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Story 2-Part.3-

 その日曜日、約束どおり僕とトウコは車で湖へと向かった。明け方まで降っていた雨の影響で路面のアスファルトは水溜りを、沿道の草花は雨露をたたえていたが、急速に回復する天候によって午前のうちにはそれも消え去り、湖を望む展望台に車を止めた頃には、眩いばかりの太陽が僕らと湖面をきらきらと照らし出していた。

「いい天気になってよかったわね」

「本当に気持ちがいいな」

「ね、来てよかったでしょ?」

 トウコは僕に同意を求めると、湖面にさざめく波の揺らめきを目の当たりにしていた。トウコは白いシャツにピンクのカーディガンを羽織っていて、薄いブルーのジーンズと、何より周囲の風景によくマッチしていた。僕らの周囲には、日曜日というだけあって多くの人々が佇んでいたが、皆一様に声を上げることもなく、それぞれに静かで穏やかな時間を過ごしているようだった。

「そう言えば、最近彼氏とはうまくいってるのか?」

「彼とは、別れたの」

「……そうか、ごめん」

 何を言っていいかわからず、ただ不器用に謝るしかなかった。不躾な質問を後悔したが、トウコの表情にそれほどの深刻さは感じられなかった。何よりそれが救いだった。

「別にウチダくんが謝ることはないわ。こうなることは何となくわかってたし、このままズルズルと続けていても意味がないんじゃないかと思って」

「辛かっただろ?」

「そりゃあね。でも、いつかはケリをつけなきゃいけないし……。まあ、しばらくはゆっくりしてから、新しい恋でも見つけようかなって思ってる」

 どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきたが、それはどことなく寂しそうで、今にも儚く消えてしまいそうに弱々しかった。

「私はもう終わっちゃったけど、ウチダくんは頑張ってよ。私の分まで」

 何と言って慰めたらいいのかわからない僕を見透かしたかのように、トウコはその表情にいつもとは違う寂しさを宿しながらも笑顔を見せた。それを見る僕も痛かったが、程なく近くで流れ出たアトランティック・スターの「オールウェイズ」がそこに割って入ってきた。僕は反射的にトウコから離れると、上着のポケットから携帯電話を取り出して耳にあてた。

「もしもし、ヒロミ?」

 その声を聞いた瞬間、僕はある重大な事実に気づいて愕然とした。そう、僕は今日がその日であったことを迂闊にも完全に忘れていたのだ。

「アカリ、誕生日おめでとう」

 僕は努めて平静さを装って答えたが、心の中ではアカリの誕生日を忘れていたことに苛立ち、またそれをアカリに悟られることを恐れて生きた心地がしなかった。

「覚えていてくれてよかった。電話がなかったから、ひょっとしたら忘れられちゃったんじゃないかと思って」

「忘れるわけないだろ。でも、ごめんな。本当なら、とびきり大きなイチゴのケーキをプレゼントしたかったんだけど」

「その気持ちだけでとても嬉しいわ。それに、イチゴのケーキならもうここに買ってあるし。あまり大きくはないけどね」

「じゃあ、俺が歌を歌ってやるよ。ハッピーバースデイの歌を」

「今歌うの?」

 少し驚いた声を出したアカリに構うことなく、僕はありったけの気持ちを込めてバースデイソングを歌った。携帯電話の向こうに広がる空間で、東京で一人ケーキと向き合うアカリに届くようにと切に願いながら。

「ありがとう、嬉しいわ」

「さあ、ロウソクの火を消しなよ」

「うん」

 アカリは頷くと、二十三本のロウソクの火を次々に消していった。そう、僕にはわかっていた。目には見えなくても、電話の向こうで必死に火を消していくアカリの健気な姿が。そして、僕もまた携帯電話に向かって軽く息を吹きかけた。

「電話、ずいぶん長かったわね」

 アカリとのやり取りを終えて戻ると、トウコが悪戯っぽい表情を浮かべながら話しかけてきた。

「彼女だったんでしょ?」

「ああ、まあな。あっ、もうこんな時間だ。そろそろ帰らないか?」

 なおも電話の内容を執拗に聞き出そうとするトウコを交わすように、来たばかりではあったが僕は無理矢理に帰りを促した。とにかく僕は、一刻も早く帰りたかったのだ。そうしないことには、僕自身の気持ちを抑えることができなかった。

 憮然とした表情のトウコをひたすらなだめながら、僕は気もそぞろに家路を急いだ。トウコを家に送り届けるとすぐに、札幌の繁華街へ出てアカリへのプレゼントを探した。今のこの高鳴る胸の想いを、僕は形にしてアカリのもとに届けたかったのだ。それはある意味では、誕生日を忘れたことに対する罪滅ぼしだったのかもしれなかったが、いずれにしても僕は、アカリの誕生日を純粋に祝いたかったのだ。僕は目に止まった貴金属店に入ると、ワインレッドに輝くルビーのイヤリングを買い、そのまますぐに東京のアカリのもとへ送った。そう、僕にとってはそのルビーの赤さこそがイチゴのケーキだったのだ。遠く離れた北の街から、僕はそうしてアカリの二十三回目の誕生日をダイレクトに受け止めていた。

 それ以降僕は、週末になるとトウコと一緒に遊んだ。もっとも、二人きりで遊んだわけではなく、会社の同僚たちと一緒ではあったが、僕はそうしてトウコと時間を共有していくうちに、これまでにも増してその中にアカリを見るようになった。トウコという女性を通じて、アカリとの時間を疑似体験するようになっていった。だからこそ僕は、逆にトウコと二人きりになるのが怖かった。そうなれば、僕の心が取り返しのつかない場所に連れ去られてしまうように思えたのだ。でも今にして思えば、僕はトウコの中にアカリを見ているように思い込もうとしていただけだった。自分の本当の気持ちを知りたくなかったがために。

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