5:葬式ごっこ
一昨日の告白失敗からの悪意に満ちた出来事が思い出されて、学校へ行くのは正直気が重かった。
ギリギリまで寝床で粘ってから仕方なく起きて、ギリギリに家を出て、ギリギリに教室へ入った。
なまじ早めに教室へ行って余計な時間が出来ると、あの多田にどんな嫌みを言われるか判ったものでは無いと思ったのだ。
教室の引き戸を開けると、ほぼ全員が席に着いていた。
みんなが一斉に、俺の顔を見る。
学校をサボった後ろめたさから、俺はその視線から目を逸らした。
そのまま、誰とも目を合わせないようにして無言で自分の席に向かう。
拒絶されていると判っていて、明るい顔なんか出来る訳が無い。
言うなれば、クラス中が俺を馬鹿にしている敵のようなものだ。
これでも幼稚園では、さくら組のボスになって威張っていたなんて嘘のようだ。
いったい俺は何処で何が狂ってしまったのかと、席に向かいながらそんな事を考えていた。
そして、やっぱりと言うか何と言うか、俺の机の上にはわざとらしく缶コーヒーの空き缶が1つ置いてあった。
缶の飲み口には恐らく道ばたで引っこ抜いてきたんだろう、白く小さな花をつけた一輪のツメクサが差してある。
まあ、いわゆる趣味の悪い「葬式ごっこ」とかいうやつなんだろう。
子供じみた真似だけど、教室の総意としての俺への拒否を示すこれは、どうでも良いゴミでもある空き缶を使っているだけに、余計に俺自身の疎外感を際立たせてくれる
それを目にした俺は、胸が痛痒いような苦しいような、何とも言えない暗い気持ちになった。
そして腹の中が、どす黒いモヤモヤした嫌な感情で満たされて行くのを感じていた。
教室全体が俺の反応を伺っているように静かになっている。
(しょせん、みんな敵かよ…… )
クラス全体の悪意を感じて、俺は無言で白いツメクサの花を抜いて空き缶を右手でギュッと握りしめたが、生憎とスチールの空き缶はマンガのようにグシャリとは潰れてくれない。
そんな事は期待もしていないし判ってはいるけど、それでも現実は考える程に甘くは無い事を示すように、空き缶は歪みもせず俺の手の中にあった。
(ここで空き缶がグシャリとでも潰れれば、格好良いんだけどな…… )
俺は空想の世界から現実に意識を引き戻して、この一件の首謀者だと思われる多田の方を見た。
予想通り、あいつは仲間二人とこちらを見て笑っている。
俺は、奴の顔に手にした空き缶を叩きつける自分の姿をイメージしながら、ゴミ箱に空き缶とツメクサを捨てて、無言で席に戻った。
そして腹の中の真っ黒な気持ちを押し隠して、何事も無かったかのようにポーカーフェイスでショートホームルームが始まるのを待った。
こうした俺の態度が、多田の心を逆撫でして虐めをエスカレートさせている事は判るけど、どうしても堪えている素振りを見せたく無かった。
何も言い返さない事や、直接やり返さない事も悪いのは判っている。
だけど、ろくに喧嘩もした事が無い俺が、自分から多田に喧嘩を売りに行くなんて事が出来る訳が無い。
俺に出来るのは、気にもしていないという態度を見せることだけだ。
そう、せめてダメージを受けている顔だけは見せたくなかった。
それが精一杯の、俺の意地だった。
隣の席の岡田和泉は、俺を無視するかのように顔を合わせない。
昨日のアレは何かの間違いでは無く、確実に俺の黒歴史になったんだなと今更のようにそれを確信させてくれる、それまでとは違う余所余所しい態度だった。
おそらく、好意的に考えれば何かの罰ゲームだったのかもしれない。
あるいは、悪い方へ考えればクラス中がグルだったのかもしれない。
だけど、何だろう……
俺は告白に失敗した事に関しては、昨日ほど落ち込んでは居なかった。
人の悪意というものは、触れた物を知らないうちに腐らせる毒のようなものだと思う。
そして、それは感染性がある危険な毒物なのだろう。
まったく理由が解らないが、多田の悪意はいつの間にかクラス中に感染しているようだ。
ネットで見た言葉に日和見感染というものがあった。
悪意というものの広がり方は、それに似ていると思う。
それは誰の心の中にもあるもので、普段は表に出て来ないし何も悪さをしない。
しかし、一旦宿主の免疫力(抵抗力)が落ちると、一気に宿主の心を蝕んで悪意で染めてしまう。
そんな処が、とても似ていると思う。
昨日の朝までは、世界のすべてが俺の事を疎外して馬鹿にしているかのような絶望的な気持ちだったのに、今日はちょっと違う。
俺は、昨日の銭湯で朝日奈さんからもらったアドバイスを思い返していた。
「学校と家との往復が南央樹くん感じている世界のすべてだと思っちゃうと、学校で上手くいかない事は世界の全てに拒否されたみたいに感じちゃうと思うけど、学校以外の世界はもっと広いからさ(笑)」
そう言って朝日奈さんに笑い飛ばされた時は言っている意味が判らずに、やっぱり他人ごとだよな~と愚痴ったのだけれど、なんとなく言われた意味が判るような気がする。
学校以外の世界で、ほんの少しだけれど楽しいことを見つけてしまっただけなのに、それだけで学校の存在が俺の中で少しだけ小さくなっていたのだ。
それは空元気なのかもしれないけど、確実に今の俺を勇気づけてくれる物だった。
お前達の知らない事を俺は知っている、そういう小さな自負心も俺がクラスの最下層ではないと思わせてくれる。
そんな事を考えているうちに担任の吉本がやって来てショートホームルームが終わり、いつの間にか授業が始まっていた。
授業中だと言うのに俺の興味の中心は、どうやってボードの上に立ってやるかとか、どうにかしてその先に行くんだという事で占められていた。
それは傍から見れば、ただの現実逃避なのかもしれない。
いや、恐らく現実逃避の占める割合が高いだろう。
だけど、幸いな事に自分がクラス中から阻害されていると言う辛い現実は、その間ずっと頭の片隅に追いやられていた。
現実逃避という言葉は印象が悪いけれど、それで俺の心のバランスが保たれていたのは間違いが無い。
上手くいかないままで終われないと、マジに俺は思っていた。
人間が相手の場合は、俺もしつこく食い下がるタイプでは無い。
相手に拒否される前に嫌な顔をされるだけで気持ちが萎えてしまうから、俺は結果として食い下がったり、しつこく続けたりという事が出来ないタイプなんだと自分でも思っていた。
しかし、人間が相手でない事なら自分が納得するまで続けても良いのだと判った。
自分が好きなだけ、自分が満足出来るまで続けても良いのだという事は、新鮮な驚きと共に自分が何処まで出来るのか試してみたいと、純粋に俺にそう思わせてくれたのだ。
俺はいつの間にか、次に海へ行ける日を心待ちにしていた。