないわ」
「でも、それって、いいことなのかな?」
「どういうこと?」
「だからさ、アカリの心が俺の色に染まっていくことって、いいことなのかな?」
「当たり前じゃない。だって、それって私のヒロミへの想いが強くなってるってことなのよ。私たちの心がお互いに強く結ばれてるってことなのよ。ヒロミの心だって、きっと私の色に染められてるはずよ。感じない?」
「どうかな。でも、俺はアカリのことが大好きだよ」
「ありがとう」
僕らは暗闇にくっきりと浮かび上がったバースデイケーキを前に、そうして二人だけの空間に酔いしれた。時の流れ自体が別世界のことのように思え、僕らは二人だけの世界に身を置きながらお互いの想いを、そして体を共有した。そう、僕らにとってはそのケーキこそが二人の心そのものであり、そこに散りばめられたイチゴの色こそが二人の心の色だったのだ。だから食べるわけにはいかなかった。ひとたび食べてしまえば、その瞬間に世界が壊れてしまうように思えたからだ。
それからの日々は、僕らにとって本当にかけがえのない、充実したものとなっていった。お互いが相手のことを愛し、そして愛されることが、これほどまでに素晴らしいものであることを、僕は生まれて初めて身をもって実感していた。それは地に足の着かない、空中遊泳のような非現実感に満ちていた。だから飽くことなく毎日のように喫茶店で会い、オールディーズの音楽を聞きながらお互いの時間を共有し合ううちに、僕はアカリのことを自分の一部であるように想い、もはやアカリのいない人生など考えられないほどになっていた。