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21/21

21:風はいつでも

 大学を卒業して2年、俺は菱川島重工グループの大和創薬に研究員として就職し、遺伝子レベルでのナノマシン使用について研究を続けていた。


 俺も遥香も共に24歳、そろそろ結婚を意識する歳になっていた。

 いや、俺の方はまだ入社して2年目の24歳で、結婚なんてする自信は無かったのが正直なところだ。


 遥香は菱川島グループの産業用ロボット部門に就職して、より人間と親和性の高い身体障害者用パワードスーツの研究に明け暮れていた。


 人間というものは、恵まれた環境の中に浸かっていると自分がどれほど恵まれているのかということを忘れてしまうものらしい。


 遥香が、どれほど素晴らしい女性であっても、それが当たり前だと思ってしまえば小さな不満だって出てくるし、ぶつかって喧嘩をすることだってある。


 初めて遥香と付き合える事になった時の感動や喜びと言った物は、何処へ消えて行ってしまうのだろうか?

 それとも消え去るのではなく、何時の間にか忘れてしまうのだろうか?


 個人の不満という物は、幸せと同じように相対値ではなく絶対値なのだと思う。


 他人がどんなに食べる物がなくて飢えていても、今日食べる食事が不味ければ残すし文句も言うだろう。

 同じように自分が満ち足りてさえいれば、他人の生活や幸福感など気にもならない。


 俺は、遥香が自分の隣に居る事に狎れ過ぎてしまい、何時の間にか当たり前だと思い込んでいたようだ。

 もしかすると、自分が何をしても離れることはないと高を括っていたのかもしれない。


 遥香が一途に俺を思っていてくれる気持ちに甘えて、俺は大事なものが見えなくなっていたようだ。


 切っ掛けは些細なことだったのかもしれない。


 そろそろ将来の事も考えてウィンド一辺倒な生活も見直して欲しいと言われて、俺はカチンと来てしまった。

 俺の唯一の息抜きを、俺の完全なるストレス解消を一方的に止めろと言うのかと、文句を言ってしまったのだ。


 冷静になって考えて見れば、遥香はごく当たり前の事を言っただけなのだ。

 別に止めろと俺に迫った訳では無い、ただこれから先のことを真剣に考えて欲しいと言っただけなのだ。


 ウィンドを止めたくないと思う俺の甘えた心が、真琴さんがウィンドを止めた時に密かに幻滅していた俺の記憶が、俺を過剰に反応させてしまっただけなのだろう。


 俺はウィンドも遥香も両方を取って幸せになってやると、ウィンドを止める決心をした真琴さんを見て、実は心の底でそう思っていた。

 俺なら、そんなことはしないで両方を手放さずに幸せになるし、遥香も認めてくれると期待していたのだ。


 それが、あの時の真琴さんと同じ立場になったときに、互いの判断の違いとして現れた。

 ちょっとした意見の食い違いで遥香と連絡を取らずに口を聞かなくなって、もう二週間になる。


 当然有ると思っていた遥香からの連絡が、これまで一度も無かったのは俺の不安をかき立てる一番の要因だった。

 こちらから連絡をする以上、遥香の問いかけに対する別の答えを用意しなければならない。


 それが出来ないまま、二週間が過ぎていた。


 ウィンドサーフィンだって、仕事を始めてからは休日返上の泊まり込みの実験もあるし、遥香とのデートだって有るから、ろくに続ける事は出来ていないのが事実なのだが、スッパリと止めるという事には抵抗が有る。


 そんな不安をプレーニングして吹き飛ばそうと考えて出てきた結果が、この始末だった。

 荒れた海の上で、何が何でも遥香の処へ戻りたいと真底思ったときに、俺の中で答えは出ていた。



 ボードを操作しながらうまく波のトップに乗って岸に近付いて行く。

 崩れそうな波のトップに乗ったままサーフィンの要領で大きな岩を避けて岸近くまでギリギリ近づきボードを飛び降りるタイミングを計る。


 ボードの後端にある下向きの垂直尾翼スケッグが海中に隠れた岩に当たってしまえば、バランスを崩してたちまちチンしてしまうから欲を掻いては元も子も無くしてしまう。


 ギリギリのタイミングを見極めて、波が引きに転じる時にボードから小さな石が敷き詰められた比較的足場の良い場所に飛び降りた!

 このタイミングなら引き波に足を取られる心配も少ないし、ボードのダメージも少ないはずだ。


 薄手のブーツ越しに足の裏に石の感触を感じたまま、岸に向かって膝程の水深を必死に走る。

引き波に足を取られそうになるが、必死で前に向かって走る。


 心臓を、早鐘を打つように高速で脈動させたまま構わずに波打ち際まで必死で走る。

 マストを片手で掴んだまま、ボードがゴツン!ゴツン!と岩に当たるのも構わずに必死で引きずって走る。


 波が来ない乾いたところまで辿り着いて、振り向いた俺は手にしたマストごと綱引きのようにボードを一気に引き寄せる。


 遅れると次の引き波に持って行かれるから、ボードを寄せる波に合わせて強引にたぐり寄せる。

 多少ぶつかっても構わない、壊れたら自分で修理すれば良いのだから。


 確実に波の来ない場所まで一気に駆け上がり、ボードとセイルを風の抵抗にならない角度と位置に置くと、ようやく俺は腰を下ろす事が出来た。


 そして、一気に全身の力が抜けた……


 気が付かなかったが、息も相当上がっている。

 心臓も痛いくらいにドキドキと脈動を繰り返していた。


 大きな岩の上で横になったまま呼吸がまともに戻るのを待ってから、ボードとセイルを運んで車を置いてある場所へ戻り、無言で風で飛ばされないようにセイルだけを分解した。


 しばらくウェットスーツのまま片手を額に乗せて、地面の上に仰向けになって横になる。


 自らの現状認識の甘さと過信が招いた当然の結果だったが、それをしてしまった自分が許せなかった。

 何故なら、そういうものと一番遠くに自分は居ると思い込んでいたから……


 そして何よりも、俺は最も大事な物を自らの過信と慢心で失うところだった。


 俺が一番大切なのは、こんなお金で買える道具なんかじゃない。

 どんなに大事な想い出の詰まったウィンドというスポーツだって、遥香と同じ物を俺に与えてはくれないのだ。


 遅かれ早かれ、いずれ体力が落ちれば同じように乗れなくなる日はやってくる。

 いま俺が失ってはならないものは、ウィンドではなく遥香なのだと俺は確信していた。


 俺は起き上がり、濡れた手を乾いたタオルで拭うとスマートフォンの電源ボタンを押してスリープを解除した。

 俺の最も大事な人に連絡をする為に……


 風はそんな俺の心の事情とは関係無く、変わらず強く車の窓を叩き続けている。

 自然はいつだって人間の都合などに左右されず、そこにあるだけなのだ。






 終わり



 

 別作品として、冷たいキス【優柔不断なあいつと、暑かった夏の日】を、矢吹遥香の身の回りに起きるエピソードをまとめた話としてリリースしました。


 良く有る、サイドチェンジしただけの同じ話にならないように工夫した「縞パンとツンデレ… 」のお話です。

 

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