Story 2-Part.1-
程なく年が改まり、僕は札幌へと旅立った。アカリのことは気がかりだったが、かといって東京に留まる選択肢を選ぶことはなかった。もちろん、札幌に行かなくても仕事を辞めるまではいかないだろうが、僕はアカリを理由にして仕事に関して後悔はしたくなかった。ここでアカリを選べば、僕は半ば永久に仕事のことを悔い、そのことであからさまではないまでも、暗に彼女を責め続けることがわかっていたからだ。だから僕は後ろ髪を引かれながらも飛行機に乗り、この凍てつく北の大地に足を踏み入れたのだ。
札幌に着いた最初の夜、僕は何かを振り切るようにその北の街をあてもなく彷徨った。街には様々な人たちが行き交い、一見すると賑やかなように見えたが、よく見ると皆それぞれの寂しい想いを胸に秘めているように思えた。あるいは、僕自身の寂しい想いが周囲に投影されているだけかもしれなかったが、いずれにしても僕はこの夜の寒さ同様に、いやそれ以上に心に寒さを感じ、どうしようもなく孤独になった。それは、初めての街に対する漠然とした不安からかもしれなかったが、何よりも僕はアカリを東京に残してきたことを深く後悔していた。これから三年もの間アカリと別々の生活をしなければならないと考えると、僕は無性に居たたまれなくなり、偶然近くにあったバーに入って立て続けにウィスキーをストレートで三杯飲んだ。でも、そんなことをしても無駄だった。そう、ウィスキーくらいでは僕の心の寒さを取ることなんてできなかったのだ。僕はぼんやりとした頭を抱えながら店を出て、何とかアパートの自分の部屋のベッドにたどり着こうと、頭上の北極星を頼りにゆっくりと歩き出した。
翌日から、新しい職場での僕の新しい仕事が始まった。始めの頃は、慣れない街での一人暮らしもあって仕事を含めた生活全体が不安定だったが、日が経つにつれて次第にそれもなくなり、一ヶ月が過ぎた頃には、もうあの心の寒さを感じることはほとんどなくなっていた。僕はそんな自分自身の適応能力に正直驚いたが、過去の経験を考えればまあそんなものだろうと納得し、日常生活の中に始めの頃に感じた寂しさや不安を埋もらせていった。もっともそれは、僕の心のほんの表面の部分でしかなかったのだが。
二月のその夜は雪まつりの真最中で、僕は仕事帰りに会社の同僚たちと、大通り公園に立ち並ぶ氷の建造物の群れをただ驚きともの珍しさで眺めていた。そして、アカリと一緒に見られたらどんなに素晴らしいだろうと、頬を刺す風の冷たさも気にならないほど、既に心は東京にトリップしていた。
「どうしたの? そんなにびっくりした顔して」
背後からの突然の声にアカリを見たような気がして振り返ったが、そこにいたのはもちろんアカリではなかった。そう、ここは北の街、アカリのいる東京とは、実に千キロ近くも離れていたのだ。
「何だ、トウコか。脅かすなよ」
「何よ、自分で勝手に驚いただけじゃない」
彼女……トウコは、少し憮然とした表情を浮かべながらも、僕と肩を並べながらその氷の芸術を眺めた。トウコは同じ支社に勤める地元札幌出身の女の子で、短大を卒業して去年の四月から働いていた。年齢こそ違っていたが、社会人一年生という意味では二人とも同じだったので、僕らはすぐに意気投合し、その日も他の同僚たちと一緒にこの雪まつりを見にきたのだ。それに加えてトウコの物静かで大人しい性格や、ふとした時に見せる何気ない仕草や態度の中に、僕が勝手にアカリの姿を見ていたこともまた隠しようのない事実だった。
「ねえ、実はウチダくんに折り入って相談したいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「何、急に改まって」
「ここじゃちょっと……。少し歩かない?」
躊躇いがちなトウコの言葉に頷いた僕は、同僚たちから離れるようにして二人で歩き出した。行く手には聳え立つように数多くの氷の彫刻が並び、煌びやかにライトアップされたその姿に、僕は改めて自分が北の街にいることを強く実感していた。
「それで、話って何?」
「ウチダくん、今彼女いるの?」
「ああ、もっとも今は東京だけどな」
「そう、じゃあ寂しいでしょ?」
「まあな。男の俺が言うのも変だけど、結構辛いな」
「実はね、私の彼も東京にいるの」
トウコは僕の横をゆっくりと歩きながら、足元に佇む小さな雪の塊をそっと蹴った。イチゴのように真っ赤なコートが彼女の若さを象徴し、僕は時期外れながらクリスマスの光景を見ているように思ったが、肝心の彼女から放たれた言葉に対してはどう答えればいいのかわからなかった。
「……そうなんだ」
「高校の時から付き合ってたんだけど、卒業と同時に彼が東京の会社に就職して、それ以来ずっと離れ離れなの」
「そうか、それじゃあ辛いよな」
「最初の頃は毎日のように電話したり、夏休みや連休には彼が札幌に戻ってきたりして、毎日会えないのは寂しかったけど、それなりにうまくやってたの。でも、最近私が電話しても出てくれないし、休みにも帰ってこないし、ひょっとしたら東京で他の女の子でもできたんじゃないかって……。やっぱり遠距離って難しいのかな?」
その大きな瞳で見つめられた僕は一瞬たじろいだ。ただ純粋に、一途に男を想うトウコに対しては、僕も努めて真摯に答えなければいけないような気がした。
「確かに毎日のようには会えないし、そばにいないことで寂しさや不安もあるけど、でも相手のことを信じていればきっと乗り越えられると思うよ。俺も今同じ立場にいるけど、彼女のことは信じてるし、好きな気持ちは変わらないぜ」
「そうね……。そうよね。まず、私自身が彼のことを信じなきゃね。ありがとう、何か胸のつかえが取れた感じ。ウチダくんに相談してよかった」
トウコの笑顔に、僕は偶然宝物を見つけたような喜びを感じながらも、それがアカリの笑顔のようにも見えて切なかった。トウコに言ったことは、少なくとも今の自分の正直な気持ちであり、僕はそのことを露ほども疑ってはいなかった。たとえ現実の残酷さをわかっていないと嘲笑われようが一向に構わなかった。それこそ、真実の愛をわかっていないと笑い返してやりたかった。僕は同意を求めるように夜空を仰ぎ見たが、頭上の北極星はただひたすらに優しく見つめ返す だけだった。