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9:ラフとベアと風圧中心

 ボードの上に立ちながら、アップホールラインを片手で握ったまま俺は考えていた。


 ウィンドサーフィンのボードが何故動くのかという、朝比奈さんに最初に教わった理屈を思い返していたのだ。

 それはボードの回転中心とセイルの風圧中心の話だった。


 セイルアップの時にアップホールラインを左右に動かすと、ボードはそれつれて右に左に回転をする。

 そのボードが回転をする時に常に回転の中心になる場所という物がある事は、ボードコントロールに苦労した実体験からも判っていた。


 それは朝比奈さんの説明によれば、ボードが側面から受ける水の抵抗が釣り合う場所なのだそうで、必ずしもボードの真ん中と言うわけでは無いらしい。


「なんで真ん中じゃないんですか?」

 そういう俺の問いに対して、答えは単純な物だった。


「ボードの下にはスケッグ(下向きの垂直尾翼)もあるし、南央樹なおき君が乗っているボードには真ん中より少し後ろ側にダガー(下向きの大きな安定翼)もあるでしょ」

 ダガーと言うのはボードの下に着いている大きな整流板のような物で、ボードが横流れし難いように大きな抵抗板を着けているのだと聞いていた。


挿絵(By みてみん)


 何故か、朝比奈さんの小さなボードには付いていないけれど、俺の乗っている大きなボードには付いてる。


 あれはヨットの船底に付いている大きな整流板と同じもので、スケッグに比べると幅も広くて長さもある。

 確かにあれは面積も大きいから水の抵抗も大きそうだ。


 だからなのか、ボードが回転する位置はマストの取り付け位置よりも少し後ろで、丁度ダガーの真上くらいの場所だった。


「側面に受ける水の抵抗が一番大きいのは面積の大きなダガーだから、実際それ以外の小さな水の抵抗なんて、比べれば誤差みたいなもんなんだよね」


 そして、その後に続くのが何故ボードが動くのかという基本的な話だった。

「セイルにも揚力が釣り合う場所が合って、そこが風圧中心って言うんだけど、その風圧中心とボードの回転中心が一直線上にあるとボードは曲がらないで真っ直ぐ進むんだよ」


「風圧中心って、前に言っていた三角定規を指に乗せた時に釣り合う一点の事ですよね」

 俺は一番最初に聞いた説明を思い出して答えた。


「そうそう、三角定規に掛かる重力をセイルに掛かる揚力だとすれば、1カ所でバランスが取れる場所が必ずあるんだよね」

「つまり、それが風圧中心?」


 この話を聞いてから、家に帰って三角定規を人差し指の上に乗せてバランスを取れる場所を探した事を俺は思い出していた。


「そう、その風圧中心がボードの回転中心より前にあればボードは前足で踏ん張るでしょ、だから前を押されて風下に向くし、後ろにあれば後ろ足で踏ん張るから後ろを押されて風上に向くんだよ」


 最初に解説を聞いた時には何を言っているのか判らないままだった言葉が、ここで一つに結びついた。


「ボードを風上に向けるのをラフ、風下に向けるのをベアって言うんだ」

 朝比奈さんは、そう言って説明を終えた。


 専門用語は意味が解らないと難しく感じるけれど、一旦覚えてしまえば短い単語の中に多くの意味が一纏めにパッケージングされていて、一旦覚えてしまえば逆に判りやすい。


(つまり、俺がラフしていたのはセイルの風圧中心ドラフトがボードの回転中心より後ろだったっていう単純な事だ…… )


 それに気付いてしまえば、対策は容易だ(実際に出来るかどうかとは別なんだけど)。


 俺がやることはセイルの風圧中心を、もっと前に持ってくれば良いと言うことになる。

 具体的には、今よりももっとセイルをボードの前側に傾けると言う事だ。


 俺はセイルアップに使っていたワンツースリーの三拍子にオリジナルで1つ加えて四拍子にしてみた。


ONEワン!」

 セイルを上げてニュートラルポジション、背中から風を受けていることを確認。


TWOツー!」

 そのまま、掴んだアップホールラインごと体を進行方向に捻って少し腰を落とす。


THREEスリー!」

 体の近くに動いてきたブームを掴み風を入れる。


GOゴー!」

 腰を落とし気味にしたまま、今までよりもマスト側の手を大きく伸ばしてセイルをボードの前側に少し傾ける。


 緩い夏の風を受けて、ボードが走り出す。

 ユルユルと動き出して、次第に速度を上げて行く俺の乗ったボード。

 シャバシャバとボードが海水をかき分ける音が心地良く聞こえる。


 少しずつボードが風上を向き始めるのに気付き、更にセイルを前に繰り出すと前に引っ張られるような感じになって、前足で余分に踏ん張ることになった。


 するとボードは、クククッと徐々にノーズを風下側へ向けて行く。

(やった、ベアが出来た!!)

