Story 3-Part.5-
その日はクリスマスイブ、つまり僕の三十回目の誕生日だった。そして、それは同時にアカリの命日でもあった。その夜、僕とあかりは会社近くの店で、二人だけのささやかな誕生日を祝うべくフランス料理を食べた後、店から少し離れたボードウォークの海辺に佇んでいた。頭上には、数少ないながらも精一杯の自己主張をしている星たちが、僕らの姿を母親のような優しい眼差しで見ていた。僕はいつもより少し多めにワインを飲んでいたせいか、普段なら肌を刺すように冷たく感じる真冬の海風も、今夜ばかりは顔のほてりを冷やすのにちょうどよかった。あかりも同じだったらしく、白いハーフコートの上に少し長めの髪を躍らせながら心地よさそうに風と戯れていた。
「少し飲み過ぎたかな?」
「でも、今日はヒロミの誕生日なんだからいいんじゃない?」
無邪気に微笑むあかりを見て、僕はこのまま時が流れることに抵抗がなくなりかけたが、やはり尋ねないわけにはいかなかった。それが飲み過ぎたワインの勢いかどうかはわからなかったが、いずれにしても、僕はあかり自身の口から真実を聞かずにはいられなかった。たとえそれが、いかなる結末を迎えるとしても。
「前からあかりに聞こうと思ってたことがあるんだけど」
「急に改まって、一体どうしたの?」
「いや、これはあくまで風の噂なんだけど」
「だから何よ」
「お前、課長と何かあったのか?」
あかりは僕の言ったことが理解できなかったらしく、こちらに向けられた眼差しは平板だった。もっとも、訊いた内容が曖昧だったことも事実で、僕は改めてストレートに問い直した。
「課長と付き合ってるのか?」
「えっ、どうして?」
「お前と課長が、一緒にホテルから出てきたところを見た奴がいるんだ」
「私と課長が? 本当に?」
「ああ。他にも、公園で抱き合ってたのを見た奴もいるんだ」
言いながら、あかりの表情の変化をじっと見ていたが、彼女は瞬きひとつせずに唖然とした顔を見せた後、急に満面の笑みを浮かべながら僕に尋ねてきた。
「それで、ヒロミはその噂を信じてるの?」
「信じてはいないけど」
「じゃあ、何故私に聞くの?」
「確かめたかったんだ。あかりの口から、はっきりと聞きたかったんだ」
「じゃあ、はっきりと答えるわ。それは人違いよ。私は、課長となんかホテルに行ってないし、ましてや付き合ってなんかいないわ。そんなこと、当たり前じゃない」
既に笑顔が消えていたあかりは、僕から目をそらせて海の彼方を見つめた。その言葉に嘘があるようには思えなかったが、半月ほど前に見かけた後輩との姿が頭を過ぎり、僕は再びあかりに問いただしたい衝動を抑えることができなかった。
「じゃあ、俺がこの間見たのは何だったのかな?」
「何を見たっていうのよ」
「半月前に、お前が俺の後輩のホリウチと一緒にホテルから出てくるのを見たんだ」
「私が、ホリウチさんとホテルに?」
「忘年会の帰りに偶然見かけたんだ」
僕は再びその表情の変化を確かめようとしたが、あかりはまたも表情ひとつ変えなかった。
「ああ、あの日ね。確かに私、ホリウチさんと一緒にホテルに行ったわ」
「何だって?」
「ちょっと悩んでたことがあって、彼に相談にのってもらってたのよ。ホテルのラウンジでお茶しながら」
「何を相談してたんだよ?」
「何だっていいじゃない。私と彼は同い年だし、会社の同期なんだから」
そう言われてしまうと、僕はそれ以上あかりを問いつめるわけにはいかなかった。でも僕は、あかりの言葉の中に何かひっかかるものを感じていた。言葉自体ではなく、その言い方に釈然としないものを感じたのだ。するとそんな僕の心を見透かしたのか、あかりが僕の目を覗き込みながら問いかけてきた。
「今日のヒロミ、ちょっと変よ。そんなに私のことが信じられないの?」
「何かがひっかかるんだよ。うまく言えないんだけど、どうも納得がいかないんだよ。お前のことを信じたいけど……。釈然としないんだ」
僕の言葉に、あかりは諦めたような投げやりな表情を浮かべると、少し鋭さを増した眼差しでこちらを見ながら言い放った。
「じゃあ、どうすれば信じられるの? 納得できるの? 私が、課長やホリウチさんと付き合っているって言えば信じるの?」
「信じないさ。信じないけど、そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ、何が問題なのよ」
声を荒げたあかりに、僕はうまく言葉を返すことができなかった。そう、僕は既に何が問題なのかがはっきりとわかっていたのだ。あかりという人間が信じられないことが問題なのだ。かつてアカリを信じることができたように、アカリを自分の一部だとさえ思えたように、僕があかりを想えないことが根源的な問題だったのだ。




