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Story 2-Part.8-

「アカリ……」

 僕の目の前には、病院のベッドに横たわる久しぶりのアカリの姿があった。アカリは静かな寝息を立てて眠っていたが、そのやつれ具合を見るにつけ、僕は自責の念を抱かずにはいられなかった。トモコからの電話でアカリが入院していることを聞いた時もそう感じ、僕は一刻も早くとこの病院に駆けつけたのだが、現実にその姿を目の当たりにしたことで、その想いはなお一層強いものとなった。

「ウチダくん」

 不意に横から聞こえてきた声に、僕ははっと目が覚めた気がして反射的にトモコを見た。

「もちろん、ウチダくんだけが悪いんじゃないけど、アカリの気持ちもわかってあげてね」

「でも、どうして」

「実はね、前にウチダくんが私の家に来た時、私アカリの居場所は知らないって言ったけど、本当は知ってたの。アカリが会社を辞めたことも。アカリ、ウチダくんと別れてから相当辛かったんだと思う。体中から生気がなくなったように落ち込んじゃって、正直見ていて痛々しかったわ。ウチダくんもわかってると思うけど、アカリ、母親を亡くしてから家族と呼べる人はいなくなっちゃったし、そういう意味ではウチダくんだけが心の支えだったと思うの。でもそのウチダくんとうまくいかなくなって、心もだけど体調も崩しちゃって、それで会社を辞めたの。住む所を変えたのも、ウチダくんとの思い出のない場所で一から出直したいからって言ってたわ。だから、ウチダくんには居場所を教えられなかったの。アカリから口止めされてたから。でも、それからもアカリの体は悪くなる一方で……。こんなことなら、もっと早いうちにウチダくんに来てもらっていればよかったのかも」

 アカリの寝顔を見ながら、切々とその想いを語るトモコの目には、うっすらと涙が溜まっていた。僕は改めて自分のしてしまったことを激しく後悔し、アカリに対する贖罪の思いで一杯になった。何とかしてやりたい、助けてやりたい、どうして僕は医者ではないのだろうと、無意味な自問自答を繰り返した。何もかもがもう遅いことをわかっていながら、でも僕はひたすらアカリを見守り続けるしかなかった。

 その夜、僕はトモコと交代してアカリのそばに付き添っていた。病室の窓からは、星たちから見放された弓張月が寂しげに浮かんでいた。その姿に痛々しさを感じながらもベッドに目を落とすと、永い眠りから覚めたアカリが僕のほうを見てほのかな笑みを浮かべていた。

「目が覚めたんだね」

「来てくれたのね」

 アカリの言葉は温かく、その眼差しは聖母マリアのような慈愛に満ちていた。僕はもう、何と言っていいのかわからなかった。

「ごめんな。本当にごめんな。俺のせいでアカリ……」

「ヒロミのせいじゃないわ」

「いや、俺のせいだ。俺がアカリのことを守り切れなかったから。でも、もう離さないよ。いつまでも、俺たちは一緒だから」

 僕がありったけの想いを込めて告げた言葉に対して、アカリはなおもかすかな笑顔を浮かべながら、視線を天井に移して呟いた。

「また、二人でイチゴのケーキが食べたいな」

 僕はそんなアカリの姿を見て、改めてその一日も早い回復を願い、もう二度とアカリを離さないことを、一生をかけてアカリを守り抜こうと心に堅く誓っていた。アカリを窓外の弓張月のような孤独にさらすことのないように、その慈愛に満ちた笑顔をいつまでも絶やすことのないように。

 その後も僕は東京に留まり、アカリの看病を続けた。その具合がいい方向へ向かっていないことは誰が見ても明らかだったが、僕はそうした客観的な事実などどうでもよかった。もちろん、アカリが一刻も早く回復することは大事だったが、僕は何よりアカリのそばに居られるだけで満足だった。そう、僕はアカリと一緒にいることで、自分の損なわれた部分を取り戻すことができるのだ。そして二人は完全な人間として、未来に向かって永遠に生き続けることができるのだ。


 それはクリスマスイブ、つまり僕の二十六回目の誕生日の夜だった。星が見たいというアカリに急かされるように、僕らはエレベーターで病院の屋上に向かった。でも運の悪いことに、その夜空は一面の雲で覆われていて、数少ない東京の星すら見えない状況にあった。

「今日は星見えないね」

「曇ってるからな。アカリ、寒くないか?」

「ううん、平気よ」

 でも僕は、車椅子に乗ったアカリの肩から白いカーディガンを羽織らせた。札幌ほどではないが真冬の東京はやはり寒く、二人の吐く息が夜空に白く映し出された。

「ヒロミ、あなたと一緒に過ごすことができて幸せだったわ。思えば突然に、交通事故みたいに始まった二人だったけど、今の私にはもうヒロミしかいないの。これからも、ずっと私のそばにいてくれる?」

「もちろんさ。今までも、そしてこれからもずっと二人でいような」

「ありがとう。私、ヒロミが札幌に行っちゃってからずっと寂しくて不安だったの。お母さんが死んだ直後だったし、自分の周りに誰もいなくなっちゃって。でも私にはヒロミがいる、ただそれだけでやってこられたの。寂しさや不安も何とか抑えてこられたの。だから一年前は辛かった。唯一の支えだったヒロミまでいなくなったような気がして」

 アカリの言葉のひとつひとつが僕の心を鈍く刺した。もちろん、刺されても当然だった。鋭いナイフで抉られても仕方なかった。その痛みに耐えることしか、今の僕にできることはなかった。

「今でも後悔してるよ。許してくれなんて言えないよな。でも、信じてほしい。俺が必要としているのはアカリなんだ。アカリだけなんだ。愛してるなんて言葉では言い表せないくらい、俺はアカリだけを求めてるんだ」

「もういいのよ。こうしてここにいてくれるだけでいいから……。そうだ、ヒロミ今日誕生日だったね。プレゼントは買えなかったんだけど、はいこれ」

 アカリが差し出したのは、バラの花に飾られた一片のバースデイカードだった。でも僕は、それをアカリの温かい手から直接受け取ることはできなかった。その瞬間アカリの首はがくんとうなだれ、もう二度と僕に向かって生きた表情を浮かべることがなかったからだ。僕は何度も、いや何十回も声が枯れるまでアカリの名前を呼び続けたが、それはただ虚空を彷徨うだけだった。折りしも降り始めた雪が、僕を、そしてもう戻ることのない旅に出たアカリを優しく包み込んだ。僕はアカリの手からこぼれ落ちたバースデイカードを拾い上げると、そこに書かれてある文字をゆっくりと目で追った。僕の心は激しく震え、とめどなく溢れ出る涙を抑えることができなかった。そう、アカリは知っていたのだ。自分の人生が最期の段階にあったことを。だから僕を、初めて二人で抱き合った屋上に誘ったのだ。僕は自分の涙と降りしきる雪で滲んでいくカードの文字を、いつまでも繰り返し目で追い続けた。


『たくさんの思い出をありがとう。そして、たくさんの夢をありがとう。私が永遠の旅に出ることを許してください。

                                                    Always Love You……アカリ』

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