 勿論、ブームから手を離すわけには行かないから心の中でガッツポーズを取った。


 ボードのノーズが風下を向き過ぎないように、今度はセイルをボードの後ろ側へと少しだけ戻して微調整をしてみると、見事にボードのノーズは風上側へと少し向きを変えてくれた。


 それを繰り返しているうちに、ボードはどんどん進んで行く。

 気が付けば、俺は風上と風下を蛇行しながらも遠浅の海岸線を足の着かない処まで航行して来ていた。


 ふと俺の足下、つまりボードの下を交差するように動く何か大きな影のようなものが見えた!


「げっ、マジか!」

 鮫かと思って一瞬体が硬直するが、海に落ちないように必死にバランスを取り直す。

 あんなに今までは簡単にちんを繰り返していたというのに、必死にバランスを取って粘ると案外と落ちないものだ。


 ボードの下をス~と通り抜けていった黒い陰の正体は大きなエイだった。

 こんな処に、TVのネイチャー番組とかでしか見ないようなエイが居るなんて知らなかったので驚くと同時に、自分が自然の中に居るという事実にも感動した。


 あまり遠くに来てしまうと、帰れるのかと不安が大きくなるのは当然だと思う。

 俺も、当然のように不安になってきた。


 黙ってブームから手を離してセイルから風を抜くとセイルアップのニュートラルポジションになる。

 俺は無言で、ニュートラルポジションのままアップホールラインを左側へと引いてボードを意図的に反時計回りへと回転させ始めた。


 右足で押すようにするとボードは面白いように動き始める。

 自分の足場が無くならないように注意しながら、慎重にゆっくりとボードを回して行くとノーズの位置が180度回転して、来たときとは逆向きになった。


 ようやく安心した俺は、ワン・ツー・スリー・ゴー!で元来た場所を目指して動き出す事が出来た。


 まだ、俺はターンの仕方を教わっていなかったのだ。


 朝比奈さんの処に戻ると、奈子さんの隣に別の男の人が居た。

 とりあえず、誰なのか判らないけれど俺は無難に挨拶をしておくことにした。

「こんにちは~」


「はい、こんにちは!」

 朝比奈さんより少し背が高い感じのその人も、明るく挨拶を返してくれたので俺はホッとした。


「こんにちは南央樹なおきくん、よく飽きないわねぇ」

 奈子さんも、いつもの笑顔で迎えてくれる。

 と言う事は、もう昼になるのかと時間が経つ早さに驚いてしまう。


「解らない事が一杯あって、全然飽きないですよ」

 俺はそう言って、奈子さんに笑い返す。


「俺は小清水こしみず洋介ようすけ、美容師やってんだ」

 自分を指差して洋介と名乗った男の人は、長髪にヘアバンドをしていて細めの眉毛にピアスをしている痩せたチャラい感じの人だったけど、声はとても優しい感じの人だ。


下野しもの南央樹なおきです、高二です」

 來斗らいとさんの時のように右手を差し出されたりはしなかったけど、洋介さんは片手を挙げて挨拶を返してくれた。


「來斗の奴が面白い子が真琴の処に来ているって言うから、見に来たんだ」

 そんな事を楽しそうに言う洋介さんも、漁師の來斗さん同様に朝比奈さんの幼馴染みなのだろうと、俺は思った。


「ちょっと、面白い子って失礼よ! ねぇ南央樹なおきくん」

 奈子さんはそう言うと、洋介さんを軽く睨みつけて俺を庇ってくれる。

(奈子さんは、良い人だ…… )


「洋介も昼飯を一緒に食べてくか?」

 そう朝比奈さんが洋介さんに問いかけるけど、洋介さんは残念そうに首を振った。


「時差休憩で出て来ただけだから、話題の主も見られたし戻る事にするよ」

「そうか、奈子とまた夜にでも遊びに行くよ」

 二人は、そんな会話をしている。


 奈子さんと夜遊びに行く、なんて事をサラリと言ってのける朝比奈さんの言葉に何故だか俺はドキリとした。

 薄々判ってはいたけど、やっぱり二人は付き合ってるんだろうな。


「おう、待ってるよ。」

 そう言って、立ち去りかけた洋介さんは、俺の方に向き直った。


南央樹なおきくん、サービスするからお店の方にもおいでよ。 バッチリいけてる髪型にしてあげるぜ」

 ニヤリと笑って、洋介さんはそう言った。


「いえ、校則違反の匂いがぷんぷんするので遠慮しときます」

 俺の返しを聞いた洋介さんは、笑いながら俺に向けて右手の親指を立ててウィンクをして見せた。


 それを見て、朝比奈さんも奈子さんも爆笑している。


「バレたか!」

 去り際に洋介さんはそう言って、まるで悪戯が事前にネタバレしたのが嬉しいような顔で帰って行った。


 朝比奈さんと知り合ってからの俺の交友関係は、今までとは全然違った世界へと広がっているような感じがする。

 なんだかとても新鮮で、狭かった世界が急に広がったような感覚だった。


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