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Story 2-Part.7-

 でも、僕の歩みは遅々として前に進まなかった。年が改まり冬の厳しさが増すにつれて、僕の心はどうしようもない虚無感に覆われていった。トウコと一緒にいても、僕はその心の寒さを拭い去ることはできなかった。トウコのことを愛してはいたが、アカリがいなくなったことで、僕の一部は決定的に損なわれてしまった。そして、トウコにはそれを埋めることはできなかった。そう、僕はその時になって初めて気づいたのだ。確かに愛していたのはトウコだったが、アカリとはそんな愛という名のもとではなく、より深い根源的な部分で繋がっていたのだ。アカリを前にすれば、愛などという言葉は本当に些細で陳腐なものだった。僕はアカリと別れたことで、自分自身の心の半分を永久に失ってしまったのだ。僕は後悔していた。生まれてからこれほど後悔したことはなかった。僕はアカリに何度も電話をかけたが、一度として繋がることはなかった。仕事場にもかけてはみたが結果は同じだった。僕はやり場のない怒りと寂しさを我慢できずに、毎晩のように部屋でウィスキーを飲み続けた。どれだけ飲んでもどうしようもないことはわかっていたが、僕はもう自分自身から逃げ出したかったのだ。


 それは、北海道にもようやく遅い春の訪れが感じられるようになった四月半ばだった。僕が仕事を終えて、いつものようにウィスキーの瓶を抱えながら自分の部屋に帰ってくると、不意に携帯電話の着信音が鳴った。ここのところ誰からも電話がかかってこなかったので、いぶかしみながらも出てみると、そこからは東京にいるサトシの切羽詰った声が聞こえてきた。

「おいヒロミ、知ってるか? アカリちゃん会社辞めたぞ」

 僕の周囲には、サトシの声以外は何も聞こえてこなかった。時はそうして、死んだように僕を包み込んでいた。

「おいヒロミ、聞いてるのか?」

「あ、ああ」

「お前、アカリちゃんと別れたんだってな。この間トモコから聞いて驚いたぜ。まあ、何があったのかは知らないけど、一度東京に出てこいよ」

 サトシはそれだけのことを告げると、僕の返事も聞かずに電話を切った。サトシの言葉自体は普通だったが、その端々には明らかに苛立ちが感じられた。僕は、アカリが会社を辞めたという事実がうまく呑み込めず、しばらくの間携帯電話を手に呆然とした。その原因が僕にあるのは明らかだったが、これで僕とアカリが共有していた唯一の客観的事実もなくなってしまった。僕はもうどうしていいのかわからずに、いつものようにウィスキーを飲み始めたが、今日に限っては飲み進むにつれて、不思議と頭の中が鮮明になっていった。恐らく何らかの原因で一種の覚醒作用が働いているのだろうが、いずれにしてもサトシの言うとおり、ここは一度東京に行ったほうがいいと納得し、その後は静かに微笑みかけるアカリの姿を瞼の中にイメージし続けながら過ごした。

 半月後、僕はゴールデンウィークを利用して東京に向かった。僕はまずアカリのアパートに向かったが、既に別の人が居住していて、そこにアカリの影を見出すことはできなかった。次に僕はサトシとトモコの暮らすマンションに行き、一年ぶりに二人の元気そうな姿を目の当たりにした。僕ら三人はひとしきり抱き合い、久しぶりの再会の雰囲気を味わうと、サトシは僕をリビングのソファーに座らせた。

「ところでさっそくなんだけど、アカリ会社辞めて今どこにいるか知らないか? トモコなら居場所がわかってるんじゃないかと思ったんだけど」

「それがわからないのよ。大体、会社辞めることだって私に言ってくれなかったし、本当に寝耳に水なのよ」

 トモコは、僕の目の前にコーヒーを出しながら申し訳なさそうにそう答えた。久しぶりに見る彼女は、白いカッターシャツにベージュのパンツ姿で、その表情は以前とは明らかに異なり柔らかかった。僕はそこに家庭というものを垣間見た気がして、懐かしさと切なさが入り混じった不思議な気分になった。

「それよりヒロミ、どうしてお前たち別れたんだ? 二人とも、あんなに仲がよかったのに」

 サトシのもっともな疑問に、僕はこれまでの経緯を正直に答えた。僕が別の女性を好きになったこと、そしてそのことによってアカリを傷つけ、今になってその大切さが身に染みてわかったことを。

「そうか、お前の気持ちはわからなくもないけど、今度のことはどう考えてもお前が悪いな」

「わかってるよ」

 ここでサトシに殴られても仕方ないと思った。誰に言われるまでもなく、全ての責任は僕にあった。でも、サトシは僕を優しく諭しただけで、咎める素振りさえ見せなかった。もっともそれはトモコ同様、家庭を持ったことでの落ち着きなのかもしれなかった。

「まあ、何はともあれアカリちゃんがいないことには始まらないな。トモコ、お前本当に心当たりないのか?」

「実は、たまに携帯に電話はかかってくるんだけど、アカリどこにいるのか教えてくれないのよ」

 トモコは僕を見ながら、困ったような申し訳なさそうな表情を浮かべた。二人の心配は痛いほど心に染みたが、ともあれ僕に手がかりがないことは明らかで、仕事で時間が作れなかったこともあり、そのやるせない想いを胸に抱えながら札幌に帰るしかなかった。

 その後も、アカリの行く先は依然としてわからなかった。月日だけが悪戯に過ぎ去り、増えたのはウィスキーを飲む量だけだった。自業自得ではあったが、僕はアカリがいなくなったことで心のバランスを失い、それは体調に、やがては仕事にも如実に現れていった。トウコとの間にも次第に溝ができ始め、気がつくと僕は本当に一人になっていて、現実と夢の間をまるで夢遊病者のようにあてもなく彷徨い続けた。そう、僕はもうアカリなしには生きていくことさえ困難になっていた。自分の力で立ち上がることさえできなかったのだ。


 僕が久しぶりにトモコからの電話に出た時、部屋の窓からは白い雪が妖精の羽根のようにひらひらと舞い降りるのが見えた。

「アカリ、見つかったわよ」

 僕は一瞬耳を疑った。一年も終わりを迎えようかという十二月の半ばになって、僕はようやく一筋の希望の光を見つけたような気がして現実へと立ち返り、取るものも取りあえず東京へ向かった。僕にできることは、とにかく急ぐことだけだった。

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